シコウ
若い頃には、だれもがなんとなく世の中には〈真理〉というものがあるような気がして、それを追い求めます。それが思考を複雑にしてすべてをすくい取ろうという発想になったり、ちょっとした心地よいフレーズを「ああ、これは世の中の普遍原理だ」とよく理解しないままに収集したりしがちです。しかし、どちらもよくありません。どちらもよくないというよりも、どちらも一長一短なのです。
何事も〈提案〉というものは、すべてをすくい取りたいという〈志向〉のもとに複雑な〈思考〉をくぐり抜け、それらに優先順位をつけながら実際に〈試行〉され続けた結果として、シンプルな言葉で皆さんに伝えられることが〈指向〉される、そういう過程をとるものです。この四つの〈シコウ〉を通らない〈提案〉は、少なくとも教育の提案としてはまがいものだと私は思います。
私にも尊敬する先達がたくさんいます。みんな一様に主張していることはシンプルでした。失礼になるといけないので名前は挙げませんが、先にも述べたように、私は若い頃、それらを雑な主張だと感じていました。
しかし、それから20年が経って、自分が年齢を重ねるにつれて、「ああ、あのとき、あの先生がおっしゃっていたことはこのことだったのだ」と気づくことが多くあるのです。それも毎日のようにあるのです。なぜ、あの言葉が用いられていたのか、それはこの優先順位思考の結果だったのだとか、ああ、このこととこのこととが結びついたとき、こういう発想に至ったのだなとか、そういう発見が至る処にあるのです。人間の認識というものが、自分に見えているものを超えることがないとはよく言われますが、世の中が見えてくるに従ってそれを実感します。
では、若い皆さんがそういう境地に立つにはただ時が経つのを待つしかないのかというと、決してそうではありません。私は若い先生方に次の三つの構えが急成長を促すと自信をもって主張します。
第一に、直感的に「これはいい!」って思った実践手法に出逢ったら、自分を惹きつけたものが何なのかを真剣に考えてみる、ということです。それもしつこくしつこく考えてみるのです。この思考を通らない実践は、多くの場合人真似になり、借り物になります。自分は武器にしているつもりでも、実は技術に使われている……ということになりやすいのです。
第二に、直感的に「それは違う!」って思うような実践手法に出逢ったら、その違和感が何なのか、明確になるまでその手法について勉強してみる、ということです。そうすれば、そのいやな部分を解消できる手法に自分で作り替えてみることができます。システマティックなパッケージになるまで構想できれば、それは自分の大きな武器になっていきます。
第三に、「ああ、私が求めていたものはこれだな」っていう手法を見つけたら、教師人生をかけて続けることも大切だ、ということです。決して途中で諦めてはいけません。少なくとも3年、できれば10年です。10年続けたらその手法については、言葉が悪いですが片手間でもできるようになるはずです。そうしたらそれをやり続けながら、次の手法にも挑戦してみるのです。そしてそれも続けてみる。できれば二つの手法をミックスしてみる。その頃、その提案は大提案として世の中に受け入れられるようなものになっているはずです。
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