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空虚と描写・06

 空は、澄み渡って穏やかだった。雲が幾つか浮かんでいたが、太陽の光を遮るものではなかった。
 陽光は、その下にあるものに、あまねく降り注ぐ。とうぜんのことながら、辺りを住宅に囲まれた、その場所にも降り注いでいる。そこでは、全ての物体の姿形が明らかになり、その本性が開示されているかのようだった。そこは、あまりに純粋であるがゆえに、物が動かず、従って風も吹かないかのようなのだ。そこにあるものは別の何かを表しているのではなく、ただそれ自体の内在的な本性が、明るみに投げ出され、世界に向かって、開示しようとすることなく開示されていた。
 そこは駐車場であり、しかしさし当たり1台の車両が停止しているだけで、他のものは見当たらない。アスファルトの路面は、白いペンキで等間隔に記されたT字マークと、電信柱の影を、その表面に刻みつけられて、その姿を露呈している。
 日差しが強いのだろう。敷地の奥の境界の辺りには、雑草が、停まっている車の天井部分の高さほどにまで到達し、追い越すほどに成長していた。
 その駐車場の奥は、コンクリート剥き出しの塀がたっている。上部は鉄の板で補強されており、そして錆が出ていた。灰色の背景に、薄汚れた茶色の染みが、はっきりと浮かび上がっている。
 その場所にあらわれている、幾つかの指標は、ひとつに事実を明らかにしているのだった。つまり、時間の経過というひとつの事実を。それはそこを管理する人間たちにあっても、時間だけは手出しの出来ぬ領域であることを明らかにしているだろう。
 陽の元に、すべてを差し出され、時の只中ですべてを晒された事物たち。これが、開示されているということなのだろうか。おそらくは、それでは十分ではない。開示されているのは、事物たちではなく、事物を包むその世界の存在ということなのではないか?


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