前田 浩之

大阪のビジネス街にある本屋さんで働いてます。

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マガジン

  • それなりマガジン『買うまでが読書』

    • 21本

    本のまわりにいるふたりの公開交換日記です。ひとりは書店員。ひとりは書買人。

最近の記事

ないものがあるということ/ひとりでも集まれるところ

ヤンデルさん 読む言葉にピチパチ刺激を感じながら、ああやっぱり久しぶりだったな、ヤンデルさんのお手紙。なんて、数ヶ月の空白と、改めて有り難さを感覚で知りました。 お返事をいただいて、無性に読み返したくなった本がありました。 『バートルビー 偶然性について』ジョルジョ・アガンベン(月曜社/ISBN9784901477185)という本です。ある法律家のもとに訪れたバートルビーという筆生(書記みたいなものですかね)、何を言っても「しないほうが良いのですが…」としないことしかしな

    • 川と独房、記憶と比喩

      ヤンデルさん、 僕はいま「本を売る人」ではなくなってしまいました。 前回のお手紙にあった引用に、 「思考というのは順調な時にははじまらず、何かに衝突したときにはじまるものである」 「人は何か困難に衝突すると、それをどう解釈してどう乗り切るかと思考を始める」 という言葉がありましたけれど、はっきり申し上げるといまは思考停止の状態に近い。またその状態もイヤで、考えようとするけれど、どこへも行き着いていません。ぐるぐる回って元の位置に戻る、というより、ぐるぐる空回りな自転をして

      • 連なる空想と連なる本たち

        ヤンデル氏 3月に入ってしまいました。 今月の北海道行きは伸びてしまいましたけれど、お楽しみの先延ばしは嫌いじゃないです。またいずれお会いできる場面をふわふわと空想してます。 ところで、ヤンデル氏の古い記憶…… 「脳の「母屋」を出て、離れの先にあるボットン便所のさらに向こう、さびれてたたずんでいる古い蔵の南京錠をガタコトと開け、明かり取りから差し込む光線にほこりが舞い上がる中、木と鉄で組まれた千両箱みたいな書類入れをひっくり返し、紙魚にやられた古文書の一部にかろうじて読

        • あちこちの海図に潜む魚たち

          ヤンデル氏 僕の首の角度、なんだろうって考えてます。読書型の首の角度。『映像研には手を出すな!』のアニメのエンディングで三人が歩いてるじゃないですか。あの浅草氏の首の角度、あれ良いですね。金森氏も微妙な角度を持ってる(背が高いから?)。水崎氏はさすがバランスが良い気がする。彼女らは何型なんだろう。そんなこと考えながら日曜の夜を過ごしてます。 2020年も良いアニメや漫画、たくさんの本たちに出会えそうです。遅くなりましたけれど、あけましておめでとうございます(1月ももう過ぎ

        ないものがあるということ/ひとりでも集まれるところ

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        • それなりマガジン『買うまでが読書』
          21本

        記事

          もぐる ひろがる

          わあ。ヤンデルさん。 2019が過ぎてしまいます。これを目にするヤンデルさんは、もう2020のひとかも知れません。 じつはずっと書いてたお返事がぜんぜん終わりませんでした。 ああ、年を越すまえに、といまギリギリな別のお返事を書いています。 2019はヤンデルさんはじめ鴨さんや燃え殻さんとお話しさせていただく機会が増えて、あきらかに変わった年でした(へん、ではなくて、へんかです)。 本について、本を読むことについて、いままで以上に考えるようになっています。 もともと本さえ

          もぐる ひろがる

          よんどく つんどく

          前に「気楽にまた新たに書きます」ってふうに書きましたけれど、ヤンデルさんのお返事読んで、もっと気楽になりました。気楽になったらすごく書きたくなったので、これ、もう、すぐ書き始めてます。(書き終わるのはすぐじゃないかもしれません。←追加:ぜんぜんすぐじゃなくなりました) 本と出会うことって本屋込み。 読まなくても読書。 積んでても読書。 ってすごくいいです。 「本って、読む以前に、どこで手に入れたか、ていうかどこに並んでいるかにも文脈があるんですよね。だから、置く場所によっ

          よんどく つんどく

          全自動書店 と 手で動かす本

          ヤンデルさん、とても遅くなってすみません。 と、今そう書いてるので、もっと遅くなるかもしれません。 もともと諸々遅いですけれど、とくに今回なかなか書けなくなりました。なぜだか、と書きかけて、だいたい思い当たるところがありました。たぶん、ちゃんとしたものを書こうって思ってしまったからです。ちゃんと書こうとは、今までも思ってたんですけれど。 なんていうか、ちょっと気負いました。 ヤンデルさんは書店についての本を、僕よりぜんぜん読んでる。 もちろん書店についての本だけじゃな

          全自動書店 と 手で動かす本

          空想の産物 と 欲望の品揃え

          来月、オープンする小さな本屋にどんな本を置くか。 それを妄想すると同時に、ヤンデルさんが先のお手紙で書かれた、ぼくらが小さい本屋をやりたいってことに含まれる「よりコアな欲望」について、考えています。 それは本を読みたい欲望とはどう違うのか。(ちなみに僕の本読み欲は食欲より圧倒的に強く、睡眠欲にはちょっと勝てないくらいの位置です) 以前、かもさんの『どこでもない場所』を読んだときに思ったことがあります。 本を読むってことは言葉を食べる(取り込む)ってことで、言葉ってそれを

          空想の産物 と 欲望の品揃え

          おすすめられること と みつけること

          『言葉はこうして生き残った』(ミシマ社)。 買いましたよ。 読みましたよ。 本をおすすめください、って云ってるひとに、本をおすすめられてるぞ。なにやってんだ、って思いながら、わりと持ち重みのある本の、いろんな作家、いろんな本について、丹念に書かれた一つ一つの文章を、たっぷりと楽しみました。 おすすめられて本を読む。ってとき、そのおすすめるひとをみてる気もします。 そのひとのいうことだからまちがいない、とか、あるいはたとえまちがってても、かまわない。もし自分にとってい

          おすすめられること と みつけること

          とまどわされ と ながされ

          「ヤンデル先生ってご存知です?」 以前Twitterのセガ公式アカウントさんが、大阪梅田の中心からはちょっと離れた(ダンジョンを抜けなければ来られないような)書店までわざわざ足を運んでくださって、嬉しいなぁと思いながらお話ししていると、唐突にそんな質問が出たのです。 「ヤンデ…? なんでしょう??」 当時、『いち病理医の「リアル」』(丸善出版)が出てまもなくだったと記憶してます。 セガさんはヤンデル先生の本を探されていた。僕はすぐ書誌検索してセガさんを医学書コーナーへ

          とまどわされ と ながされ