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目指すべき究極の教師像がある?

他人に憧れたことがない。いや、これは正確じゃない。中村雅俊演じるテレビドラマの主役やロバート・デニーロ演じる映画の主役になら憧れたことがある。どちらも十代のことだ。正確を期せば、だれか先輩教師に憧れたことがない。うん。これなら間違いない。僕は先達を尊敬したことはあっても憧れたことはない。その先達のようになりたいと思ったことがない。そんな発想さえもったことがない。僕の記憶が正しければこれだけは確かだ。

僕が教師になった九○年代、教育界のトレンドは「名人教師」だった。名人教師たちの著書を読みまくり、雑誌を買えばまずは名人教師たちの原稿を読み、お金があれば飛行機に乗って日本中どこにでも会いに出かけた。でも、僕には名人教師たちの「人間っぽさ」ばかりが目についた。ある名人教師は飛び込み授業で子どもたちを小手先の技術で誤魔化そうとしていたし、ある名人教師はセミナーで自分に反論してくる参加者を威圧して黙らせていたし、ある名人教師はある有望な若手教師の態度が失礼だったからと言って著書で批判していた。僕は彼らを批判しているのではない。当時、僕が名人教師たちに感じていたのは、「ああ、名人も人間だ。そしてそんなところがラブリーだ。」という感慨だったように思う。

僕はそんな時代に無意識のうちに決意していたように思う。僕は僕自身であり続けようと。そして僕の駄目なところまで含めてラブリーだと思われたいと。そのためには、「名人」などと呼ばれてはいけないと。有名になり過ぎてはいけないと。ただただ表現したいことを表現し続けようと。読者におもねる表現だけはすまいと。それで世の中から消されるなら仕方ないと。僕は他人に僕を押しつける生き方しかできないと。

四十を超えて、そういう「押しつけたい僕」をだれもがもっていることに気がついた。同僚も、生徒たちも、だれもがそんな自分をもっているのだと。それならそういう人たちがみんな自分を押しつけていけるような教育方法を考え出せないだろうか。そんなことを考え始めた。僕が協同学習だの、ファシリテーションだの、チームビルディングだのと言い出したのにはそんな経緯がある。そしていま、僕はできるだけ僕を押しつけないように生きたいという僕の考え方を、みんなに押しつけようとしている(笑)。

どんなに「子どもたちに自分を押しつけまい」と頑張っても、教壇に立つ限りそんなことはできない。できないというよりもあり得ない。教室から教壇を取りはずして同じ高さで語っても、子どもたちを呼び捨てることなく敬語を使ったとしても、カウンセリングマインドを基本に子どもたちに共感し続けても、こうこうこういうわけだと言葉を尽くして説明責任を果たしても、結局、教育というのは子どもたちを望ましい方向へと矯正するものでしかない。しかもその「望ましさ」は教師の想定範囲内の「望ましさ」を決して超えることはない。「みんなで上を向いて歩こう。」とか「あっちの水よりこっちの水の方がいいよ。」とか「そっちの山よりこっちの山の方が広く物事が見えるよ。きみはまだそれを知らないんだ。」とか言って、自分に見える景色を子どもたちにも見せようとしているに過ぎない。教師に見えないものは教室のなかに存在しない。教師は自分に見えないものがあることに気づいていない。そんなものがあることに思いを馳せた経験さえもたない。その結果、教師に見えないものは教室には存在しないことにされてしまう。それがすべての教室の構造だと思う。

もちろん僕だってこの構造から自由にはなれない。僕の教室だって、僕に見えないものは存在しないことになっている。でも、手前味噌で申し訳ないけれど、僕には教室がそういう構造に陥っているという自覚がある。その自覚が、僕にとって教室で起こるあらゆることを教材として意識させる。子どもたち用の教材じゃない。僕自身が教師として成長するための教材だ。要するに教室を、職員室を、学校を、地域を、僕にとって「フィールド」にする。僕は職場で「フィールドワーク」を愉しめるようになる。毎日が発見の連続になる。それを細かくメモに取る。そのメモを幾度となく見返す。発見が発見を呼び、発想が発想を呼ぶ。毎日が祝祭的になる。

毎日を面白がりながら、日々の小さな出来事に発見に次ぐ発見を重ねて面白がりながら、ハイな気分で子どもたちの前に存在し続ける。五年後の自分はもっと発見するからもっと面白がれる。十年後は更にもっと。そんな自分への確信が更に「現在(いま)」を面白がらせる。この構造に入ってしまえば、他人に憧れるなんてできるわけがない。

「目指すべき究極の教師像」は、常に自分のなかにある。

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