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二年目

教師人生は初任校での出会いに規定される──いきなりこんなことを言ったらあなたは眉をひそめるかもしれません。おいおい、じゃあもう取り返せないじゃん……。そんな声も聞こえてきそうです。

でも、最初の勤務校で最初に配属された学年を想い出してみてほしいのです。あなたのいま担任している学級の当番活動の在り方や係活動の在り方は、そのとき隣の学級の先生から学んだものではないでしょうか。あなたのいま担任している学級で毎日行われているあなたが得意でない教科の授業の形式は、初任校の同じ学年の先生方から影響を受けたものではないでしょうか。あなたのいま担任している学級の教室の掲示物は、どんな貼り物をつくるかはもとよりどこに貼るかに至るまで、なんとなく初任校で形成されたイメージが残ってはいないでしょうか。なかには初任校でお世話になった先輩教師に誘われて入った研究団体で、いまなお活動しているなんていう人もいるのではないでしょうか。右も左もわからない教員人生のスタート、最初の学校で出会った先輩教師というのはかなり大きな影響力をもつものなのです。

しかし、私はそれが悪いと言っているわけではありません。初任校は教員人生の基礎固めの時期ですから、すべてを自分で考えるとかすべてを自分で勉強しながら工夫するなんてことはできるわけがありません。問題なのはその後なにも考えずに、なんとなくそのやり方を継続してしまうということなのです。もちろん継続した方がいいような素晴らしいシステムを初任校で教えてもらえることがないわけではありません。そういう運のいい人が運のいいままになんとなく過ごしてもうまくいくということがないではないでしょう。しかし、どんないいシステムにも授業法にも、常に工夫と改善を加えながら磨きをかけていくことは必要です。ましてやそれほどでもないシステムや授業法にそれしか知らないばかりにしがみつく結果になるのはいただけません。

私は一度無難に一年間を過ごすことができたら、次の年には視野を広げて新たなことを学び始めるべきだと考えています。初任の年に無難に過ごすことができたら教師生活二年目には外に眼を向けてみるわけですね。そうした心構えをもって「井の中の蛙」にはならないぞと意識するのです。

ただし、一度無難に一年間を過ごすというのは絶対条件です。初年度に学級を崩壊させてしまったとか、初年度に心ならずも給食してしまったとか、そういうことがある場合には自分にはなにが足りないのかと謙虚に構えることが必要になります。そういう経験をした人は、周りの意見に聞く耳をもたなかったり周りを否定的に見たりということが多いようです。そういう人はまだ自分では気づいていませんが、子どもたちに対して〈悪しきヒドゥン・カリキュラム〉(自分では意識していないのに、子どもたちに与えてしまっている悪影響)を形成してしまっている場合が多いのです。まずはそれを意識するために周りの意見に耳を傾けなくてはなりません。

また、初任校が地域的に「荒れた学校」というイメージをもつ場合にも注意が必要です。そうした学校では、職員室全員が「この学校だから仕方ない」ということを前提に学校運営がなされている場合が少なくありません。理想を高くもつことを最初からあきらめて、低い目標設定で学校が運営されている場合があるのです。そういう意識の学校では、子どもたちのまだまだ伸びる可能性を職員集団が摘んでしまっているという場合が多々見られます。それに同化してしまってはいけません。

いずれにせよ、学校教育界は広いのです。あなたの知らないこと、あなたが考えたこともないようなことに一生懸命に取り組んでいる教師が全国の至るところにいます。そういう実践を知り、できれば自分の眼で確かめ、少しでもそのエッセンスを自分の学級に、自分の指導の在り方に取り込めないかと模索する。そういう人生でありたいものです。

二年目からは外に目を向ける。これを意識しましょう。

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