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ないものがあるということ/ひとりでも集まれるところ
ヤンデルさん
読む言葉にピチパチ刺激を感じながら、ああやっぱり久しぶりだったな、ヤンデルさんのお手紙。なんて、数ヶ月の空白と、改めて有り難さを感覚で知りました。
お返事をいただいて、無性に読み返したくなった本がありました。
『バートルビー 偶然性について』ジョルジョ・アガンベン(月曜社/ISBN9784901477185)という本です。ある法律家のもとに訪れたバートルビーという筆生(書記みたい
「最初の読者」であるばかり
マエダさん
ジャン=リュック・ナンシーの『思考の取引 書物と書店と』を読みました。5か月前に。いい本でした。そこからいろいろと連想をつなげて、さまざまな本を読みました。よい本を読むと、次に読む本の手触りみたいなものを、先に知覚することがあります。その後、書店ではじめて目にしたはずの本に、「ああ、これちょっと触ったことがあるな、読もう」となる。そういう感じの本でした。
「連れてくる本」ですね。
川と独房、記憶と比喩
ヤンデルさん、
僕はいま「本を売る人」ではなくなってしまいました。
前回のお手紙にあった引用に、
「思考というのは順調な時にははじまらず、何かに衝突したときにはじまるものである」
「人は何か困難に衝突すると、それをどう解釈してどう乗り切るかと思考を始める」
という言葉がありましたけれど、はっきり申し上げるといまは思考停止の状態に近い。またその状態もイヤで、考えようとするけれど、どこへも行き着い
はじけて混ざると月が出る
マエダさん
世の中がざわついたまま3月も終わろうとしています。
うーん、「世の中がざわついたまま」なんて書いてしまった。陳腐なフレーズですね! すみません。
ここぞというときに定例となるフレーズというか、お決まりの表現みたいなものに対して、警察官のように目を光らせてしまうぼくの「分人」が、たった今顔を出しました。「いかんぞそんな表現では」。おいかりです。ぼくはぼくにペコペコ謝っています。もう
連なる空想と連なる本たち
ヤンデル氏
3月に入ってしまいました。
今月の北海道行きは伸びてしまいましたけれど、お楽しみの先延ばしは嫌いじゃないです。またいずれお会いできる場面をふわふわと空想してます。
ところで、ヤンデル氏の古い記憶……
「脳の「母屋」を出て、離れの先にあるボットン便所のさらに向こう、さびれてたたずんでいる古い蔵の南京錠をガタコトと開け、明かり取りから差し込む光線にほこりが舞い上がる中、木と鉄で組まれ
あちこちの海図に潜む魚たち
ヤンデル氏
僕の首の角度、なんだろうって考えてます。読書型の首の角度。『映像研には手を出すな!』のアニメのエンディングで三人が歩いてるじゃないですか。あの浅草氏の首の角度、あれ良いですね。金森氏も微妙な角度を持ってる(背が高いから?)。水崎氏はさすがバランスが良い気がする。彼女らは何型なんだろう。そんなこと考えながら日曜の夜を過ごしてます。
2020年も良いアニメや漫画、たくさんの本たちに出会
全自動書店 と 手で動かす本
ヤンデルさん、とても遅くなってすみません。
と、今そう書いてるので、もっと遅くなるかもしれません。
もともと諸々遅いですけれど、とくに今回なかなか書けなくなりました。なぜだか、と書きかけて、だいたい思い当たるところがありました。たぶん、ちゃんとしたものを書こうって思ってしまったからです。ちゃんと書こうとは、今までも思ってたんですけれど。
なんていうか、ちょっと気負いました。
ヤンデルさんは書