【小説】キヨメの慈雨 第三十七話(マガジンのリンク付。これまでの話に飛べます)
↑これまでの話をまとめたものです。
「······つまり速見を助けて、速見をさらったその大伴ってやつを倒せば勝ちなんだな」
「そういうこと。でも良かったの?武蔵野くんがついてくる必要は無いのに」
藤高神社へ走りながら、武蔵野は意澄から一通りの説明を受けていた。
「······俺、邪魔か?」
「いや、そういう訳じゃないけどさ。特民室に連絡しようとしてもなぜか圏外だし、味方はいるに越したことはないから」
「気遣いどうも。だけどいいんだ、俺にはすげえ能力なんかねえし。でも、せめて山の麓ぐらいまではついていかせてくれよ」
「······うん、わかった。でも」
意澄は足を止め、武蔵野の顔を見上げた。武蔵野も立ち止まり、困り顔で意澄を見る。
「もう着いちゃったよ」
藤高神社の本殿へと続く長い石段が、二人を待ち受けていた。そして、白色の光の膜が進路を塞いでいる。それが展膜と呼ばれるイブツであることも、コトナリヌシを阻むものであることも、二人はまだ知らなかった。
「······行ってくる」
言いながら意澄は踏み出すが、展膜に思い切りぶつかって変な声を上げた。
「いった!何これ、入れないんだけど!」
「マジかよ、やばいじゃん!」
焦る武蔵野が展膜に触れると、簡単にすり抜けてしまった。
「······コトナリヌシだけを止めるものってことか。これじゃ中に入れない!」
「御槌」
歯噛みする意澄に武蔵野は穏やかな声色で、
「俺が行ってくるよ」
「············へ?」
戸惑う意澄には構わず、武蔵野は背を向けて石段を登り始めた。
「待ってよ、一人で行く気なの?」
「心配してくれてるのか。ありがとな」
そう言って武蔵野は石段を一気に駆け上がる。
「武蔵野くん!」
意澄の声が聞こえるが、止まるつもりは無かった。
(カッコつけて引き返すんじゃ、あいつと一緒だしな)
体力に自信はある。相手の能力で疲れてはいるが、それでも石段を登りきるのにそれほど時間は掛からなかった。
武蔵野が登ってきたのは脇道のようで、荘厳な本殿の裏側から境内に入る。
(······と言っても、何をすればいいのやら。俺一人で大伴を倒すのは難しいだろうし、速見を見つけて逃げるのが最終目標か。もしくは、御槌が入ってこられるようにこの光の膜をどうにかするか)
何をどうすれば良いのか明確にはわからないが、とにかく動き出さなければならない。武蔵野がとりあえず本殿へ向かおうとしたときだった。
ギィッ、と音がして、地面が持ち上げられた。玉砂利が滑り落ち、開かれた木製の戸が露になる。
(こ、これが地下通路の出入口ってやつか?)
誰が出てくるか、まったく見当がつかない。敵だったとしたら、果たして武蔵野一人に勝ち目はあるのだろうか。唾を飲み込み、静かに臨戦態勢を取る。
「······誰か、そこにいるんですか?」
若い女性の声がした。武蔵野は一瞬思案したが、
「いますけど······あなたは誰っすか?」
すると木製の戸からするりと声の主が現れた。その人物に武蔵野は見覚えがある。
「あなたは確か······大伴治奈さん、でしたよね。俺は武蔵野航大です、美術館でお世話になりました」
武蔵野が軽く頭を下げると治奈も頭を下げた。それから差し迫った表情で、
「なぜあなたはここにいるんですか?ここは危険ですので、早く離れてください」
「その危険な所に知り合いがいるんです。だからそいつを見つけて、そいつの友だちのところに帰したい」
「そうですか······」
治奈はそう言って俯いてしまう。武蔵野は若干の気まずさを感じながらも、
「治奈さんはどうしてここに?もしかしてお兄さんの手伝い、とか······?」
武蔵野は身構えるが、治奈は顔を上げて真剣な声色で、
「違います。わたしは兄を止めたいんです。押し切られてしまいましたが、元々わたしは今回のことに反対でした。こんなのは間違ってるから」
「じゃあ、目的は一緒ってことっすね。コトナリヌシは入れないんで一般人の俺だけしか来られなかったんですけど、何かできることはありすか?」
「そうですね······では、展膜の核の破壊をお願いします」
「展膜?」
「はい。この山を覆っている光の膜のことです。おそらく天満社の近くに明滅している缶詰のような物が埋まっていると思いますので、そちらを壊せば展膜は消えます」
「わかりました。治奈さんは?」
武蔵野が尋ねる間に治奈は背を向けて、
「わたしは兄を止めます。わたしがやるべきことですから」
そう言い残して別宮へと歩きだしていった。
(展膜の内側に入って来られたってことは、治奈さんはもうコトナリヌシじゃないんだよな。御槌が倒したって言ってたし)
治奈の背中を見つめていたが、武蔵野もやがて天満社へと走り出す。
(俺も治奈さんも一緒か。特別な力なんて無くても、できることはある)
(また殺した)
燃え盛る美温を眺めながら、花村はショルダーバッグからゼリー飲料を取り出す。蓋を開けて飲み口を咥え、一気に握り潰して中身を流し込んだ。
(············私が殺した)
花村はゼリーを飲み下すと一気に駆け出し、炎に包まれる美温にドロップキックをぶちかました。美温はされるがままに吹き飛び、真金川に突っ込む。ジュゴッ!と凄絶な音がして、燃え盛っていた炎は掻き消された。
(御槌先生の忘れ物すら、この手で殺してしまった。私はこの先あと何人殺せばいいんだ?)
花村は川に沈んだ炭の塊から顔を背け、藤高神社へ向かう。そこで御槌意澄も殺し、今回の仕事を完了させる。こういうことを繰り返しながら、花村は自らの目的に一歩ずつ近づいていく。何年掛かるかはわからない。明日にでも到達するかもしれない。先の見えない中でも、花村は突き進む。
はずだった。
「学校の制服って濡れると恥ずかしい恰好になるからさ、あんまりこういうことしないでほしいな」
明るい少女の声が聞こえる。振り返った先にいたのは、炭の塊などではなかった。花村よりもかなり高い長身に、ダークブラウンの艶のある長髪。水で張りついた制服により魅惑的なボディラインを際立たせている少女は、あれだけの業火に焼かれても無傷で笑っていた。
「炭になったと思っていたが······お前、治癒系のコトナリも憑かせているのか?燃えたはずの制服すらも元通りなのはどういう理屈かはわからないが」
「半分正解。花村さんなら見抜けるかもしれないと思ったけど、流石に難しいか。でも治癒系に関しては合ってるよ。大伴さんの能力下でエネルギー補充のストックに限りがある花村さんと、戦いながら回復できるあたし。どういうことかわかるよね?」
美温は挑発するように妖しく笑い、対して花村も眼をどす黒く輝かせて獰猛に笑う。
「どれだけ遊んでも、お前を殺せないということだろ?面白い、最高のおもちゃだ」
花村と美温は互いに最短距離で猛進し、再び激突する。土煙が舞い、衝撃波が突き抜け、炎が瞬いた。荒れ果てた街並みの中、二人の最上級の戦いは続いていく。
「············ここ、どこ?」
早苗が目を覚ますと、畳敷きの部屋に寝かされていた。美術館で黒い腕に引きずられてから気を失っていたため、本当に畳敷きの部屋ということしかわからない。眠っていたにしてはやけに疲労感があるが、何かされたのだろうか。
「ここは藤高神社の別宮ですよ」
男の声がした。早苗が起き上がって目を向けると、三十歳を少し過ぎたぐらいの男が木戸の前に佇み、穏やかな顔で早苗を見つめていた。
「大伴さん······?あたし、どうしてここに?」
「あなたをここへ運ばせたのは私です。どうしてもあなたが欲しかったので」
「············まさか!」
早苗は後ずさって大伴宗治から距離を取り、身体の異変がないか確かめる。衣服の乱れは無かったが、不信感の込もった眼で大伴を睨みつけた。それを受けても大伴は穏やかな顔で、
「やましいことは何もしていませんので、安心してください」
「じゃあ何であたしをここへ?というかそれより、あたしの友だちは無事なの?」
険しい表情で問い詰める早苗を見て大伴は笑顔になり、
「あなたの友だちは、あなたが知っているよりずっと強い。私の仲間はことごとく破られてしまったようです」
「破られてしまったって、何、意澄も美温も小春も、あたしを連れてきた腕みたいな不思議な力があるの?」
「ええ、そのようです。それにしてもそうですか、友だちがコトナリヌシであることも知りませんでしたか······このまま何も知らないままというのは良くありません。せめてあなたがなぜ死ぬのかということは伝えておきます」
「··················死ぬ?あたしが?」
あまりにも自然に言われたため、かえって恐怖感も現実感も無い。何言ってるの、と笑い飛ばそうとした瞬間、大伴が懐から短刀を取り出した。黒い刃先がチラリと輝き、早苗の喉が一気に干上がる。
「はい。この短刀はイブツという特別な道具の中の一つで、この短刀で亡き人のことを強く願いながら人を殺すと、願った人を蘇らせることができるようです。命の交換ですね」
「············ぁ、あたしを殺して、誰か、生き返らせたい人がいるの?」
「大伴咲希」
その名を口にした瞬間、大伴の顔が翳った。
「私の妻です。三年前の豪雨で亡くなりました」
「············そうなんだ」
三年前の豪雨で、大切な人を亡くした。この街ではありふれた悲劇で、早苗には絶対に理解できない苦痛。それは、誰かの命を奪わなければ抜け出すことができない闇。
「いやいや、でも、し、死んじゃった人を生き返らせるなんてことが、できるの?」
「······普通ならあり得ない話ですよね。それは私もわかっています。ですが、普通ならあり得ない力をもつ人達が、この街にはいる。私もその一人。ならば賭けてみたい。その可能性が少しでもあるなら、私はすがってみたい」
「そのために、ぁ、あ、あたしを、殺すの?」
「もちろん。妻のためです」
断言する大伴の眼差しは、全く揺らがなかった。黒い短刀を手に少しずつ早苗に歩み寄ってくる。早苗は座り込んだまま後ろへ逃げようとするがすぐに壁にぶつかり、目を泳がせるが逃げ道は見つからない。心臓が暴れ、体が震え、汗が吹き出る。
(死ぬの?あたし、ここで?)
ついに大伴が立ち止まり、早苗をまっすぐな眼で見下ろす。黒い刃先の鋭さが、やけによくわかった。
「······た、たた、た」
助けを求めようとするが、上手く声が出ない。それどころか外に人がいるのかもわからない。大伴が膝を床に着けて早苗の顎を掴み、上に向けてがら空きになった首に刃を当てようとする。
そのときだった。
「お兄ちゃん、やめて!」
木戸が勢いよく開き、美術館で出会った大伴治奈が踏み込んでくる。
(そうだ、あたしは治奈さんに誘導されて連れてかれたんだ。じゃあどうして治奈さんが大伴さんを止めようとしてるの?)
ただでさえ恐怖に縛られた早苗の頭はさらに混乱するが、そんな彼女に構うことなく大伴はため息をつき、
「少し面倒なことになりましたね。しばらく眠っていてください」
何をするのか。そう思った直後に短刀の柄で頭を殴られ、早苗の意識は再び途絶えた。
〈つづく〉
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