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村上春樹風にライカについて書いてみた

世の人に理解され難いライカというカメラをどう伝えるべきか迷った結果がこれだよ。


「ライカをめぐる妄言~ライカ・ライカ・ライカ~」


「完璧なカメラなどといったものは存在しない。完璧な写真が存在しないようにね。」 
僕が大学生のころ偶然に知り合ったある写真家は僕に向かってそう言った。
僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。
完璧なカメラなんて存在しない、と。

しかし、それでもやはり何かを撮るという段になると、
いつも絶望的な気分に襲われることになった。
当時僕のカメラ、つまりはCANON IXY DIGITAL10に撮ることのできる階調は
あまりにも限られたものだったからだ。
例えばシャドウについて上手く撮れたとしても、ハイライトについては何も写っていないかもしれない。そういうことだ。

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2020年の11月、ある道端での出来事だ。
周囲をファインダーで見渡し、二重像合致する距離感を確認しながら独りごちていると、その人物は私の手に収まっているものがカメラであることに気づいたようだった。
「なんていうカメラなんですか?」
「名前はないんだ」
「じゃあいつもなんていって呼ぶんですか?」
「呼ばないんだ」と僕は言った。
「ただ”ライカ M10-P”という製品名が存在してるんだよ」
「でも単に撮影してるんじゃなくてある意志をもって撮影するわけでしょ?意志を持って撮影する道具に名前がないというのはどうも変な気がするね」
「鰯だって意志を持って動いてるけど、誰も名前なんてつけないよ。ただ、今の状態を名付けるとするなら」
「…するなら?」
「M型かな」
「おや、不思議な人ですね」
「不思議なもんか。ライカユーザーという人種は大概こんなものさ。そもそもあなたはカメラマンというたぐいの人間を買い被っている」
「彼らは意味のないものに価値や観念をあてがうことで、さも価値があるように見せかけるのが得意なだけなんだ」
「それってなんだかとても…」
「とても?」
「身勝手で快楽主義的な響きがするね」
その瞬間、路上のスピーカーに流れていた「Like a Rolling Stone」のボリュームが突然大きくなったような感覚に囚われた。
そして「ライカ・ローリングストン」と聞こえるその歌詞と投げやりにも聞こえる彼の歌い方はいつものように僕を混乱させた。
いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。
僕はスマホでライカ購入後の銀行の残高を見てしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていた。
彼は私に気分が悪いのかと訊いた。大丈夫、少し手ブレがしただけだと僕は答えた。そう、シャッタースピードが少し遅かったせいなのだ。

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「本当に大丈夫?」
「大丈夫です、写真を見て下さい」と僕は言った。
「リッチでしょう?シャドウの階調が。」
彼は「ちょっとよくわからないな」という表情を見せた。
確かにそうだと思う。僕だって突然こんな話をされたら困ってしまうだろう。
「それはつまり、黒から黒のグラデーションが美しいってことかな?」
「ああ」僕は頷いた。「それで合っている」
それまでの的外れな質問とは裏腹な不可思議なほど的確な理解に思わず彼の顔を見返すとその表情は影の向こうにしっとりと隠れてしまっていて、今すぐにでもlightroomでRaw現像する必要があるように思われた。
「コントラストが高いようでもあるし、あるいは・・・低いようでもある」
「まるで」とさらに彼は続けた。

「湿度が写っているようだ。」

そのまま彼はしばらくM10-Pの背面モニタをじっと覗き込み黙りこくっていた。
それは思いの外長く、Summicron 50mm F2を付けたボディですら手首に震えが来るほどの時間だった。
・・・やれやれ。そう思いながら私は彼が次の言葉を発するのをひたすら待ち続けた。

「シャッター。」

20km先で南極の氷が音もなく崩れ落ちるようにおもむろに彼は口を開いた。
そのまま「シャッター?」と聞き直す僕の言葉を遮りながら
「そのカメラのシャッター音聞かせてください」と切り出したのだった。

「よろしい。でも、いいかい?一度しか押さないよ。」
彼は無言でうなづいた。

コトリッ

僕は伝えた通り一度だけ、ただし、これまでのどのシャッターよりも丁寧にそれを切った。マグネシウム合金ダイカスト製のボディはシャッター幕を閉じるというある種の宗教的行為の奏でる音を、とても正確に、けれど余すところなく伝え、夜のゴビ砂漠に落ちた一本の針のように半径1mほどの空気を微かに震わせた。
「これがM10-P?」「これがM10-P。」
そう言ったっきり彼はうっとりしたまま、連写でバッファを使い果たしたα7RIIのようにウンともスンとも言わなくなってしまった。

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ほうける彼の姿はマップカメラの地下から戦利品を抱えて出てきた春の熊ような雰囲気でもあったし、そうでなかった気もする。
あるいは、それは僕がファインダー越しに彼を眺めていたせいかもしれない。
彼は唐突に自分がライカ男であることを告白するやいなや、ベーリング海の蟹漁船の甲板に叩きつける恐ろしい冬の荒波のように早口でこう続けた。

「ねぇ、君」

「ライカを持っている間はとにかく撮り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?撮るんだ。撮り続けるんだ。なぜ撮るのかなんてことはかんがえちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなことを考え出したらシャッターが止まる。一度撮影が停まったら、マップカメラでも何ともしてあげられなくなってしまう。ワンプライス買取のつながりもなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちのレンズ沼の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちのレンズ沼に引き込まれてしまうんだ。だからカメラを停めちゃいけない」

「ちくわ大明神」

「コトリッ」とシャッター音の残響が頭に反芻しやがて大きな響きとなっていく。目眩の中、僕はカメラを持ったまま顔を上げ、まわりをぐるりと見回してみた。
僕は今どこにいるのだ? でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。
いったいここはどこなんだ?ファインダーにうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。
僕はどこでもない場所のまん中から写真を撮り続けていた。

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次回作「色彩を持たないMモノクロームと、レンズ巡礼の年」には期待してほしい気もするが、実際のところ、まるでから7年ぶりに実家に帰ってきた放蕩息子の理不尽な要求を、なぜか断り切れない母親みたいに、このnoteへのスキとフォローを君はきっとしてしまうんだと思う。いや、もしかすると僕がそう期待しているだけのことかもしれないけれど。

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