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【小説】キヨメの慈雨 第三十四話(マガジンのリンク付。これまでの話に飛べます)


↑前回までの話をまとめたものです。






 四月二十八日、午前十一時二十四分。意澄と武蔵野が西園と交戦していたのと同時刻。

 若元わかもと小春こはるは地下通路を抜け、旧福富邸へとやって来ていた。一通り見て回ったが、どうやら早苗はここにいないらしい。小春の能力にも反応しなかったから、どこかに押し込められているという訳でもなさそうだ。

(こ、ここに展示されてる資料の中に地下通路に関するものがあったけど、あれは美術館と福富邸、からくり屋敷、アイビーキャピタル、そして藤高山の地下をつないでるって書いてあった。と、とりあえずみんなに連絡して、みんなも手がかりナシだったら藤高神社で集合しよう)

 小春は福富邸を出て、スマホを確認する。美温からはアイビーキャピタルで敵を倒したが早苗はいなかったという報告が既にあり、意澄からの連絡はまだ無い。藤高神社で落ち合うことを提案する文章を打っていると、先に美温から『倒した人から早苗ちゃんの居場所を聞き出したよ。藤高神社にいるんだって!そこで合流しよう!』というメッセージが送られてきた。

(さ、さすが美温ちゃん、仕事が早い······!というか、て、敵が待ち伏せしてるの?も、もしかしてここにもいる······?)

 小春は不安に駆られて辺りを見回すが、誰も見当たらずにほっと胸を撫で下ろす。緊張状態にあったからか、安堵の息を洩らすと同時にどっと疲れが押し寄せてきた。空腹も感じる。

(そ、そういえば早苗ちゃんはご飯を楽しみにしてたね。が、頑張ればみんなでお昼ご飯を食べられるかも)

 無理にでも思考を前向きにして、小春は歩きだす。藤高神社までは3kmほどあるが、へこたれていられない。歩き通しで既に棒のような両脚に力を入れ直す。通行人がいないため道の真ん中を突っ切り、できるだけ最短距離を取ろうとしたところで、異変に気づいた。

(だ、誰もいない······?いや、お店の中にはいるんだけど、みんなぐったりして外に出てこない······?あ、朝からやけに疲れるのってわたしの体力が無いからだと思ってたけど、これってコトナリの力なの······?)

 立ち止まって周囲を見回すが、川沿いにフジの木々が並んでいるだけで誰も見当たらない。白蔵地区全域をカバーできるほどの効果範囲をもつ能力など考えられないため、どこかにコトナリヌシがいなければおかしい。だが、誰もいないのだ。

「し、シーズ」

「どうしたの、小春ちゃん?」

 少し色気のある声で応えながら煙が立つように現れたシーズに、小春は小声で尋ねる。

「こ、この近くに誰かいる?わ、わたし以外に外に出てる人が」

 するとシーズは鼻を軽くひくつかせて、

「いるわよ、後ろに一人。距離は200メートルぐらいで、若い女ね······へえ、結構いいシャンプー使ってるじゃない。ボディソープも洗剤も柔軟剤もかなりラグジュアリー。でも何かしらね······あ、わかった、さっき着替えたばかりだわ。これから誰かと戦おうってときにずいぶん余裕じゃない」

「敵······で間違いないの?たまたま平気な普通の人とかじゃなくて?」

「ええ。だって、コトナリのにおいがするもの」

 その言葉にびくついて、小春は後ろを振り返ってそのコトナリヌシを確認する。

 目の前に、若い女がいた。200メートルどころか、2メートルも距離は無いだろう。

(い、いつの間に距離を詰めたの······!?)

 戦慄する小春とシーズを見て女はにっこりと笑って、

「わたしは福富グループ特別企画室から参りました、更級さらしな椎菜しいなといいます」

「··················へ?」

 小春が戸惑うと更級と名乗った女は首を傾げて、

「あらー、何かおかしかったですかねー?『オトナの女性は仕事ができる。そして仕事はまず自己紹介から』って本に書いてあったんですけど」

「······おか、おかしくはない、ですけど······」

「なら良かった。あ、失礼かもしれませんがあなたのお名前は存じてますよー、若元小春さん。お名前の通りかわいらしい方ですねー」

「そんなことないですよ」

(な、何この人?て、敵······だよね?)

 ひとまず会話しながらも小春が内心どきどきしていると、更級は一歩近づいて小春の顔を覗き込んだ。

「ちょっとお聞きしたいんですけどー、『オトナの女性』って何だと思いますー?何をもって『オトナの女性』だと思いますかー?」

「え、えと、その······わた、わたし、高校生だからよくわからないんですけど」

「構いませんよー。高校生から見たオトナっていうのも大事なのでー」

「え、じゃ、じゃあ······に、匂い、とかですか」

「匂いー?」

「そ、その、上手く言えないですけど、いい匂いがするイメージです」

 匂い、と視線を落として口の中で呟く更級の様子を窺いつつも、小春は山でクマに遭遇したときのようにゆっくりと後ずさる。しかし更級は勢いよく小春に眼を合わせて嬉しそうに、

「そうですよね!やっぱりシャンプーとか洗剤変えたの、間違ってなかったんだー!」

 その言動で小春は釘を打たれたように動けなくなってしまうが、同時にかすかな希望を見出だしていた。

(よ、良かった······シーズが言ってた特徴を流用したけど、上手くいった。な、何か変わった人だけど対話ができない訳じゃなさそうだからどうにかやり過ごせないかな)

 小春が曖昧に笑っていると、更級はさらに小春に顔を近づけた。ふわふわしたゆるいカールのかかった髪から、ラグジュアリーな匂いがこぼれる。

「他に何か思い当たる条件とか特徴ってありますー?」

「あ、えっとその······し、仕事が早い、とか」

「なるほどー。確かに望さん、楽しむときはとことん楽しんでるけど基本的に瞬殺ですからそれは大事ですねー」

 更級はおっとりとした口調でうなずき、




「じゃあ、わたしも早めにお仕事させてもらいますねー」




 小春の腹に。更級の拳が。一瞬にして。叩き込まれた。

「たはぁっ······!?」

 小春の体はあっさりと宙を舞い、背中から強く石畳に打ちつけられた。頭は何とか守ったが、早くも全身が痛む。もぞもぞと起き上がるが息を上手く吸えず、よろめきながら後ろへ足を運んだ。

(だ、大凶!やっぱり戦うしかなかった!わ、わたしにできるの······?)

 足がもつれて転びそうになるが、シーズが口でスカートの裾を引っ張って踏み留まらせた。

「小春ちゃん、やるしかないわよ。武闘派の友だちは、今はいない。小春ちゃんが戦うしかないわ」

「わ、わかってるけど······いったん撤退!」

 小春は踵を返して走り出し、更級から距離を取る。その背中を眺めていた更級は体勢を低くして、

「どこ行くんですかー?」

 瞬時に小春を追い抜き、笑顔で待ち構えた。

「うわぁっ!?」

 小春は走った勢いを殺せないまま更級に飛び込む。すると更級の脚が凄まじい速度で動き、小春を蹴り飛ばした。走ってきた道のりを丸ごと吹っ飛ばされ、今度は必死に受身を取ってふらふらと起き上がる。

「は、速い!じょ、上級なの!?」

「いいえ、上級のフィジカルからあの速度で攻撃されたんだったら、小春ちゃんはもっとひどいことになってるわよ。たぶんスピードに特化した能力なんだわ。高速移動の能力とかね」

「あらー、バレちゃいましたー?」

「「······っ!!」」

 更級が急接近してきて、小春の顔をまた覗き込んでいた。それがわかった直後に小春は拳による鋭い一撃を喰らい、白壁に叩きつけられる。

「50メートルは離れてた!聞いてたの!?」

 シーズがうろたえると、更級の足元に煙が立つようにそれは現れた。

 錆色の毛並みにしなやかな流線形の体躯を包んだ、大柄なヤマネコ。その爪には野性が漲り、その眼には知性が宿っている。

「聞いてたよ。そこのチャチな犬っころが椎菜の匂いを嗅ぎまわってたときもね」

 低くて力強い女の声がした。更級のヤマネコのようなコトナリの声だ。

「もう、駄目だよスート。煽るのは余裕が無い証拠、オトナの女性のやることじゃないよー」

「いいだろ椎菜、事実を言ったまでだ」

「何ですって?あんた達、覚えときなさい」

 ムッとしたシーズが凄んでみせるが、更級はにっこりと笑ったまま両手を合わせて、

「いいですかー?わたしの能力は高速移動。そしてスートは耳がいいのであなた達の居場所を探れます。つまり、あなた達は逃げ切れません。そして、あなた達は上級ではありません。よって、わたしのスピードには対応できませんよねー?つまり、何が言いたいかというとー」

 更級は相変わらずおっとりとした口調のまま、厳然と告げる。




「あなた達に、勝ち目はありませんよー」







(············止められなかった)

 大伴おおとも治奈はるなは目を覚ますと、ゆっくりと立ち上がった。殴られた頬は痛むし、後頭部が鈍い痛みに覆われている。それでも体は動くし、思考はまとまる。そして、目的ははっきりとしていた。

(あの子達は、本当に巻き込まれただけ。だから、わたしがお兄ちゃんを止めなきゃいけない。今頃あの子達と流星くんや夕香ゆうかさんや福富グループの人達がぶつかってるはず。行くなら今しかない。わたしには、責任があるから)

 自分を倒した少女の顔が脳裏をよぎった。友だちを傷つけられた少女の、優しくて、厳しくて、悲しそうな表情。まっすぐで、鋭くて、泣きそうな眼。治奈は軋む木製の扉を無理矢理開き、少し肌寒い地下通路へ踏み出す。

「············フサギ」

 ぽつりと呼ぶ声が、どこまでもこだました。わかりきっていたことだが、治奈のコトナリは食われてしまったようだ。

(結構長い間一緒にいたのに、お別れもできなかった。あの子に助けられたこともいっぱいあったのに、何のお礼もできなかった······)

 何度も通った道だ。明かりが無くても問題なく進むことができる。それでも、治奈の足は思うように進まなくなっていた。




(······お兄ちゃんも、同じだったのかな)




 治奈の足が、完全に止まった。

(お兄ちゃんも、咲希さんが亡くなったとき、こんな感じだったのかな。突然別れが訪れて、何もできなかったって後悔してるのかな。いや、絶対後悔してる。後悔してるから、こんなことをやろうとしたんだ。でも)

 治奈はもう一度、自分の足で踏み出す。

(突然大切な人を失って後悔してるお兄ちゃんだって、きっと傷ついてる。それなのに、自分自身が誰かから大切な人を奪って、傷つけようとしてる。そんなのは駄目。そんな方法じゃ、お兄ちゃんは救われない。そんなやり方で再会したって、咲希さんは喜ばない)

 気づけば、走り出していた。迷うことなく分岐を駆け抜け、藤高神社に向かう。足は止まらなかった。もう自分には、特別な力は無い。それでも治奈は、一人で戦う決意を固めた。




〈つづく〉

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