見出し画像

力量形成の主体

かつて「教育技術の法則化運動」という、おそらくは民間教育史上最も大規模な教育運動がありました。向山洋一と明治図書とが連携してつくった教育運動です。この運動は僕が教師になる五年ほど前に始まりました。僕が教職に就いたとき、僕の周りにも少なからず「法則化運動」に与する教師たちがいました。歴史的に教育界に現れた教育技術をすべての教師の共有財産にしようという運動であり、理念的には素晴らしい運動でした。ただ、教育界には「教育は技術ではない」と「法則化運動」に批判的な人たち、嫌悪感を抱く人たちもたくさんいて、当時の明治図書の雑誌はさまざまな形で論争が展開されていました。僕は最後まで「法則化運動」に与することはありませんでしたが、その運動理念には親近感を抱いていました。向山洋一や「法則化運動」に嫌悪感を抱く人たちの言葉は、ただ口汚かったり、情緒的に過ぎて説得力がなかったり、旧来の自分の運動体を守るための論理に終始していたり、少なくとも僕にはなんの説得力も持ち得ないものばかりでした。

しかし、「法則化運動」もまた、九○年代の半ばに至って運動体としての締め付けを始めます。他の運動体と二足のわらじを履く者に踏み絵を強要したり、運動草創期の貢献者を排除したり、当時のマル道(現在の「道徳のチカラ」)を排斥したり、機関誌「教室ツーウェイ」誌上その他で、それはすさまじい締め付けをおこなったものです。ただし、教育技術を明確にすること、それを法則化論文として発表し、教師を発信・受信の力量形成主体として機能させようとしたことは、現在の教育界につながる「法則化運動」の偉大な功績だと言えます。

一方、「法則化運動」から五年ほど遅れて、「授業づくりネットワーク」という運動が立ち上がりました。教科研の授業づくり部会と学事出版とが連携してつくった教育運動です。「授業づくりネットワーク」はその名の通り、いわゆる「運動」というよりはネットワークを結ぼうとするタイプのゆるやかな運動体でした。簡単に言えば、世の中にいる「教育おたく」たちがただ出会い、互いに互いをただおもしろがる、そんな場を設定する。締め付けは一切おこなわず、基本的には出会わせただけで、あとは放っておく。当時「ネットワーク」の代表であった藤岡信勝が、「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げると、「自分がいては色がつくから」と自ら代表を辞す、そんな運動体でもありました。藤岡信勝としては「つくる会」の運動に「ネットワーク」を利用することだってできたはずです。しかし、彼はそれを潔しとしませんでした。その後、「授業づくりネットワーク」は、当時の勢いはないとは言え、いまなおゆる~くその動きが継続しています。

それから四半世紀が経ちました。結局、「教育技術の法則化運動」はその内部からついに向山洋一を超える実践家を輩出しませんでした。それに比して、「授業づくりネットワーク」はあのゆる~い発想で出会いの場に徹したことで、そこでいろんな領域の「教育おたく」たちが出会い、みんな勝手に成長していきました。そこからは藤川大祐が出ました。石川晋が出ました。池田修や阿部隆幸が出ました。赤坂真二が出て、土作彰が出て、菊池省三が出ました。僕や野中信行や中村健一や青山新吾も、広い意味では「授業づくりネットワーク」が生んだと言って良いでしょう。もう数え上げたらキリがない状態になっています。そして、少し大袈裟に言えば、いま書店の教育書コーナーで「授業づくりネットワーク」に関わったことのない人を探すほうが難しくなっています。少なくとも問題意識の高い優秀な教師の力量形成の在り方としては、「法則化運動」と「授業づくりネットワーク」のどちらの形態が良かったのかは歴史が証明したのです。

僕がなぜ、わざわざこんなことを言い出すのかがわかるでしょうか。締め付けというのは、実はそこに集う人たちの発想を縮めるのです。それぞれの動きを活性化させるのではなく、それぞれの動きを狭い世界観のなかに閉じ込めてしまうのです。

最近になって、再び、運動やサークルの長が締め付けをおこなっているとの話をよく聞きます。自分以外を講師とするセミナーに出るなと命じるとか、SNSのグループをつくって囲い込むとか、若い実践者が多くの著作を出しているのに嫉妬して批判するとか……。でも、そういう人たちはまず間違いなく、自分のために若者を利用している人たちです。いいですか?力量形成を図る主体は若者その本人なのです。力量形成の主体者が自ら意志決定できなくて、力量形成などあり得るでしょうか。読者の皆さんには、「オレのいうことを聞け」「学びを一つに絞れ」などという言葉に束縛されることなく、自由に、伸び伸びと、自らの力量を高めて欲しいと切に思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?