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創業ストーリー #4

それでは続きをお話します。

この頃、すでに父親の容体はよくありませんでした。自分を通すと言えば聞こえはいいですが、父は強情を張る性格で母親の懸命な介護にも気に入らないことがあると反発していました。食事もコンビニの弁当を食べてしまったりでいい加減で、タバコもやめられず、徐々に歩くこともむずかしくなってしまい、入院も頻繁になりました。

まだ60代で若かったので、きちんとした生活を意識して送っていれば、もっと長生きできたはずでした。その頃は、なぜ頑張って生きようとしてくれないのかわかりませんでしたが、おそらく最期まで自分の好きなように生きたかったのかもしれません。

入院中でした。薬のせいかぼーっとしていた父が、隣で本を読んでいた私に声をかけました。

「おれの部屋を片付けておいてくれ」。

このときは薬のせいでおかしなことを言っているなと思っていましたが、後で振り返って見ると死期を悟っていたのかなと思います。それは葬式のために部屋を片付けておけという意味でした。それから間もなくして父は他界しました。

さて、ここで話は戻りますが、このような状況でしたので、せっかくいただいた雑誌のリニューアル参加へのオファーにしばらく応えることができませんでした。しかしその後、色々なことが落ち着いたところで正式に参加する旨を伝え、私は東京へ引越すことになりました。

ここでも雑誌の出版に携わるのは人生で初めてとなります。フリーペーパーを制作していた頃とは異なり、雑誌制作では出版社の編集の方々はもちろんのこと、グラフィック・デザイナーやイラストレーター、ライター、カメラマン、印刷会社の方など様々な方が関わります。

私は誌面デザインを進行していくディレクターとして参加しておりましたが、取材から誌面制作をして印刷・発行までタイトなスケジュールのときがほとんどです。そのほとんどの原因が原稿待ちでしたが、内容には情報の新鮮さだけではなく医療や介護技術の話もありますので正確さも求められますし、ライターや編集の方々は苦労が多かったと思われます。

この頃に取材を通して多くの介護関係者の方々に出会え、医療や介護に対する考え方や現場の実情などたくさんのことを学びました。それ故に問題や課題の深刻さも身に染みてわかりました。私には介護業界がどこか行き詰まりになっているように見えました。

そこでディレクション業務を行いながらも、自分で出来そうなことを探しました。それが介護ロボットやスマートスピーカーなど介護における新しいテクノロジーを紹介するウェブメディアです。3K(きつい、汚い、危険)と呼ばれる介護の仕事においてテクノロジーによる解決は大きく期待できるのに対して、当時、情報を発信する媒体はまだありませんでした。

雑誌の仕事の傍らでウェブメディアの記事のために、介護ロボットやモビリティ、福祉機器などをつくる企業への取材を行っていた中、私にとって大きな出来事が起こります。それは、ちょうど巷がBitcoinで盛り上がっている時期で、ブロックチェーンという技術が注目されていたときでした。

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