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僕がライカを買った たった一つの言い訳

違うんだ、そうじゃないんだ・・・
私はただ2400万画素くらいのスナップ用のカメラが欲しかっただけなんだ・・・
(フラッシュバック)

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「ライカ買えばいいんですよ」
「ライカ買わないんですか?」
「ライカおすすめですよ」
「一度はライカ」
「ライカは資産ですから」
「ライカを買わないと後悔する。買っても後悔する。」
「うまく言えないけど、ライカは何かが違う。うまく言えないけど。」

ここ数ヶ月、次々と襲ってくるそんな界隈の誘惑・甘言・妄言を打ち消し、撮影に励んできた私ですが、先日「hirotoさんがライカ買ったら、写真がさらによくなると思いますよ。絶対合うと思う。」などと言われてしまいました。
「合うと思う」「合うと思う」「合うと思う」・・・(以下繰り返し

そんな耳に残るトドメを刺されて気づけば「合うと思う」じゃないよ「アウトだよもう!!」数百ショットのお手頃美品を見つけてしまったのが運の尽き、いやめぐり合いなのか、天の意志を宿した左クリックを止めることができず勢いでポチポチッとしてしまいました。マラドーナの神の手も霞むほどの所業。

本人はまだその現実を受け入れられずにSony α7cだと思っている節があります。

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↑こちらが問題の品


そうだこれは夢なんだ
ぼくは今、夢を見ているんだ
目が覚めたとき、 ぼくはまだαユーザー
起きたらポトレ撮影に行って、
朝ご飯を食べて、涼しい午前中にZeissをつけながら撮影して、
午後から友達とα7cでスナップしておもいっきり遊ぶんだ・・・


自分は宗教は引っかからないと思い込んでいましたが思わぬところで罠、いや沼に嵌るものです。「合う」「さらによくなる」などとちょっとおだてられたくらいでよくもよくも・・・本当に無念(幸せ)です。

なお「買うなら新品を銀座の本店で買いたい」などと豪語していた私ですが、先日銀座でのライカ本店の参拝を無事済ませ、「新品を本店で買ったつもり」というギリギリのライン(妄想と現実の地平線)で踏みとどまったことについては本当に自分を褒めてあげたいなとつくづく思います(踏みとどまってない

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さて、そんなライカを買ってしまった私は何者でもありません。
お金もらって撮影することもあるけれどプロではないし、ナショジオフォトコンで入賞したりとかまるでしていないし、界隈でも有名なわけでも無い、フォロワーが10万人のインフルエンサーでもないし、どっかの社長でも、発明家でもない。

何者でも無い私が写真を撮るのはなぜか。しかもライカで。
しかも!ライカで!!(大声
しかも!ライカで!!(全員

実は何者でも無いからなのです(ループ)。

「人は二度死ぬ。一度目は肉体的な死。 そして二度目は他の人々から忘却されることによる死だ。」と誰が言い始めたかわからない言葉があります。ゲーテはすべてのことを言ったので、もしかするとゲーテかもしれません。知らんけど。
その通りだと思う、ただ、自分という物語においてはその主人公も二度死を迎える、と私は思うのです。

一度目は青春の風吹くころ、自分が思い描いた物語の主人公でなかったことを見せつけられる苦い体験を通して、
二度目は社会人として、自分が今までもそしてこれからもおそらく何者でもないということを改めて世の中から見せつけられたときに

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でも、そこからなんです。本当の自分の物語が始まり、日々を慈しむことを真に理解するのは。薫風のそよぎ、木枯しに溶け込む優しい光、錆びた壁面の味わい、咽せるような草いきれ、雑踏に埋もれる人々の息遣い・・・
絵も描けない、詩にも遺せない、音楽に託すこともできない、器用では無い私がそんなありふれていて素晴らしい日々を記録としてそっと仕舞い込むために何者でも無いままシャッターを切るのです。これなら私にもできる。
何でも無いようなことが幸せだったと思うくらいThe 虎舞竜です。
ロードで行ったら20章くらいでしょうか?
今日もどこまでも続く長いテールランプが綺麗です?は?

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そんな自分の「写真を撮るという行為」を真摯に、丁寧に、そしてそれ自体をも慈しむために最適化された道具を使う、というのは必然の帰着だ思うのです。では日々を慈しむのに最適化された道具とはなんでしょうか?
おそらくそれは感覚に、感情に訴える道具だと思うのです、視覚の道具であるカメラが、触覚、聴覚、嗅覚、味覚に…いやせいぜい聴覚までだろうけど、そのための設計、構造になっているか、そしてそのために先鋭化されているか?
言い方を変えると自らの体を使って写真を撮る感覚がカメラとつながっているかどうか?とも言えるかもしれません。

ISO、絞り、シャッタースピード、つまりは写真の生殺与奪の権をカメラに握らせるな!と富岡義勇がやや過呼吸気味の早口でいい放っている姿を思い浮かべてもらえればよいのですが、そんな面倒くさいカメラがライカです。おまけに望遠のピントは絶望的、明日が見えないのも私と一緒です。ライブビューという救済措置はあります。それが追加7万円のビゾフレックス(無論さらなる課金

最近のお気に入りのレンズはマニュアルで、この感じを好きになり始めていたのもライカを買う前兆だったのかもしれません。

徐々に可能性を失っていく転がる石のような生き方の中でも、Like a Rolling Stone、つまりはライカ・ローリングストーンですが(言いたいだけ)、日々の何でもなさ、撮影の面倒くささを通して自分の人生を楽しめる、それがライカで紡ぐ自分なりの新しいポエム・・・いや物語です。

以上、盛大な言い訳でしたがいかがでしたか?(キュレーションサイト風)


・・・が言い訳までこんなに楽しめるのがライカの一番いいところですね(昇天

How does it feel?画像4




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