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How to Discuss a Case (その1)

ビジネス・スクールでは、「ケース」(Case)と呼ばれているものが教材として使われている(実在する企業が直面する課題・問題をまとめた教材)。今回はこのケース教材を用いて議論を行う「ケース・ディスカッション」について、Harvard Business School Pressから出版されている"How to Discuss a Case"(どのようにしてケース・ディスカッションを行うか?)を要約しながら紹介していく。

ケース・ディスカッションは、時にエキサイティングなものになったり、目から鱗が落ちるようなことがあったり、はたまた議論が発散して彷徨ってしまうことがある。データに基づいた議論が早いペースで進むこともあれば、曖昧で単調になることもある。そしてこれら特質が1時間ないし2時間のケースディスカッションの中で次々に現れてくることもある。ケース・ディスカッションの流れに影響を与える変数には;インストラクター(指導教員)、受講生、ケース内容、に加え、教室設備、講義実施タイミング(朝・昼・夜)、試験が迫っている時期か否か、などがある。ここではコントロールできる変数のみについて記述する:つまり”参加者自身”という変数である。ケース・ディスカッションをこれから行うに当たって一助となるいくつかの点について述べる。

ディスカッション・スキルは、ケース教材を用いてディスカッションを行っているビジネススクールにおいては重要である。ビジネスの課題について自分はどのように考えるか、あるいは組織の一員としてはどう考えるか、について気づきを得る機会になる。経験を積むにつれ、”何を”考えるか、以上に”どう”考えるかの学びの場であることにも気づく。

ケース・ディスカッションはコラボレーションである

ケースを用いたディスカッションは、「ケース・メソッド」と言われる独特な手法に基づいて行われる。ケース・ディスカッションの目的は、ケースに書かれている事実に意味づけをしていくこと、そして意味づけされた全てのものに不確実性が内在していることを認識することにある。この目的は、それまで受けてきた学校教育で掲げてきた目的とは少々違う。

通常の学校教育では、先生が生徒に専門知識を提供し試験などによって理解度を測る。だからその習性のままケース・ディスカッションに参加するとこれまで受けてきた教育手法の変形版のように見えて、以下のように考えてしまう;

・ケースは教科書や専門家であるインストラクターが提供した専門的知識で構成されたストーリー風の教材であり、真実、あるいは課題に対する答えが内在している。 

・ケース分析とは、正しい答えを見つけることである。

・ケース・ディスカッションとは、生徒が正しい答えを見つけたことをインストラクターに提示するための機会である。

”正しい答え”を見つけたと自信を持っている生徒は発言したがり、自信が無い者は議論に参加するのを躊躇する。発言したがる者は、自分たちはインストラクターに正しい答えを見つけたことを証明する競争をしているのだと思っている。インストラクターのみが正しい答えを知っていると信じているので、他の生徒による発言を注意深く聞く必要性は感じない。そんな状況下で行われる”ディスカッション”では、個々の生徒とインストラクター間の直線的なやり取りしか起こらない。

ビジネス・スクールでの経験が少ない場合、上記のような考えに陥ってしまうことは致し方ないと言えるかもしれない。しかし上記の考えは、ケース・メソッドとは相容れない考え方である。今までの学校教育のイメージを一旦脇に置き、自身のアカデミックなスキルをケース・ディスカッションに適応させれば、より多くの学びを得ることができる。

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ケース・ディスカッションは、どこかで得た知識を復唱するための機会では無い。参加者の知識や直観を用いて「新たな知識(ナレッジ)」を生み出すための機会である。教室にいる誰一人として、各々のケースには一つの答えがある、という安易な考えに陥ってはならない。ケースはシチュエーション(状況)を記述するものであり、それらシチュエーションは得てして複雑であるので、一つのことを意味することはなく相反する意味合いが複数存在する。もちろん、ケースには真実も存在している。それは過去10年間の会社の財務情報。数字は変えようのない事実であり、意思によって数字を変えることはできない。一方、これらの数字がどのように会計上分類されるかは議論の余地があり、そこから導き出される戦略がその企業にとって有益か否かは議論の的となる。

ケース・ディスカッションに臨むにあたっては、あまり心地良くはないことから始めなくてはならない。ケースに関する自分の意見を論理立てた議論に構築しておき、それを発表する準備をしながらなおかつ反対意見を持つ生徒からの意見をしっかり聞く心構えを持つことである。全クラスメートの前で上記のようなことをしていくのは、誰もが緊張してしまうことかもしれない。しかし議論の中心になったとしても決して長い時間ではないと知り、反対意見は出た時こ気づきが生まれている、ということに気づけば徐々にその緊張はほどけていく。

ディスカッションに臨む際には一定の期待値を持っていくのが重要である。ディスカッションでのコメントは、鋭い洞察力を持ってディベート的な技で表現されたものである必要は必ずしも無い。ケースに書かれている事実をそのまま伝えることが求められる時もある。同様に、ほとんどの生徒が思っているけれど聞けないような単純な質問を発するのが効果的な時もある。ケース・ディスカッションの経験を積んだ生徒たちに聞いてみると、タイミングよく適切な質問を述べた時が最強のクラス貢献になった、と証言している。あなたの質問がケース内容の誤解を解くことになった場合、その誤解は他の生徒たちがいずれしていたであろう誤解。クラスメートの前で質問を発することによって初めて参加者間でクリアにできるものがある。

ケース・ディスカッションとは、コラボレーションすることである。リスクを取って貢献(発言)しようとする意思がある生徒がどれだけいるかでディスカッションの質は決まる。クラスの一部のみがリスクを取ろうとしている状況では、ケース・メソッドの質は保ちにくい。クラス全員が参加をすれば、予想を超えた気づきと学びが待っている。ケース・メソッドにおいては、負荷、責任そしてそこからもたらされる学びの恩恵は、インストラクターではなく生徒側にある。レクチャーによる学習とは正反対のモデルである。

ケース・ディスカッションにおいては、インストラクターと生徒は一つのチームを構成するメンバーだ。チームとして良いパフォーマンスを発揮するには、メンバー全員が貢献する必要がある。サッカーチームで一部の選手だけがスキルを発揮し他の選手はなるべく関わらないでいたら試合で勝てないのと同様、ケース・ディスカッションも全員参加なくしていいディスカッションは生まれない。サッカーで言うコーチ(ケース・ディスカッションではインストラクター)は、チームを率いてメンバーをサポートすることはできても、ゴールを決めたりゴールを守ったりすることはできない。

その2へつづく





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