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三十代には分岐点がある

1 先の見える方と先の見えない方

三十代には分岐点がある。

自信をもって順調に仕事をしていく人と、自信を失ってちょっとだけ後ろ向きに仕事をするようになる人との分岐点が三十代の前半にある。

順調な三十代はバリバリの教師になる。学級担任として自分なりの手法が安定期を迎える。職員室でも大きな仕事を次々に任される。教科主任や研究主任、児童活動や生徒会活動の仕切りを任されることが多くなる。中学校なら、学年の生徒指導を任されたり、部活動で次々に成果を上げていく時期でもある。さまざまなことに自信をもって取り組むことができる、それが三十代である。

一方、うまくいかないことがあると、これまでの自分を、これまでの教員人生を否定したくなるほどに落ち込んでしまう、そういう危険性があるのも三十代だ。なかには一度の失敗で「辞めてしまおうか…」なんて考えてしまうことも少なくない。十年近い経験年数を経て、年度末にこれがあと三十数年続くのか、自分はそれに耐えられるだろうか、そんな考えがよぎるのもこの年代の特徴かもしれない。

前向きに仕事をする人と後ろ向きに仕事をする人は、その分岐点をエポックにその後、数十年をかけて教職の在り方が変わっていく。差が開く一方になる。前者は成長し続け、後者は成功を求めて彷徨う。前者は成長を求めて成功を勝ち得、後者は成功を求めて失敗に落ち込む。成功が成長を志さした者にしか訪れないことを後者は遂に知り得ない。僕はこの原理を「先の見える方を選ぶのが成功のコツ、先の見えない方を選ぶのが成長のコツ」と言う言い方をしている。

こうすればこうなるはずだという見通しをもって人は成功を志す。しかし、現実というのはいろいろな要素でできている。見通しを完全にもつことなどできない。予想外のことに戸惑ったり、想定外のことに取り乱したり、そんなことはあって当たり前なのだ。この学級をうまくつくりたい、この行事で成果を上げたい、成功したい、先の見える方を選びたい、そういう生き方をすると、ほんのちょっとのノイズにも狼狽してしまう。

実は、成長とは「変化への対応力」を身につけることを指す。予想外のことや想定外のことに適切に対処できたり、予想外・想定外の出来事に対して直感的に落としどころを把握したり、そしてできれば予想外や想定外を愉しめる構えをもつことができたり、そうした「変化への対応」ができたとき、人は「あっ、自分は成長したかも…」と感じるものなのだ。時代の変化のスピードが増してきて、この原理はどんどんその必要性を高めている。見通しをもってコツコツ積み上げたい、その志向性がなかなか通用しない時代になってきている。どんな小さなことにも、重大な予想外・想定外が突如目の前に立ちはだかる。それを怖れる人には成長はもちろん、小さな成功さえ得られない時代になってきている。

先の見えない方を選択する者は成長と成功の相乗を得、先の見える方を選択する者は小さなミスに怯え、予想外・想定外を過小評価し、予想外・想定外に飲み込まれてしまう。飲み込まれた後は動揺と狼狽に迷い込まざるを得ない。自分を信頼できなくなり、よけいに後ろ向きになっていく。負のサイクルに嵌まり込む。

仕事とは〈フィールドワーク〉である。このくらいの心持ちが欲しい。

2 正しすぎる論理と三校目の危機

三十代には分岐点がある。

「正しすぎる論理」を使うようになるか否かの分岐点である。「絶対なんてありません。人それぞれですから……」というのがそれだ。

この論理は正しすぎる。だれも反論できない。しかし、正しすぎるが故に何の役にも立たない。役に立たないばかりか、ときにマイナスにさえなる。この論理を持ち出した途端に、すべての思考がストップしてしまうからだ。

何かを思考しようとするとき、何かを議論しようとするとき、「絶対なんてない」という論理は取り敢えず括弧にくくらなければならない。括弧にくくって、もっといいものはないか、いま自分が考えているよりも高次の見解はないか、こういう構えで思考したり議論したりしなければならない。そうしないことにはすべてが現状維持である。

しかし、教員世界には思いの外この論理を持ち出す人が多い。特に研究畑の教師に多い。更にいえば、国語教育に携わっている者に顕著に多い。おそらく、あまりにも諸派諸説が乱立しているため、対立しないために編み出された詭弁なのだろう。また、自分の主張へのこだわりが大きいために、対立する主張から自分の身を守るために弄される詭弁という側面もある。前者は〈止揚〉を、後者は〈成熟〉を拒否している点で百害あって一利なしだ。百歩譲って、こうした態度が自分自身のみのこだわりから発祥しており、他に迷惑をかけないでいるのであれば、それほどの実害はないとも言える。しかし、こうした人々の多くは、他人にもこの論理への帰依を要求する。結局、この論理は「だまれ!」と言うのに等しい機能をもつ。

一方、「絶対がある」と信じる教師はもっと厄介である。意識としては「絶対なんてない」と考えているものの、無意識的に自分のやっていることを「絶対だ」と信じ、そこから逃れられない教師は少なくない。僕の印象では、それは三校目の転勤で顕在化する。

三十代は三校目の転勤を経験することが多い。初任で緊張感と戸惑いのうちに少しずつ勤務校に慣れ親しんだ一校目、初めての転勤に仕事の作法の違いに戸惑いながらも新しい学校に少しずつ対応していった二校目、二校目ではそれなりの重責も担うようになる。そして三十代半ばから後半に至っての三校目の転勤である。この頃には「こうすれば仕事はうまく進む」「こうすれば子どもたちをよりよく育てられる」という自分なりの仕事観・教育観がある程度確立している。この時期の転勤は、教師にある種の精神的危機を引き起こす。

これまで経験してきた二校の仕事の作法と新しい学校の仕事の作法が違う。教師陣のやることなすことがひどく非効率に見える。前任校で当然だったことに新任校の教師陣は気づいてさえいないように見える。子どもたちに対する教育観が違う、保護者に対する対応の作法が違う、各種行事に対する熱意が違う。さまざまなことが形式的に進んでいたり、逆にひどくゆるくていいかげんに見えたりする。自分がそれなりにやってきたという自信が、「この学校を変えてやる!」になる。ついつい職員会議での厳しい口調につながる。もとからいた教師たちに少しずつ距離を置かれ始める。或いは「こんな学校、さっさと出てやろう」になる。数年で転勤するつもりの仕事振りを示す新任教員に、職員室から温かい視線など向けられようはずもない。こういう三十代教員のなんと多いことだろう。

しかし、その学校の現状があるのは、その学校の歴史があってのことなのだ。新任教師には予想さえしえない事案が過去にあったのかもしれない。地域の実情によって非効率を承知でそうせざるを得ない事情があるのかもしれない。そうした陰の事案、陰の事情に新任教師は思いを馳せることができない。そもそも、その学校の歴史を知らぬ者に学校改革などできるはずもない。実は、学校改革をよりよく遂行できるのは、その学校の事情をよく理解し、その学校に深い愛情をもつ者だけであることをその教師は理解していない。自分の経験から導かれた正しさだけを基準にした改革の断行は多くの場合うまくいかない。

職員会議というものは何が正しいかではなく、だれが言ったかで決まるものだ。その意味で、職員室でまず目指すべきは「あの人が言うなら仕方ない」と思ってもらえるような人間として認めてもらうことなのだ。良し悪しは別としてこれが真実なのだ。このことを理解しない三十代は、転勤先で戸惑い、彷徨い、ときには自信を失っていく。それが三校目の危機である。

3 上の世代と下の世代

三十代には分岐点がある。

生き方の意識の中心を職場に求める教師と、それを職場外に求める教師との分岐点である。後者の場合、その基準となるものが行政の示す方向性であったり、官製・民間を問わず各種研究会であったり、書籍やセミナーで出会った先達であったり、学生時代の付き合いや趣味の仲間との交流であったり、仕事は喰うためと割り切って家族第一・家庭第一であったりとさまざまだが、いずれにしても勤務校の人間関係とはある程度の距離が置かれる。

もちろん、教師の人間関係が常に職場のみというのでは寂しい。さまざまな人との交流をしながら自分の人生を創り上げていくことは大切なことである。しかし、実は三十代というのは職場で最も学ぶことのできる、職場のメンバーで過ごす時間において最も学びの大きい時期なのである。意識の中心を外に置き、職場の人間関係の優先順位を下げてしまうのはあまりにも惜しい。僕は心からそう感じている。

例えば、職場の同僚と呑みに行くことを考えてみよう。

三十代は二十代を引き連れて呑みに出ることができる。四十代・五十代は気軽に二十代を誘えない。呑みに出ればまず間違いなく多めに支払わなければならない。かつてのバブル期ならいざ知らず、我が子に最もお金のかかるこの時期に、自分より若い同僚を引き連れて呑みに出る四十代・五十代はいまや滅多にいない。親の介護を抱えている場合も少なくない。おまけに二十代とは心理的な距離がある。二十代の側もなかなか胸襟を開くということにはなりづらい。そもそも四十代・五十代の言いたい仕事の機微を二十代は理解できない。ただの懇親の場になるのがオチである。しかし、三十代と二十代との会話はそうではない。二十代も胸襟を開くし、何より三十代の側にも二十代の新鮮な感性に対してまだまだ聞く耳をもっている。この違いは殊の外大きい。

三十代は四十代・五十代が話すこともストレートに理解することができる。仕事の機微や、組織の機微や、学校や地域を取り巻く実情や、同僚・管理職の評価や、三十代にはそうした職員室を形づくる小さな問題点が既に見えていて、四十代・五十代とそれらを共有することができる。二十代は実現したいアイディアがあったとしてもなかなか実権を握っている四十代・五十代に提案することができない。提案したとしても軽くあしらわれることも少なくない。しかし、三十代は違う。四十代・五十代の学校運営の実権を握っている人たちも聞く耳を持ってくれるはずだ。呑み会は実権を握っている人たちへの根回しの場にもなるし、意見交換の場にもなるし、自分のアイディアを実現していくための思考の場にもなる。そのアイディアを実現していくための配慮事項について、先輩教師からの助言をもらえる場にもなるだろう。 

要するに三十代というのは、学校を実質的に動かしている人たちとも、これからを担う新しい感覚をもっている人たちとも、どちらともフラットに近い感覚で濃密な会話のできる年代なのだ。そして、あまり意識されていないが、その期間はかなり限られた期間なのである。思考にも発想にも柔軟性をもち、かつ職員室のすべての年代と心理的に近い距離感覚で話ができる。しかも、まだまだ体力があるので無理が効く。実は三十代こそが、その気になれば職場で最も学べる時期なのだ。

いま、呑み会を例に挙げたけれども、すべての仕事場面において実は同じことが言える。職員室の構造や仕事の作法や根回しの大切さや管理離職の立場や、そうした職員室の機微をある程度理解し始めた時期に、二十代に対してはある種のクッションとなるとともに二十代をある種のブレインとして機能させられ、学校を実質的に動かしている世代に対しては自分の意見・提案を聞き入れてもらえる俎上をもつ、それでいてまだまだ自分の間違いや驕りや配慮不足を正面から指摘してもらえる、人生にとって稀に見る成長機会を保障された世代なのである。

もちろん、外で学ぶことが必要ないとは言わない。しかし、人生において限られたこの時期に、勤務校の現実、勤務校の同僚から意識的に学ばない手はない。僕はそう思う。

外の仕事ではいくら具体的な話をしているようでも、話し手同士がイメージすることは個々ばらばらである。もっているコンテクストが異なるのだからそれは当然のことである。しかし、職場の同僚との交流は違う。同じ子どもたち、同じ地域、同じ学校、同じ職員室について論じ合っているのだ。このことの重大さを三十代のうちによく理解しておいた方が良い。

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