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もぐる ひろがる

わあ。ヤンデルさん。
2019が過ぎてしまいます。これを目にするヤンデルさんは、もう2020のひとかも知れません。

じつはずっと書いてたお返事がぜんぜん終わりませんでした。
ああ、年を越すまえに、といまギリギリな別のお返事を書いています。

2019はヤンデルさんはじめ鴨さんや燃え殻さんとお話しさせていただく機会が増えて、あきらかに変わった年でした(へん、ではなくて、へんかです)。

本について、本を読むことについて、いままで以上に考えるようになっています。
もともと本さえあれば他に何もいらない人生でしたけれど(途中、猫がそこへ入り込んで大きな位置を占めるのですけれど)、それはあくまで内向的なものでした。本を読みはじめた頃の夏目漱石とかもそうですし、星新一、そこから向かった筒井康隆、小松左京、平井和正といったSFを若い頃に多量に摂取したせいで、ひとに対する不信みたいなのがずっと根付いたりもしていました。永井豪の『デビルマン』とか決定的です。その後読む安部公房や埴谷雄高、後藤明生(このかたはそれこそ「内向の世代」と位置付けられた作家です)とかも、自分自身含めて不安定で曖昧で、確かなものなど存在しないことを教えた読書です。ただただ沈思黙考。深く潜る。ただ潜る。

いま僕は、何を読んだか、について書きました。

前回、ヤンデルさんは読書体験について、どう読んだか(どう読んでるか)、を書きました。
本をどう読むか、を考えると、何を読むか、が変わってきます(そうそうすぐには趣味嗜好や癖は変わらないとはいえ)。
ヤンデルさんとお話しするようになってから、あきらかに本そのものや本屋や読書についての本を読むことが増えました。
どう読むか、を考えた結果、何を読むか、が広がってきてる。
そのおおもと具体的には、ヤンデルさんと出会って、この文通をやる、鴨さんと出会って「かも書店」をやる、燃え殻さんと出会って……、という体験があります。
本を読むことは、それを書いたひとも(最近は作ったひとも、と加えます)、売った本屋も、読んでる場所や風景も、取り込むことで、そこにさらに加えて、そういう話をできるひととの出会いも読書体験といいたいです。ヤンデルさんとの出会いも読書体験。

僕はこれからそういう読書体験を(深く潜るだけでなくって)広げていきたいと考えています。

ヤンデルさん。ほんとうにお会いできて良かった。2019ほんとうにお世話になりました。ありがとうございます。
2020もどうぞ引き続きよろしくお願いいたします。



さて、追伸。これだけお世話になってるヤンデルさんの、激推しのあの漫画をまだ読んでなかった僕は、この年末、いま出ている16巻までまとめ買いさせていただきました。この年末年始、一挙に『フラジャイル』初体験をさせていただきます。

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(2019.12.31 前田→市原さん)

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