富岡多恵子・江弘毅・大阪・ハニカミ


稀代の編集者であり、大学の先生であり、洒落者のエッセイストでもある江弘毅氏(以降江さんとする)が、上京をせず、出版社の少ない関西で仕事をし続けられた理由の一つが関西の女性詩人、故【富岡多恵子】であることを出会って30年経ってはじめて知った。難波のアナキスト詩人、故小野十三郎氏の縁である。2023年に私が実業から離れ、詩人になり、大阪の文学学校に通うようになって、小野十三郎や長谷川龍生を読むようになり、詩人たちとの交流の中で【富岡多恵子】の偉業を知り今に至る。尊敬する大好きな人が良いと言うものは必ず良いのである。私の文学の世界はそれだけで動いている。尊敬と好感に基づき、文学は、時と場所を超えて人と人を繋いでくれる。そして、その蓄積こそおそらく私のずっと追い求めていた生きる醍醐味である。それは、資本主義ではない。【富岡多恵子】が、この度その一つにカウントされることとなった。
関東では、詩人か学者か出版人でなければ知らないであろう【富岡多恵子】という固有名詞を私に伝える機会などなかったのだろう。大阪は、東京とは違う歴史と知の体系がある。【富岡多恵子】の詩や小説や評論は大阪にとっておそらく一つの神話なのだ。そして、それが今の江さんのスタイルに強い影響を与えたことに心が震えた。水戸生まれの私は大阪弁でものを考えることはできないし、ある種のシンパシーを感じ、こうした文章を綴ること以外できないのだが、それでもまったく寂しくはない。そう、この距離こそが大阪なのである。距離とタブーのオリジナリティこそコミュニケーションの根っこにあるものと知った。
資本主義の合理性から考えると、東京は極めて優秀だ。人はあくまで経済システムのパーツであり、ポストモダンの言うところの欲望機械、器官なき身体として、鼻くそ目くそを笑う競争の中で、エネルギーを消費し、経済をブンブン回していく。スキャンダルも性欲も嫉妬も憎悪も、殺意さえ、都市の燃料としてマネタイズしていくことのシステムの精度は恐ろしいほどに逞しい。そして、そこでは大阪弁でさえ消費されてしまう。人間不在こそ、東京資本主義の究極なのだ。
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「編集長の塩飽とミナミの日航ホテルでお会いした富岡さんは、心斎橋商店街の瀬戸物屋のおかみさんみたいな感じで、とてもお洒落な二本の眼鏡を文字を読む時とそうでない時に交互にかけておられた。」
「いきなり「あんた、うまいなあ」といわれたので「よう、考えました」と答えた。」
///////////江さんのエッセーより引用///////
こうした表現は資本主義至上主義の関東人には絶対にできない。そこには独特の粋と艶がある。シニシズムはゼロである。少年のような純粋さこそ、江さんの真骨頂なのだ。それを照れ隠しで大阪弁でうめつくしていく。関西弁の面白さの本質はは、自分を第三者にして距離を取ることらしい。大阪的「ものいい」は距離を瞬時に計る感覚で、「漫才」にも通底している。「あんたは?」というのを「自分は?」という。この距離感覚の「距離」とはなんだろう。江さんの持論によればそれは【ハニカミ】であり、大阪語の文法を客観的にみた時にそれははおこるという。【ハニカミ】とは、含羞とも書くらしい。それは「照れる」「恥じらう」とは違う。そもそもは、言葉や身ぶりを少なくし恥ずかしさを表わす行為のことである。
この羞恥でも遠慮でもない感覚を関東人は知らない。いや、知っているのかもしれないがそれを表現する術をもたない。一見豪放磊落にみえる江さんが、大阪的会話によって、その誤解から、精神的にダメージを受け続けたことなど、今日の今日まで全く知らなかった。こうして私は【富岡多恵子】の文章を関西イントネーションで読むことの喜びを江さんより20年遅れて知ることとなる。器官なき身体が肉を取り戻し、完全に機械になる前になんとか人の心を取り戻す。昔見た「人造人間キカイダー」のように、旅をして、生身の肉体を取り戻していく。それが私が詩人になった一番の理由であることに今更ながら気づいた。これから、江さんと文学を通じて色々ご一緒できることが本当に楽しみである。こうして、今更ながらこの国に大阪があること大阪の文学があることに感謝する。


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