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にやにやする無言実行者

 10月になり、少し肌寒くなった。これまでの暑さが嘘みたいに、朝になると寒さで目覚める。タオルケットを胸元まで引き上げて、僕は震える。そろそろ毛布を準備しないといけないかなぁ。物置を眺めながら思ったものである。
 さて、「10月これやる」宣言である。
 僕は昔からそうなのだけれど、「絶対に○○する!」というように、目標や目的を宣言するのが苦手だ。
 科学的にはコミットメントといって、SNSなどで何か目標を宣言すると、人はそれを守ろうとする傾向があるらしい。でも僕にはそういうものはない。宣言したことで上手くいったことは一度もない。むしろ僕は、何もいわないほうが上手くいく。
 もともと一人が好きなせいか、たった一人で、誰にもいわず、にやにやと、淡々とこなしていくほうが好きなのだ。
 これを無言実行と名付けておこう。
 有言実行の逆である。有言実行はかっこいい。きっと他人から信頼を置かれるだろう。
 一方で、無言実行ははっきりいって他人からは見えない。だから、何をしているかわからない。変な人が一人でにんまりしているだけである。
 とはいえ、僕みたいな無言実行者にも、ある種の承認欲求はある。
 だから作ったものを、どこかに放出したり、見せたりしたくなる。特に親しい人に褒められると嬉しい。もっと作ろう、という気分になる。でもここもバランスが大事だ。見せることだけが目的になってしまうと、せっかくの無言実行者のにやにやした感じがなくなってしまう。
 そうなると、張りがなくなる。自分でも何だかいまいちの、「う~ん、なんともいえない作品になったなぁ」となってしまう。これは他人の目を意識してしまうからだと思う。他人の目を意識すると、上手いか下手か、で判断してしまう。
 僕はそんなものとは無縁でいたい。一人で書いて、一人で作って、それをたまに眺めてはにやにやしたいのだ。そしてたまに、誰か顔の知っている人に褒められるくらいでいい。そのくらいの塩梅を求めている。
 実際、僕はパステル画を描いているけど、誰にも見せていない作品が大量にある。たまに家族に見せて、「どう?」といかにも褒めてもらいたそうに、感想を聞いている。
 そのとき、批難や批判は受けたくない。
 わがままだといわれるかもしれないが、それが本音だ。はっきりいって、そんなものに用はない。僕は褒められたい。褒められて褒められて気分をよくして、それからまた一人で作って、にやにやしたいのだ。
 明日は何を作ろう、何を描こう。そんなことを考えながら、にまにました日々を過ごしたい。
 そして、明日描くものは、今日にはわからない。明日になれば、また明日の僕が考えるだけだ。だから「これやる」と宣言することはできない。未来の自分と約束することができないのである。
 ただもし、何か「これやる」といえることがあるとしたら、それはきっとこれからも何かを作っていくことだと思う。
 文章かもしれないし、パステル画かもしれないし、詩かもしれない。とにかく何かを作る。そうしていると楽しいから、している。飽きたらやめるだけだ。
 今のところ他にも、布を繋いでみたいとか、曲を作ってみたいとか、いろいろやりたいことは頭に思い浮かぶ。どうしても最初にお金がかかるから、躊躇しているけれど。いつかタイミングがきたらやろう。どうしても我慢できなくなったら、どうせ始めるだろうし。
 こうして何事も中途半端だから、僕は肩書きがない。作家でもなければ画家でもないし、正社員として何か立派な職に就いてるわけでもない。ほぼ無職。フリーランスとはおこがましくて名乗れない。
 これは肩書きがない人間の、きっと何か「これやる」だろうという宣言である。

#10月これやる宣言
#クリエイターフェス

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