【小説】キヨメの慈雨 第二十八話(あらすじのリンク付。これまでの話に飛べます)
↑あらすじの記事に第一~三話のリンクがあります。ジャンププラス原作大賞応募作品(四話以降は審査対象外)ですので規約違反になってしまうのではないかとビビっており、マガジンにまとめていません。続きが気になりましたら、お手数ですがスキとフォローをしていただけますと追いかけやすくなると思います。
↑前回の話です。
「ねえ、この色がついてる部分ってどういう意味があるんだろ」
福富美術館への道中、灰色の石畳の一部が四角く切り取られたように黒くなっているのに気づいた早苗が言った。
「ああこれ?これは目印。電柱とかケータイの基地局がどこに埋まってるかのね。景観保護のためなんだって」
美温が答えると早苗が感心したように、
「へえ~、小学校の修学旅行で京都とか奈良に行ったときもそんなこと言われた気がするけど、白蔵地区でもやってたんだ」
「う、うん。ご、五年か六年ぐらい前にやったんだけど、その、そのときにもいろいろ発掘されたものがあって、長引いちゃったって······」
「そうなんだ~。そりゃ貴重なものがいろいろ埋まってそうだもんね、ここ」
足元を探るように見回す早苗に、意澄は先ほどから感じていた疑問を向ける。
「早苗、もしかして白蔵地区来るの初めて?」
その瞬間。
気楽そうな早苗の表情が、凍りついた。
「··················何で?」
あくまでも明るさを失わないようにしようという早苗の声は、どこか上ずっていた。
(地雷だった······?)
意澄は話題を変えようとしたが、質問されている手前それも不自然だ。結局、薄氷の上を渡るような気持ちで答える。
「えっと、早苗、白蔵地区に入るときすごくはしゃいでたし、天領市の学生なら一回ぐらい来たことあるだろうけど、白蔵地区のことあんまり知らないみたいだったから······」
「············そっか。バレちゃしょうがない」
わざとおどけたような口調だった。
「あたしさ、中二の夏で天領市に引っ越してきたんだよね。それまでは国府市に住んでたの。天領までは電車で二駅だけど、白蔵地区まで来たことなくって。天領に住んでるとわざわざ来る機会も無いしさ。だから、意澄の言う通り、ここに来るのは初めて」
「そう······だったんだ」
早苗に何があったのかはわからない。だがこれ以上この話題に触れることは、意澄にはためらわれた。
「ほら、到着だよ!」
早苗が元の弾むような声で知らせた。
福富美術館。室町時代から続く商家であった福富家が、明治末期から大正にかけて建設した私設美術館。福富グループ創始者である福富本一郎の援助を受けた画家の高島竜次郎が留学中に収集した数々の西洋美術を所蔵する、ここを目当てに天領市を訪れる海外旅行客がいるほどの名高い美術館である。古代ギリシャの神殿を意識した壮麗な外観をもつ本館に入るには、当たり前だが入館券を買わなければいけない。だが天領市在住または通学の学生は、学生証を見せるだけで無料で入館することができるのだ。
「お、御槌意澄ご一行様じゃん」
意澄達が門をくぐって敷地内に入ると、ちょうど館内からクラスメイトの武蔵野航大と彼の友人達が出てきた。
「あれ、武蔵野くん今出てきたとこ?」
「そ。一発目にここに来たからな。すげえわかりやすく説明してくれる学芸員の人がいたから、何の教養も無い俺でも楽しめたわ」
「何そのネットのヤラセレビューみたいな感想」
「いや辛辣ゥッ!」
「意澄ちゃん、武蔵野くんに当たり強いよね」
「そう?何か知らないけどそうなっちゃうんだよね。たぶんどうでもいいんだな」
「いやだから辛辣ゥッ!」
「武蔵野くん、ここ美術館なんだから静かにしなよ」
「御槌······!お前のせいだろうが」
「意澄ちゃん、やっぱり武蔵野くんに当たり強いよね」
言い合った後に武蔵野達と別れ、意澄達は入館する。
まだ午前十時にもなっていないせいか、館内の人はまばらだった。入館した意澄達を正面で迎えたのは、竜次郎の代表作『和服を着たベルギーの少女』だ。
「か、かわいいね······」
「そんなユルい感想でいいのかな······とは思うけどかわいいよね」
小春が小声で思わず呟き、意澄も賛同する。
「全然大丈夫ですよ。一人ひとりが自分なりの楽しみ方ができればいいんですから」
「······ホントですか?」
意澄が尋ねるとそっと近づいてきた学芸員の女性はにこやかに、
「ええ。美術作品には正しい解釈は存在しません。作者の意図すらも超越した感動を与えられるものが、より良い作品ですから。技法とか画材とかの知識はありますが、それよりも先にわたしもその少女はかわいいと思いますよ」
そう言う学芸員の首から提げられた職員証には、『大伴治奈』と記されていた。
「あなたも大伴さん······?」
美温が言うと学芸員は、
「はい。わたしは大伴治奈といいます。もしかして、藤高神社に行かれたんですか?」
「はい。そこでも大伴さんという方に案内していただきました」
「そうですか。それはきっとわたしの兄です」
「え、すごい偶然。じゃあ······」
「はい。まだ他のギャラリーの方が少ないので、わたしがご案内しますね」
「やった、お願いします」
治奈に案内され、意澄達は館内を回る。クロード=モネの『睡蓮』は全世界に本物が複数あることや、エル=グレコの『受胎告知』に描かれたハトが暗示することなど、確かに親切に解説してくれた。
(ん······何これ)
他の三人が治奈と共に次の展示室に向かおうとしたとき、意澄はふと一つの絵画の前で足を止めた。小舟に乗った二人の男が描かれている絵だ。波は荒く、二人の表情は差し迫ったものがある。意澄は美術に関してまったくの素人だが、この美術館の本館に飾られているのだから西洋画なのだろう。だが、舟を漕ぐ男達の髪も瞳も黒い。どう見てもアジア系だ。
「······それが気になりますか?」
振り返ると、治奈がいた。他の三人はこの先の展示室で思い思いに鑑賞しているようだ。
「はい······どうして西洋画なのに、アジアの人が描かれてるのかなって」
「鋭いですね。実はその絵、竜次郎がヨーロッパで知り合った朝鮮からの留学生が、西洋画の技法を駆使して描いたんですよ」
「へえ······昔の巨匠達だけじゃなくて、留学生仲間の作品も集めてたんですね」
「そういうことになりますね。ですが、この絵はそれだけではないと言われています」
「······どういうことですか?」
すると治奈は嬉しそうに微笑んで、
「その作品は『伝承その14』といって、作者であるコン・スンミンの青年期の代表作である『伝承シリーズ』の一つなんです」
「伝承?」
「はい。スンミンは今の韓国南西部の出身で、彼の故郷に伝わる伝承を16枚の絵に残しているんです。この絵に描かれている男達は、戦禍から逃れるために海を渡って日本に向かっているんですよ。それを知った竜次郎は、伝承シリーズの中でも日本とのつながりがあるこの絵を特に気に入って、購入したと伝わっています」
「韓国にヨーロッパ、そして日本······何かいろんな国をつなげていて、美術ってすごいんですね」
「でしょう!そうなんですよ!わかっていただけて嬉しいです!」
小声ではあるが、確かに興奮気味に治奈は言った。彼女は美術が本当に好きなのだと意澄は察した。治奈に限らず、何かを心の底から好きになったり、情熱を燃やして人生を捧げられるものがあったりする人が、意澄には眩しく見えた。趣味も特技も特徴も目標も無い没個性な少女には、羨ましく思えた。
「わたし、もっとここにある絵について知りたいです。というより、治奈さんに説明してもらいたい」
「そうですか······?嬉しい限りですが、一番大切なのは、皆さんがどう感じるかですからね」
わかりました、とうなずきながら、意澄は治奈と共に次の展示室へ向かった。そこでは美温と小春が一緒に木を伐ろうとしている男の絵を見ていたが、早苗は何やら古めかしい扉を眺めながらうろうろしていた。治奈はそれに気づくと、
「開けてみますか?」
「え、いいんですか?」
早苗が訊くと治奈は目の奥を光らせて、
「はい。それは戦時下で空襲から守るために、様々な場所に作品を分散させて置いておくのに使った地下通路の入り口です。戦争の記憶を伝えるために、今でも通路ごと残しているんですよ」
「そうなんですね······じゃあ、開けてみます」
早苗はやや嬉しそうに鍵を外し、扉を開けた。年季のある木製の扉は、それでもスムーズに開かれた。どこまでも闇が続き、ほのかに冷たい空気が肌を撫でる。
直後。
「きゃあっ!」
美術館の中だというのに甲高い悲鳴が聞こえ、意澄は扉に目を向けた。そして驚く。
早苗の体を、二本の黒い腕が捕らえていた。抱きつくような形で回された腕だが、その主は闇に包まれて確認できない。
(いや、違う!体はここにはない!黒い腕が遠くから伸びてるんだ!)
「早苗!」
意澄は叫んで、走りだす。しかし、ゴッ!という衝撃が意澄の顔と体を一面的に襲った。意澄の視界が眩むが、それでも早苗の元へ向かおうとする。だが、進めない。
「壁······?見えない壁がある!?」
美温と小春も早苗を助けようとするが、同じく見えない壁に阻まれて進めなくなっていた。
「意澄!美温!小春!」
早苗が助けを求めるように振り向いた瞬間、どこからか伸びる黒い魔手が蠢き、早苗は闇の中に引き込まれてしまった。
「早苗ちゃん!」
「ど、どうして、す、進めない······!」
三人が歯噛みしたとき、治奈が静かに扉に近づき、そっと閉めて鍵を掛けた。
「············まさか」
言いかけた瞬間、強烈な直感に突き動かされて意澄は横に転がった。ブワッ!と空気が押される感覚をすぐ傍に感じる。見えない壁が直進してきたのだ。美温は小春を抱えて後ろに跳び退いてこれをかわしていたが、壁は尚も追ってきて二人を展示室から締め出してしまった。美温が拳を叩きつけるが、見えない壁を破ることはできない。
「わ、わたしの力でも早苗ちゃんを移動させられない。た、たぶん、かなり距離がある所まで連れていかれた······」
「何これ、どうして早苗ちゃんが!」
小春が不安げな表情で言い、美温は困惑している。『経験値を積ませるために意澄の周囲の人間を巻き込まない』という約束をしたために考えにくかったが、意澄は今の美温の発言でこの事態は彼女が画策したものではないという確信をもった。
「あなたにも出てもらいます」
治奈が平淡に告げた。意澄は前方に水を発射し、その前進が遮られた場所によって見えない壁の位置を把握した。迫る壁を横に跳ねて回避する。一連の意澄の動きを見た治奈は目を丸くして、
「連絡は受けていたけど、やっぱりあなたもコトナリヌシなんですね······!」
(連絡······?誰から?しかも、コトナリヌシでもない速見早苗をどうして?)
藤高神社で突刺岩に抵抗感が無かったり『コトナリヌシ』という単語を聞いたときに呑気な反応をしたりしていたことからも、美温を巡るモルでの戦いのように早苗が実はコトナリヌシだったというのは考えられない。それでも、意澄のやることは決まっていた。
(とりあえず、早苗を助けなきゃいけない。美温も小春ちゃんも今回は参戦できない。見えない壁と黒い腕、少なくとも敵は二人いる。だったら)
拳に力を込め、意澄は思考を切り替える。
(まずはわたしが、こいつを倒す!)
〈つづく〉
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