【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第五章~ (1)
(1)
2026年 1月29日
判決日まであと5日
「やーのぉ! これ、いっちゃんのだからぁ!」
「初華ちゃん、そんなこと言わないで? ね? 代わりばんこで仲良く遊びましょ?」
「やだやだやだ! これ、いっちゃんのだもん! ウサちゃんも、いっちゃんとお遊びした方がいいって、いってるもん!」
むっちゃんを見ると、「ひっくひっく」いって泣いてる。でも、このウサちゃんはいっちゃんのだもん。早いものがちっておかあさんも言ってたもん。
「初華ちゃん、お母さんも言ってたでしょ? 困った人を助けてあげなさいって。むっちゃん、ウサちゃん貸してもらえないから困って泣いてるよ?」
う……ほんとだ。むっちゃん、こまってる。お母さんはこまってるひとは助けてあげなさいって言ってたけど、でも……
「ああ、困ったわね。華永さん、早く迎えにこないかしら……」
かえでせんせーもこまってる。いっちゃん、わるいコなのかな。また、おかあさんにおこられちゃうのかな。ウサちゃん、いっちゃんのだけど、でも、すこしだけなら……。
「ああ! よかった! むっちゃん、ほら! ウサちゃんだよー! 楓先生とうさうさファミリーごっこしようか!」
いった……。おててのつめがめくれてなんか白くなっちゃった。
「かえでせんせー、おててが」
「ただいま! むっちゃん! 悪魔を退治して帰ってきたよ!」
かえでせんせーとむっちゃんはうさうさファミリーごっこに夢中だった。アクマって、どこにいるんだろう? それよりも、おててのつめがいたい。
「こんばんは。初華?」
おかあさんだ。かえでせんせーとなにかしゃべってる。いっちゃんがむっちゃんをこまらせたこと、話してるのかな……。
「帰るわよ。初華」
おかあさんがてをふってる。
「ばいばい! 初華ちゃん、また明日ね」
いっちゃんも手をふってかえでみせんせーにばいばいした。
「初華、睦美ちゃんを困らせたらだめでしょう? 楓先生から聞いたわよ」
う。やっぱりむっちゃんをこまらせたこと話してたんだ。
「ごめんなさい、おかあさん。でもいっちゃんもウサちゃんが――」
「すぐに謝ったのはえらいわ。でも、言い訳をするのはやめなさい。初華」
「……ごめんなさい」
いいわけってなんだろう。でも、きっといけないことなんだ。おかあさん、こまった顔してるもの。
「初華、ひとり占めはいけない事よ。ちゃんと他の子にもゆずってあげなさい。わかったわね?」
「……うん」
「爪、痛いでしょう。帰ったら爪切ろうね」
「うん」
手をつないで帰り道を歩くふたりの背中をわたしは暗い目で見つめていた。
……ゆずる? ゆずるって、何?
お母さんは何でも一番になれといった。
それって、誰にもゆずることを許さない事ではないのか?
意味がわからない。一番になれと言っておきながら、一方では人にゆずれという。
ゆずったモノが返ってこなかったら? との問いかけに母は「あきらめろ」と言った。あきらめて、別のおもちゃで遊びなさいと言った。
そんな母に抵抗したわたしは、コレはわたしのモノだと泣き叫んだ。だけど、結局最後はその「おもちゃ」をゆずった。その「おもちゃ」のことはあきらめて、「別のおもちゃ」で遊ぶようになった。前に遊んでいた「おもちゃ」は、もう捨てたのだと自分に言い聞かせた。
ゆずった「おもちゃ」で楽しそうに遊んでいる子たちを、わたしは膝を抱えて見つめていた。
――いいもん、べつのおもちゃで遊ぶから。そんなおもちゃ、もういらない。
「初華ちゃん」
声をかけられてびくんと体が震えた。
座ったまま眠っていたせいか、首が寝違えたように痛かった。
「大丈夫? お昼ご飯だよ」
わたしに声をかけたのは宮田くんだった。その隣にはつるぴかさんもいた。
のそのそと立ち上がると、やかんにお茶を注いでもらってからお昼ご飯を受け取った。今日はなんだか食欲がない。
「どこか体調が悪いの? 薬、持ってこようか?」
「ううん、大丈夫。ちょっと、お腹がすいてないだけだから」
「そう。無理して食べなくてもいいからね」
そう言って宮田くんはつるぴかさんを連れて、配膳室へと戻っていった。
久しぶりに、小さい頃の夢をみた。
小さい頃のわたしは、独占欲が強い子供だった。お気に入りのおもちゃは他の子にゆずりたがらなかったし、それが原因でお母さんによく叱られた。何度も同じことを繰り返して、そのたびに叱られて、わたしは「あきらめる」ことを覚えるようになった。
小学校に上がってからお母さんの勧めで新体操を始めた。
それがわたしを夢中にさせる新しい「おもちゃ」になった。これなら、誰にもゆずる必要はない。一番になることを、誰かにゆずる必要はない。みんながすごいすごいと言ってくれて気分が良かったけれど、お母さんはなにも言ってくれなかった。だけど、その頃のわたしは「あきらめる」ことを覚えていたから特に何も思わなくなった。でも、もし幼稚園の運動会で一等になったときのように、花が咲いたような笑顔でお母さんが褒めてくれたら、もっと嬉しかったかもしれない。もっと楽しかったかもしれない。
中学校にあがって、暑くなってきた時期に他県から女の子が転入してきた。わたしはその子を一目見た瞬間に胸が高鳴った。それが一桜だった。
(なんて可愛い女の子なんだろう。こんな可愛い女の子ははじめて見た)
まるでお姫様のお人形みたいで、こんなどきどきした気持ちになったのはじめてだった。新体操に夢中になっていたわたしが、はじめて新体操以外で興味を惹かれたのが一桜だった。
教壇のうえで自己紹介をしている一桜は、物静かで大人しい感じではあったけれど、大きな瞳と、それにさらさらした長い黒髪がとても綺麗で、わたしは完全に魅了されていた。自己紹介を終えて、「よろしくお願いします」といって顔を上げた一桜とわたしの目が合った瞬間、大きく心臓が跳ねた。瞬きもせず、わたしと一桜は見つめ合っていた。すると、心の中でなにかが暗い声でわたしにささやいた。
急に吐き気がこみ上げたわたしは、食べていたものをテーブルの上にもどした。あとからあとからとめどなく溢れだして、饐えた匂いが鼻を衝いた。
口を押さえ、膝を畳に擦りながら縋るように報知器を押した。ほどなくして革靴の硬い音が遠くから近づいてくると、わたしの異変に気付いたのか、足音が早くなった。
「初華ちゃん! 大丈夫?」
胃の中がからっぽになったはずなのに吐き続けた。このままだと胃袋すら吐きだしてしまいそうだった。鍵をあける音がしてドアが開くと、すぐあとから杉浦さんもやってきた。
「宮田、どうした」
「杉浦さん、3番がもどしてしまったみたいで」
宮田くんが背中をさすってくれていた。
やっと落ち着いてきたわたしは、肩で大きく息をしながら、糸を引いている口元を拭った。
「あちゃあ、こりゃヒドイなぁ。大丈夫か? まさか、この時期に食中毒なんてことはないと思うが、風邪か? 気分はどうだ」
「ごめんなさい、でも、出すもの出したらすっきりした」
「そうか。でもこのままはちょっとまずいな」
杉浦さんはため息交じりに額を掻くと視線を落とした。吐き出したもので畳が汚れてしまっていた。
「ごめんなさい、すぐに自分で掃除するから」
「いや、いい。掃除は俺がする。宮田、隣の4室を開けて3番の荷物を全部そっちに移せ。あっと、布団も出さないといけないから台車も持ってこい。3番の服も汚れちまってるな。着替えはまだあったな? 4室に入ったらカーテンを閉めるから、着替えが終わったら報知器で知らせろ。わかったな? そのあとに一応、体温も計ろう」
杉浦さんはてきぱきと指示を出してあと片づけを始めた。
「ああ、宮田。あと14番に食器を片付けさせろ」
そう言って廊下に置かれている食器に顎をしゃくった。14番とは、つるぴかさんのことだろうか。宮田くんが隣の部屋を開けて、荷物を入れてくれた。制服の上着を脱いで掃除をしてくれている杉浦さんに、申し訳ない気持ちで一杯になった。
「杉浦さん、その」
「ん? どうした」
「ごめんなさい。それと、ありがとう」
深々とお辞儀をすると、杉浦さんが面食らったような顔をしていた。
「おいおい、こりゃあ今すぐにでも大雪が降るんじゃないか?」
屈託なく笑う杉浦さんに、わたしはなんだか恥ずかしい気持ちになった。
「これも仕事のうちだ。気にするな。それに、弱っている人間に鞭打つほど刑務官だって冷酷な人間じゃないさ。厳しく接しはするけどな」
すこし、鼻の奥がツンとした。それは饐えた匂いのせいじゃなかった。こうやってちゃんと人に謝ったのは、久しぶりだった。
着替えが終わってから熱を計ると、37度あった。
「ちょっと熱があるね。念のために風邪薬飲もうか」
宮田くんは体温計をケースにしまった。
「……宮田くん」
「うん?」
「わたしね、一桜の事を想い出していたの。一桜というか、わたしのことって言った方が正しいのかな……」
宮田くんは何も言わずにわたしを見つめていた。
「昨日、宮田くんに怒られて、頭が真っ白になって、怒りが湧いて、泣いて、それから部屋でぼーっと考えていたの。わたしって、一桜のことをどう思ってたんだろうって」
窓を見ると、上半分が灰色で下半分が青色だった。
「小さい頃の夢を見たの。ウサギのぬいぐるみが大好きで、誰にも渡したくないって泣いてた。独り占めしたい、誰にも渡したくないって。でも、お母さんは他の子にゆずってあげなさいって、わたし、いつも叱られてた。でも、納得できなかった。この子はわたしと遊んでる方が楽しいんだって。幸せなんだって。泣いてた。でもやっぱり叱られて、怒られて、あきらめることを覚えた」
3室の片づけが終わったのか、杉浦さんは宮田くんに声をかけて戻っていった。
「ごめん、初華ちゃん。続けて」
わたしは自分で考えて、感じたことを宮田くんに話した。一桜にはじめて出会った時のこと。そして、一桜に「特別」な感情を抱いたこと。その感情が何なのか、わたしは宮田くんに言われるまで気がつかなかった。
一桜に抱いていた「特別」な感情は「恋」だった。わたしは、一桜に恋をしていた。そんなことは決してないと思っていたけれど、思い当たる節は幾らでもあった。無意識に頭が拒んでいたのではないかと宮田くんは話した。
確かにその通りかもしれない。女の子が女の子に「恋」をするなんて、ヘンなことなのだと、思い込んでしまっていたのかもしれない。
だけど、一桜に抱いていた感情は「恋」だけではなかったと、わたしは思い出した。ついさっき、思い出してしまった。
「恋」よりも「この感情」の方がより強く、より危険なのではないかと気づいたとき、自分が得体のしれない存在のように思えてきた。
わたしは、小さいころから独占欲が強かった。しかし、いったん誰かの手に渡るとあきらめるようになっていた。
この「おもちゃ」が欲しい。
この「おもちゃ」は、絶対に誰にもゆずりたくない。
だって、ゆずってしまったら、その「おもちゃ」は「捨てる」ことになるんだもの。
~第五章~ (1)の登場人物
阿久津初華(あくついちか)
クラスメイトとその家族を殺害し、死刑を求刑された少女。長い拘置所生活を経ても反省の色は見られない。
宮田宗一郎(みやたそういちろう)
Y拘置所の新人刑務官。母親は失踪し、父親は自死したことにより家族を失った。一度は道を見失いかけたが、少年鑑別所の職員との出会いがきっかけで刑務官の道を志す。
杉浦(すぎうら)
Y拘置所の刑務官。長身で眼鏡をかけている。主に面会の受付や、差入品の授受を担当する。
つるぴかさん
Y拘置所に収監されている受刑者。未決拘禁者の世話係。呼称番号は、14番。光り輝くスキンヘッドがトレードマーク
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