無力なインフルエンサーの未来を解く
「発信って何のためにあるんだろう??」
思い返せば中学生ぐらいから「発信」というものが日常の中にデフォルトで存在していた自分にとってそれは、あまりに当たり前すぎて答えが見つけることが難しいもののひとつだった。
特にSNS上で影響力を持つインフルエンサーを始め、YouTuber やブロガー、などとデジタルの世界ではさまざまな呼び方がこれまでされてきた。
なぜ、発信をするのか?
営利に直結するため、という目的でおそらくデフォルトではない人たちは発信を始めるのだと思う。
声をかければ人は集まり、web上で相談をすれば仲間が集まる。そんな状況はある意味で、まるで「王国」なのだと思う。
自分の発信にファンが集まり、こちらの一挙一動に興味を持ち、応援や購買を通して発信者とのつながりを持とうと歩み寄ってくれる。
とはいえ、これまで発信がデフォルトだった自分としては、発信がそれほど魅力的なものとも思えず、営利周りのことが目的であればオーガニックな発信やファン作りは不要なんじゃないかと思うほどだ。
今日はこの「オーガニックな」という形容詞をキーワードに、少し自分の考える ”発信” というものを考えてみたいと思う。
その背景には、ビジネス的な影響力を持つことが良しとされてきたこれまでのインフルエンサーが「無力」になっていくのではという私なりの仮説がある。
願わくば、この世界が「オーガニックな発信」によって彩られることを期待して。
長尺とバズはどちらが正解?
ビジュアルや短文のキャッチコピーで読者や視聴者を「刺激」して反応を得るための発信がある一方で、ドラマや映画、小説のように長尺の物語で語りかけ「理解」してもらう発信があるんじゃないかと思ってます。
思ってます…というより、『D2C』という本の中で登場したキーワードで「なるほどな~」と思わせる表現なのでそのまま引用させていただきました。
発信と一口にいっても、写真や画像、テキスト、映像、音声…とさまざまなアウトプット法がある中で、自分が一番得意としているのは「テキスト」なのですが、特にビジネスとして活用するのであれば「刺激」も「理解」も両方必要だなと考えています。
でもじゃあ、どれぐらいの割合で大切なのかというと、個人的には「刺激」が1割で、「理解」が9割のイメージです。
メディアに込められたコンテンツのうち、9割は長尺で語りかけるようなものにしておくべき、というのが私の考え方ですが、残りの1割の「刺激」はテキトーでよいのかというとそうではなく、そこにしっかり力を注がなければそもそも読まれないし、コンテンツがリレーされて広がっていくこともないというのも実際のところだと思います。
オウンドメディアの制作で大切なのは、良いコンテンツをつくるのは全体の中で2割で、残りの8割はコンテンツの拡散、デリバリーに注がれるべきという話もあり、それはそれで理解できます。
どんなに良いコンテンツでも、読まれなければ「無い」のと同じです。なので厳密には「つくる」と「届ける」を分けて考えるのが本質なのかなと思ったりもします。
なんでかというと、「広がる」「届ける」ことをそもそもの目的にコンテンツ制作をしてしまうと、どうしても思考が「バズ」や「ビジネス」の嗜好に偏ってしまう気がしてならないから。
なので制作の順番としては、最初から届くしかない前提の企画の中で、圧倒的に中身の深いコンテンツをつくっていく、という話が重要なのだと思う。
「北欧、暮らしの道具店」は、そもそも北欧というキーワードを扱ったおかげで自社努力をさほどせずとも勝手にリテンションされてきたという背景があり、それと同じようなことを再現することが大切…っていう話で。
…それが難しいんですけれどね。笑
でもそれでもこの考え方を大切にしたいなって思うのは、「広げよう」「届けよう」ということをコンテンツ側で前提にしてしまうと、はっきり言ってつまらないものになってしまうことが往々にしてあると思っているから。
ここでいう「つまらない」の定義は、あっという間に消費されて、1週間後にはみんなの頭の中から消えてしまうようなもの、という考え方。
例えば私が触れた「長尺」のコンテンツは、aeruブランドや株式会社マザーハウスの取り組みとして記憶に残り、週刊誌のようにバズ狙い、刺激ありきのものはそもそも記憶に残らないし、それをインプットしたところで自分の人生に何のインパクトも与えていないというのは実体験から感じるところであったりもするのです。
そういう意味で、「長尺とバズはどちらが正解?」の私なりの答えは、明らかに前者、長尺こそが正義、ということになります。
そもそも長尺コンテンツを読ませるには?
D2Cブランドを代表する海外のスタートアップは、「音声」「雑誌」「映像」などの長尺コンテンツを駆使してユーザーに ”世界観” を伝えることで熱狂的なファンを生み出しているといいます。
ただふとギモンが浮かぶのは、なぜユーザーはその「長尺」のコンテンツをそもそも知り、なぜその世界観を体験しようと思うのか、ということです。
少なくとも、日本の伝統的メーカーがいきなり長尺のブログや音声、動画などを配信したところで誰も興味を持たないだろうし、それこそ拡散を狙ったバズの仕込みをすればするほど、一時的に消費されて購買にもファン化にもつながらない一発劇で終わってしまうことは容易に想像できてしまいます。
読者やユーザーがその「長尺」に耐えられる(というより喜んで体験する)背景には、もともとファンであるという要素が不可欠なのではと思うのです。
ランキング1位のものはさらに売れて1位になる法則と同じで、ファンが長尺に触れるからもっとファン化して、口コミや紹介が広がると考える方が自然だと思うのです。
「お金がすべてじゃない」と語る資格があるのは十分なお金を手にした人間だけという話がありますが、論理はこれに似ています。
「長尺コンテンツが許されるのは、すでにファンがいる企業やブランドだけ」
それでも私は、ここにアンチテーゼを投げかけたいと思うのです。
なぜなら、長尺コンテンツを発信することがデフォルトの人間からすると、長尺で発信することはそもそも当たり前であり、それを続けてきた結果いつの間にかファンがついている、という現象に出くわすからです。
そのあたり、もう少し深堀りしたいと思います。
一貫した継続発信vsお金を使った広告
これまでまともに発信をしてこなかった経営者が、ある時を境に発信をしていこうと考えた時、果たして影響力を持つまでの「無力な期間」に耐えることはできるのでしょうか。
どんなに発信をしても反応ゼロ、いいねゼロ、フォロワー数名…な状態が半年も1年も続いた時、「こんなことしてるヒマがあったら別のことに自分のリソースを割こう」と思っても不思議ではありません。
発信がデフォルトの人間はそんなことを気にすることなく、発信そのものが楽しいから自分の便益にかかわらずそこにリソースを割いてしまうのですが、半ばビジネス目的の場合には苦行にほかなりません。
オーガニックな発信を続け、オーガニックなファンが集まることは非常に尊いことで価値のあることですが、そもそもビジネスが目的な時点で「オーガニックなのか?」という疑問が浮かびます。
であれば、これは例えばの話なのですが、LPを1枚作って、それを広告に流してメールアドレスまたはLINE ID などのリード獲得をまずは狙ってみてはどうでしょう?
そこに集まるのはファンではなく「見込み客」かもしれませんが、少なくともそこに人は集まります。発信内容にも興味を持っています。
まずは広告などにお金を使って、「数」を集めてしまうというのはひとつの手なんじゃないかと思います。
そしてそこから何かしらの企画を立てるとどうでしょう?
今更どれだけの人が反応するのかわかりませんが、Twitter をフォローしてリツイートしてくれたらプレゼントをあげます企画などを行い、それをメルマガやLINEで協力要請を出すのです。
Twitter を始めたばかりの人にいきなり100いいねとか100リツイートがついたら何事かと思い、好奇心からフォロワーが増えていくかもしれません。
その後、Twitter 上で公開コンサルなどをして好奇心を煽ってもいいかもしれません。いずれにせよ、一度お金で集めた「見込み客」に、企画やプレゼントの力で応援させ、SNS上に影響力を作っていくのです。
その結果得られるのは、自分の得を求めるイナゴのような情報弱者集団であったり、好奇心で一時的にフォローしただけのひやかし層であったりするかもしれませんが、ビジネス的な営利を回収するためだけであれば、この方法でも十分にもともとの「目的」を果たせるのではないでしょうか?
……でもきっと、思うのかもしれません。
オーガニックな発信で、発信そのものに価値を感じてくれた、オーガニックなファンに囲まれたい…と。
それってつまり、やっぱり欲しいのは営利に直結するようなフォロワー集団じゃないってことなのでしょうか。
オーガニックファンを集めるもう1つの方法
ここまでの話を別の角度から整理してみると、
オーガニックなファンというのは、あなた本人またはブランドに対してファン化を起こしています。
一方で見込み客的なファンというのは、あなた本人または会社が販売している商品やサービス、プロダクトのファンになっています。
『D2C』からの引用に再びなりますが、レイヤーとしては次のようなものが考えられるわけです。
1.ブランド(または発信者)のファン
2.商品ラインナップのファン
3.個別商品のファン
自分の影響力をオーガニックに地道につけようと発信を続けることは「時間」というリソースを多く使います。
一方で個別商品に対してファン(厳密には見込み客)を集めるのはお金の力でどうにかなりますが、そこからブランドのファンになる人は少数である可能性が高いのではと推測します。
乱暴な表現をすれば、セブンイレブンの商品は売れているけれど、セブンイレブンの社長のファンにさせるのは至難だよね、という感じです。
だからその中間、お金と時間をバランスよく配分し、ブランドのファンを作ってから少しずつ発信者へのファン化を促す、というフローも考えられるのではと思うのです。
営利にもつながる、自社製品もPRしながらファン化を促すブランドサイトやSNSアカウントを運用し(これを閉じたメディアといいます)、ちょうどよいお金と時間の配分でフォロワーをまずは増やしていきます。
この時点では、PVやフォロワー、売上などの指標などの見える化を行いつつ、ブランドに対してのファンが集まりやすい取り組みができます。
そして同時に、ここではもうひとつのリスクも回避できます。
それは「個人の発信」にファンが集まりすぎることで、その影響力が属人的になってしまう、というリスクです。
詳しくは最所あさみさんのこちらの記事がわかりやすいと思います。
私も長く個人起業家市場と呼ばれるスモールビジネスの世界でマーケティング支援をしてきたのでよくわかるのですが、ひとり社長と呼ばれる人たちの会社がスケールできないのは、価値を極限まで属人的にしてしまい、営業面においても個人のカリスマ性に依存させてしまうからです。
こういったリスク回避も事前に想定すると、個人の発信で影響力が身につくのはとても魅力的ではありますが、将来的なリスクも内包されてしまっています。
バランスを求めるのであれば、「ブランド」に対してのファン化をうながす取り組みこそが正解なのでは、と感じることがあるのも正直なところ。
この分野で成功を収めている「北欧、暮らしの道具店」がまさにそのお手本ですが、個別の商品や商品ラインナップへのファンがいるわけでもなければ、運営会社のクラシコムさんや代表の青木社長にファンがついているわけでもありません。
あくまで、「北欧、暮らしの道具店」というブランドに対してのファンを作り続けているところに、影響力を生かしたビジネス展開と、個人に依存しないスケール展開を実現できているのでは、と思うのです。
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