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【小説】キヨメの慈雨 第三十五話(マガジンのリンク付。これまでの話に飛べます)

↑これまでの話をまとめたものです。






 敵に背を向けていることがまずいということは、流石に小春も理解している。必死に身を翻して凍りつきそうな背筋を白壁にくっつけると、更級がにこやかな表情のままショルダーバッグの中を探っていた。

(な、ナイフとか出されたら詰みなんだけど、ホントにまずいんだけど!)

 顔を強張らせる小春の予想に反して、更級が取り出したのはゼリー飲料だった。その蓋をのんびりと開け、飲み口を唇で挟んで中身を吸い始める。

(··················何これ、どういう状況?)

 小春がその様子を凝視しているのに気づくと、更級は飲み口を小春に向けた。

「いりますー?食べかけでよろしければあげますよー?」

「い、いや、その、そういうことじゃなくて」

 なぜ攻撃してこないのかという疑問を抱いているのは小春の方だが、なぜか更級が首を傾げてしまう。すると彼女の足元でシーズと睨み合っていたスートが、

「依頼人の能力は対象の選択ができないから、味方の体力も奪ってしまう。だからこうしてこまめに補充するしかないんだよ」

「だ、だからそういうことじゃなくて······」

 どうにか隙を見て逃げようとするが、体をわずかに動かす度に更級が少し足を動かしたり目線を変えたりして小春の行動を縛る。

「言いましたよねー?あなた達はわたし達から逃げられませんよー。勝ち目が無いんですからここで大人しくしといてくださいねー」

「······椎菜、『オトナの女性』は仕事が早いんだろ?ここでこの子達とにらめっこするのもいいが、早く始末して他の面々を助けにいかないのか?」

「うーんそうだねー······じゃ、さっさと終わらせよっか」

 そう言って更級がショルダーバッグから取り出したのは、ハンティングナイフだった。

(おいいいいいいいいいいいいいっ!!な、何余計なこと言ってんのネコちゃん!じ、時間を稼げば意澄ちゃん達がどうにかしてくれるかもしれなかったのに!つ、詰んだ。あ、あんなハイスピードでそんな殺意モリモリのナイフを刺されたら、わたしじゃどうにもできないよ!)

 顔面蒼白の小春の脚は震え、逃げることなどできなくなってしまう。だがシーズはスートから目を離さずに小春の脚にすり寄って、

「諦めちゃ駄目よ、小春ちゃん。小春ちゃんが今背負ってるのは、私達二人の命だけじゃないわ。早苗ちゃんの命だって、今は小春ちゃんに懸かっているのかもしれないのよ」

「······そ、そうだよね。諦めちゃ駄目だよね」

 脚の震えが止まったのを見て更級は感嘆の表情を浮かべたが、すぐに笑顔になって、

「安心してくださいねー。普通の暴力で亡くなった人は、たとえコトナリヌシに殺されたとしてもコトナリにはならないらしいのでー」

(や、やっぱり対話ができない人だった!だ、だったら!)

 更級が笑顔のまま高速でハンティングナイフを突き出す。小春の運動能力では、防ぐこともかわすこともできない。そして、その切っ先に重たい感覚が加わった。

「············あらー?」

 ナイフの重さに引っ張られて、更級の体は沈み込んだ。その隙に小春は駆け出して、鈍足なりに全力で走る。

「······どうしてナイフが石に刺さってるんですかねー?小春さんの能力だろうとは思いますけど、どこに石があったんですかー?」

 尋ねられるが、無視する。すぐに追いかけてこないのは、追いつける自信があるからだろうか。家庭にしろ飲食店にしろ加工場にしろ今時なぜわざわざ漬物石を使っているのか不思議だったが、ここは白蔵地区だからとしか言えないだろう。歴史と伝統に助けられた。背後の白壁の向こうにあった漬物石をハンティングナイフの刃に移動させて、使い物にならなくさせたのだ。

「小春ちゃん、流石よ。覚悟を決めたのね!」

「そ、そんなにガンガン戦う訳じゃないよ。でも、じ、自分の身を守るぐらいは一人でできるようになりたい!」

「その意気よ、小春ちゃん!」

 シーズが嬉しそうに言うのに合わせて、小春は後方を確認した。更級が体勢を低くして、高速移動の構えを取っている。直後、更級は残像を置き去りにし、一陣の風となって小春に迫った。

(せ、せっかく淹れてくれたのにもったいないけど······ごめんねママ)

 その瞬間、小春はトートバッグの中の水筒に入っている紅茶を更級の進路上に移動させた。小春の母が四月末の陽気だというのにホットで淹れて耐熱瓶に移してくれたものだ。アツアツのストレートティーを顔面にぶちまけられた更級は変な悲鳴を上げて立ち止まる。ショルダーバッグからタオルを出したのを見たところで、小春は角を曲がった。

「小春ちゃん、ここからどうするの?勝算はあるんでしょうね?」

「あ、あるよ。で、でもまずはどこかに身を隠したい」

 小春とシーズが曲がった先にあったのは飲食店街だった。適当な店を見繕って、曲がり角から四軒目の調理音が一際多そうなそば屋に入る。運良くカウンター席が一つ空いていたのでそこに座った。案内してくれた店員も厨房にいる料理人も他の客も、皆元気が無かった。もっと活気があればスートの聴覚を誤魔化せたかもしれないが、天ぷらを揚げる音や野菜を切る音が絶えないため良しとする。

「シーズ、あの更級って人がどこまで来てるかわかる?」

 尋ねながら小春は厨房の奥に裏口があることを確認し、スマホでストリートビューを開く。

「おいしそうな匂いがあちこちから溢れてきてわかりにくいわね······あ、ちょっと待って。ストレートティーをぶちまけてくれたおかげで判別できるわ。グッドよ小春ちゃん。紅茶の匂いがする女の子が角を曲がってきた。一番手前の店に入ったわね。たぶん、しらみ潰しに私達を探すつもりね」

「わかった、ありがとう」

 礼を言いながら小春は白蔵地区のストリートビューを急いで漁り、大きくうなずいた。

「······何かわかったのね?」

「う、うん、わかったよ」

 萎れた店員が運んできてくれたお冷を一息に飲み干し、小春は立ち上がった。敵に聞こえるように、あえて言葉にする。



「た、たぶん、わたしでもあの人に勝てる」






「お腹空きましたねー」

「そうだな······まったく、敵味方の区別無く体力を奪う能力も考えものだ」

 更級とスートは飲食店の中を覗きながらのんびりと会話を交わす。並び立つ飲食店からの雑音が多くてスートが相手の位置を把握できないが、どうせ小春とシーズでは自分達から逃げきれない。

 趣のあるそば屋の暖簾をくぐると顔色の悪い店員が出迎えてくれて、

「すみません、現在満席なんですけど······」

「お構い無く。すぐに席は空くようなのでー」

 更級が入店した瞬間、小春が席を離れて厨房へ駆け込んだのが見えた。

「お客様、困ります!」

 厨房の料理人が小春を見て言うが、小春はひたすら謝りながら裏口へと走った。

「あらー、対話不可の方なんですかねー。逃げきれないと繰り返し言ってるんですけど······」

 少し困り顔をした更級もまた、壁際に設けられた出入り口からずんずんと厨房に踏み入っていった。その間に小春は外に出てしまう。開け放たれたままの裏口から、揺れるフジの花と真金川が覗いた。

「お邪魔しましたー」

 そう言って更級が外へ出た瞬間。

 彼女は、渡し舟の上に立っていた。

「············あらー?」

 更級が首を傾げて周囲に目を向けると、前方100メートルほどの川沿いを小春が走っていた。おそらく彼女の能力でそば屋から船上に移動させられたのだ。

「お、お客さん、座ってもらえますか······?」

 元気の無い船頭の若い男に遠慮がちに言われ、更級はにこやかに応じる。腰を落ち着けると小春を指差して、

「あの子を追っていただけますかー?追いついて岸に寄せていただくだけでいいのでー」

「あ、あのー、これはタクシーじゃないんすけど······」

「うーんそれは困りましたねー。何か追っていただけない理由でもあるのでしょうかー?」

「いや、理由というか、そういう仕事じゃないというか」

「あ、わかりましたー!あなたも大伴さんの能力の影響で疲れてるんですねー!じゃあ······」

 更級はショルダーバッグからゼリー飲料を取り出し、蓋を開けて飲み口を船頭に向けた。

「いりますー?食べかけでよろしければあげますよー?これで元気出してください」

「え、あの」

「ほらほら、遠慮なさらずにどうぞー」

 そう言って更級は笑顔のまま船頭の口に飲み口を突っ込んだ。






「頑張って小春ちゃん!もう見えてきたわ!」

「ひゅぁ、ひゅぁ、ひゅぁ······し、しんどい」

 ただでさえ未知の敵の能力により体力が削られているのに、全速力で走ったせいで小春の息は絶え絶えになっていた。それでも目的地に何とか辿り着きそうなことに安堵し、シーズに励まされて小春はスパートをかける。

(お、おそば屋さんで高速移動してこなかったのは、障害物が多いうえに何回も曲がらなきゃいけなかったから。た、たぶん、あの人の能力じゃ直進しかできないし、体の頑丈さも上がってないから、じ、人体じゃ壊せないぐらいのものでガードすれば勝てるはず。あとは鈍いわたしがどこまで反応できるか)

 そのとき、背後から猛烈に水が荒ぶる音がした。

「わあー!すごかったです、ホントに追いつくなんてー!ありがとうございましたー!」

「自分の価値を最大限活かす······『オトナの女性』に近づいたぞ椎菜!」

 おっとりした声と、低い声。二人の女声が聞こえた瞬間、小春の心臓は締め上げられた。すぐに振り返ると、のぼせた様子の船頭が乗る渡し舟から更級とスートが降りてくるところだった。

(ま、まだ目的地までは微妙に遠い。こ、こっちもある程度やられる覚悟がいる······!)

 小春がそう思った瞬間、更級が目の前に迫っていた。そのまま激突し、更級の肩が小春のみぞおちに突き刺さる。見た目から判断するに更級も決して体重がある訳ではないだろうが、それでも小春を10メートル以上吹き飛ばすのには充分な威力だった。

 灰色の石畳で体を削るように転がり、スカートと靴下の隙間で露になっている脚のあちこちから出血がある。それだけでなく全身で鈍い痛みが暴れているが、のたうち回る余力も無い。うつ伏せのまま顔だけを前に向けると、更級がにこやかな表情で体勢を低くしていた。視線を落とすと、すぐそこには一か所だけ黒くなった石畳があった。それを見て小春は呻きながらも血が流れる脚で何とか立ち上がる。

「······ナイフが使い物にならなくなってしまったので、わたしの手で始末させてもらうんですけど」

 更級がおっとりした口調で、にこやかに告げる。

「安心してくださいねー。すぐに意識を落として、絞めさせていただきますので」

 更級が地を蹴り、一陣の風となって小春に迫る。

 その瞬間、小春は能力を発動させた。

『ねえ、この色がついてる部分ってどういう意味があるんだろ』

 福富美術館に向かう道中、早苗が尋ねていた。

『これは目印。電柱とかケータイの基地局がどこに埋まってるかのね』

 福富美術館に向かう道中、美温が答えていた。

 そして今、小春が黒色の石畳の真下から、埋まっている電柱を移動させた。

 ゴッッッ!!

 凄まじい激突音がして、電柱がこちらに倒れてくる。千切れた様々なケーブルがぶらぶらと遊び回るのに巻き込まれて感電死などしたら最悪だ。小春は痛む体を全力で動かして道路脇に避難する。

 先ほどよりもさらに大きな衝撃が辺りを駆け抜け、電柱が完全に横たわった。地面に叩きつけられて破砕されたのは、携帯電話の基地局だろうか。

 そしてその根元には、ふわふわしたゆるいカールの髪をした若い女が、頭から血を流して倒れていた。

 若元小春は、自分の身を一人で守った。

 若元小春は、友だちを狙う敵に一人で打ち勝った。




〈つづく〉

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