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簡単なことなんて、この世にひとつもないんだよ。

自分の努力を、他人にわかってほしいとは思わない。でも、他人の努力を軽々しく見積もる人にはならないようにしたい。……と思いつつ、他意なく軽く見積もって「その程度の努力で何をおっしゃる」と見下してしまうこともある。猛省。

プロ級のハイレベルな技術も日常的な暮らしの知恵も、私たちができることはすべて、失敗と成功を繰り返し、工夫と練習を積み重ねた結果だ。出会った瞬間からできるものなんてひとつもないんだから。もし、簡単にできることがあったとすれば、それは今日までの人生で培った経験値のおかげだ。その経験値も、試行錯誤の上で手に入れたものに違いない。

たとえば、女性だからって誰もが料理上手なわけじゃない。料理本を見て動画を見て、火傷をして切り傷を作って、ダークマターを生み出して、お腹を壊してやっと今、そこそこのスピード感で三食まともな味と形を保っている。つまり、料理下手な人よりも、試行回数が圧倒的に多いだけの話。料理好きな人の場合は、その多大なる努力の日々が、たのしかったがためにあまり努力だと感じていないだけだ。上手い人ほど、必ずたくさん試して考えて工夫している。

私は料理が大嫌いで、なかなか苦手な方だと思う。でも、料理ができない部類ではない。ただそれは、ウン十年と自炊を継続してきたからにすぎない。私よりも少ない努力で熟練の技を手にいれる人もいれば、私より多い努力を要しても巧くなれない人もいる。でもそのどちらも、必ず何度も挑戦して、努力を積み重ねている。

「努力」なんていうと仰々しいけれど、歯磨きもトイレも、字を書くことも運転することも、全部何度も挑戦してやっとできるようになった。たくさん失敗して、練習して、工夫して、それでもまだ失敗することだってある。毎日を生きる中でしてきたことはすべて、等しく努力の結果なのだ。そこに優劣も勝ち負けもない。もれなく尊い。

私たちは「努力する姿」は大好きなくせに、「努力そのものの姿」をぼんやりとしか見ていない。その結果、「大きな結果が出た努力」と「大きく稼げる努力」ばかりが目立っているように思う。料理ができるようになることも、絵が上手くなることも、エクセルを使いこなすことも、安全運転を続けることも、姿勢良く歩くことも、笑顔でいることも、何もかも多大な努力があってこそできるようになったことなのに、誰もがあたりまえだと軽く受け取りすぎているんじゃないかと感じる。

多大なる努力の末、今日を生きるみなさまへ。
あなたはいつも、すばらしい。
だれがなんと言おうとも、だれも何も気づかなくとも、
その事実だけは、一生変わることはない。

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