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白石かずこの死と天童大人の聲

白石かずこが今日お亡くなりになったらしい。(この時点ではまだニュースになっていない)私は名古屋から来ていたVOYの同人加藤英俊君と天童大人の聲を聞くために京橋のギャラリーにいた。天童氏はいつになく動揺していたようだった。享年94歳、天寿をまっとうしたと言えるが、数少ない盟友である白石氏の逝去のタイミングで、自分が聲を打つ(彼は、詩を読むと言わない。空間に聲を打ち込むという)ことの偶然に驚きを隠せないようだった。
天童氏は、ある種の神秘家である。そして、自身の使命に強い確信を持っている。それは、余人には理解し難い崇高なのものである、そのことだけはわかる。私は、今日の出来事を現代詩における一つの歴史的な出来事としてここに記述することにした。(メモを取れなかったので覚えている範囲であるが)
1時間のパフォーマンスの中で読んだ詩は母音のアナグラムのマントラを題材にした一作品のみ、あとは、彼が詩人として生きてきた中で経験した印象的なエピソードを披露した。それは、私たちに次の世に伝えてほしいと願っているようにも、自分自身に言い聞かせてあるようでもあった。死の直前に三島由紀夫が彼に向けた謎な表情(目を見開き、青ざめ、そして赤らんだらしい。森茉莉はそれを伝えなくてはならないと彼に言った)、アフリカ、リマのドゴン族の酋長から伝えられたメッセージ(ドゴン族はシリウスの神話を持っている。現在紛争で絶滅に瀕している)、右翼の大物田中清玄に飯倉キャティで自伝を書いて欲しいと頼まれた(川端康成や三島由紀夫がそれを望んでいた)が諸事情でそれを果たせなかったことなどなど。まるで、喪に服するかのような黒い衣装、慟哭を隠すような獣のような遠吠え、いつものようにエネルギッシュではあったが「一つの時代が終わる。やるべきことはやったが、天が自分に課した責務を果たせたのだろうか」という声なき声が聞こえてきたようだった。現場にいた人間として、伝えなくてはならないと思い、ここに残す。 

今日、私は携帯を家に忘れ(上京するのに忘れたのは初めて)、小田久郎のことを特集した「ユリイカ」だけをバックに入れて、帰りの電車の同じ車両で絶縁状態の母親を見た。友人の通夜であり、親友を1人失った。

今日は、おそらく何か特別な日だったのだろう。

私は、そこから何のメッセージを受けとればいいのか、わからないが、過去を精算し、開かれた道を迷いなく進め、という声が聞こえたように思える。残酷で、やるせない、地球の声。

白石かずこは、10代から詩を書き始め、北園克衛らの「VOU」に所属。(VOYはVOUのオマージュの意味もある)早稲田大学第一文学部在学中の1951年、20歳で詩集『卵のふる街』を上梓。(私の先輩である)1970年、『聖なる淫者の季節』でH氏賞、1997年、『現れるものたちをして』で高見順賞読売文学賞(詩歌部門)、1998年、紫綬褒章、当初はモダニズムシュールレアリスムの影響を受けていたが、1960年代以降、アメリカのビート詩人、ジャズの影響を受け、1970年代には、アイオワ大学ロッテルダム国際詩祭、ポーランド詩祭、ジェノヴァ国際詩祭など、30数カ国の詩人祭などで詩の朗読を行う。1980年代にはメキシコ国際詩祭、インド・バルシキ国際詩祭などに参加。1970年代には先鋭な「フェミニスト」と思われていた。 三島由紀夫森茉莉寺山修司らとも交流が深かった。

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