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【小説】キヨメの慈雨 第十九話(あらすじのリンク付。これまでの話に飛べます)

↑あらすじの記事に第一~三話のリンクがあります。ジャンププラス原作大賞応募作品(四話以降は審査対象外)ですので規約違反になってしまうのではないかとビビっており、マガジンにまとめていません。続きが気になりましたら、お手数ですがスキとフォローをしていただけますと追いかけやすくなると思います。

↑前回の話です。




 『裂傷』。喉にその二文字が現れているのを認識した瞬間、チコが叫ぶ。

「意澄!首を水に変えろ!」

 言われるがまま意澄は能力を行使する。水に変化しても尚、黒色の文字は残り続け、頭と胴をつなぐ円柱形の水塊は横一文字に切り裂かれた。迸る水に意澄は恐怖を抱き、すぐに切り口を塞ぐ。出血は無いが血の気が引いた。

「······そういえば確かに、美温の高熱とか脚の異変とかは、あの加稲って人の能力ではあり得ない。加稲とは別に、美温を狙うコトナリヌシがいるんだ」

「そのようだな。意澄、わかっているとは思うが肉体の水への変化はそう長くは維持できない。さっさともう一人の敵を見つけ出して叩きのめすぞ」

 意澄は周囲を見回す。意澄が気を失った加稲に近づいてそのコトナリをチコに食べさせようとしたタイミングで攻撃が加えられたのだ。相手はこちらの様子を知ることができるのだろう。もしかしたらこちらを目視できる位置におり、すぐに捜せば見つかるかもしれない。

 視界の端で、誰かが駆け出した。即座にそちらに目を向けると、女の後ろ髪が曲がり角に消えていくところだった。

(逃がしちゃまずい!)

 意澄は疲労困憊の体を無理矢理走らせ、女の後を追う。女は美温がいる所とは別の連絡口から、モルの中へと入っていった。意澄も連絡口を駆けようとして、足を止める。

 あんなところに、美温を置いていっていいのか。苦しんでいる美温を置き去りにするのはためらわれるが、彼女を助けるためにはそうせざるを得ない。

「············ごめん」

 呟いてから、意澄もモルへと突入した。

 南北およそ250メートルという広大なモルの内部の南端と北端に立体駐車場との連絡口が取り付けられており、意澄が女を追って入ってきたのは南端の方だった。自動ドアをくぐってすぐ目の前にあるエレベーターは既に下降を始めていた。エレベーターを使わずに同階を横に進んだのか、エレベーターを使った場合は何階で降りるのか、あるいは階段を使ったのか。何も手がかりが無いまま、意澄はひとまず階段を使って四階に向かう。ちょうどエレベーターが開いていたので、降りる人達の進路を阻むように飛び出した。

 中には誰もいない。そして、ボタンは全ての階で止まるように押されていた。

(どこでも乗れるようにしてるってこと······?でも、わたしが乗って待ち構えたところでむしろ乗らずにそのまま撒かれる可能性だってある。これ、どうすればいいの!?)

 意澄がエレベーターを見送るか迷っているとチコが頭の上で、

「意澄、とりあえずさっきの駐車場に戻れ」

「え?わ、わかったけど······」

 意澄がついさっき下りてきた階段を引き返している間にチコは冷静な口調で、

「敵の勝利条件を考えてみろ。ヤツらは何もお前を倒す必要は無いが、お前から逃げ切ることが勝利という訳でもない。美温とかいうお前の友人をさらわなければいけないようだからな」

「うん、確かにそうだね」

「そのような条件下であの女がするべきことは、どうにかして美温をさらうことだ。気絶している加稲とかいうヤツの仲間を叩き起こせればベターだろうな。あのタイミングでお前に攻撃を仕掛けたのは加稲を守るためだろうが、それ以上にお前に自分を追いかけさせることで時間を稼ぐ意味合いがあったんだろう」

「······ってことはまさか!」

「そう、そのまさかだ。あの女ははじめから逃げるつもりなど無い。お前が捜し回っている間にあの場所に戻って、改めて美温をさらうつもりだ」

 意澄は来た道を辿り、フェンスに沿って広大な駐車場を北進する。美温に危機が迫っていると思うと、体の痛みなど問題外だった。あまりにも長い250メートルを走りきり、祈りながら連絡口を覗き込む。

「······い、ずみ、ちゃん」

 美温が意澄の姿を見るや否や、優しく微笑んだ。その笑顔に心底安心し、意澄はすぐさま自分を怒鳴りつけたくなった。

(まだ何も終わってない。さっきもそう思ったのに!)

 美温の傍で手を握ってやりたかったが、それだけでは何の解決にもならない。自らの手で美温を助けるために、意澄は美温の元を離れた。待っていれば、きっとあの女と加稲は現れる。それでも意澄は、一刻も早く美温を苦しみから解放するべく、自分から敵を倒しに向かった。

 そこで、意澄は見た。

「加稲、しっかりしなさい!ねえ加稲!目を覚まして!」

 加稲より少し年上に見える若い女が、彼を揺り起こそうとしていた。その声色は真剣で、その両目は離れていてもわかるほど潤んでいた。

 意澄は、何か揺るがしようの無い強い力に気圧されて、思わず足を止めた。それはコトナリの力などではなかった。そんなものよりももっと強くて、分厚い力だった。

「加稲!ねえ加稲!」

 女が必死に叫んでも、加稲は応えない。ついに女の目から、かすかに光るものがこぼれた。

「··················その人は、死んでないよ。ただ気を失っているだけだから」

 意澄が言うと女は顔を輝かせるが、すぐに鋭い目つきで意澄を睨みつけた。

「······あんたが加稲をこんな風にしたコトナリヌシね」

「そう、わたしがその人と戦った。その人を殴って、気絶させた」

 意澄は自分が潔白などとは思わなかった。自分が殴り飛ばしたとき、加稲は美温を脅かす敵でしかなかった。彼のことを案じて涙を流す人がいることを知った今、自分は何も悪くないなどと思えるはずがなかった。

 それでも。

 加稲が悪くないとも、女が悪くないとも思いたくなかった。

「······あなた達は、わたしの友だちを傷つけた」

 意澄は、女の敵意が込もった潤んだ眼差しをまっすぐ見つめ返した。

「あんただって、加稲を傷つけた」

 女が低い声で言い返す。

「そう。それは美温を守るため。でも美温に責任転嫁なんかしてたまるか。わたしの意志で、わたしがその人と戦った。あなた達は?誰かの指示のせいにして、他の人を傷つけることを肯定するの?」

「············そんなこと」

 女の眼差しに、敵意ではない別の色が加わった。それは後悔か、憤怒か。意澄には判別できなかったが、女は加稲を守るように立ち上がった。

「とっくの前に乗り越えてるわよ!自分で背負っていかなきゃなんだってことはわかってるわよ!」

「······それでも、あなたはわたしの友だちを傷つけるんだ」

「それは違う」

 女が言った。

「あたしはもう、あんたの友だちをさらえとかいう仕事はどうでもいい。ただ、加稲を傷つけたあんたが許せない。だから······」

 そう言って女はスマホを構えた。自らの意志で、意澄に敵対した。

「······そっか」

 意澄は小さく笑って、



「同じだ。わたしもあなたも」

 


 女がスマホの画面に指で何かを書き込んだ。直後、意澄の脳が焼けるように熱くなり、足元がぐらついているような感覚が生じる。恐らく、これがこのコトナリヌシの能力。スマホで撮影した画像に文字を書き込むことで、対象をその通りの状態に変える能力なのだろうか。意澄の額にも美温と同じく『高熱』の二文字が浮かび上がっている。

 女の能力による高熱だけでなく、加稲から受けたダメージ、そして自分の能力を使ったことによる消耗が意澄の体の中で暴れまわっていた。足を出す度に、息をする度に、心臓が跳ねる度に。視界が揺らぎ、意識が薄れ、身体が痛む。

 だが、そんなことは関係ない。

 意澄は女を倒すために一直線に突き進み、拳を放った。女は必死に体を振ってこれをかわし、両者の位置が反転する。

 意澄は拳にまとわせた水塊を振り向きざまに射ち出し、女のスマホを包み込んだ。そのまま内部の水圧を高め、スマホを破壊する。

 武器を失っても尚、女の眼から戦意が消えることはなかった。意澄の喉に攻撃を加えたときに逃げたのは時間稼ぎの意味もあるだろうが、元来直接戦闘向きの能力ではないのだろう。女は自分の能力に固執しない。様々な要因に苦しめられる意澄を直接打ち倒すため、拳を握る。

(この人は、わたしと同じだ)

 自身も高圧の水をまとわせた拳を握りながら、意澄は思う。

(大切なものを守りたい気持ちは、わたしと同じ。ただ、やり方を間違えただけ。ううん、きっと、間違えてすらない。わたしとはやり方が違っただけ。加稲だけじゃなくって、他にも大勢いる大切な人達を守るための道が、これしかなかっただけ)

 何かが違えば、意澄もそうなっていたかもしれない。いや、女から見れば、意澄がまさにそうなのかもしれない。

 だからこそ、意澄は一切の容赦をしなかった。



 女が意澄を殴るよりも速く、たった一撃で女を沈めた。



 気を失った女の体から、煙が立つようにそれは現れた。

 どこかの高校の制服を身につけた少女が、少し面倒くさそうな表情で女の傍に現れた。

「あー、ちょっとまずったなぁ」

 少女が独り言を洩らす。

「誰?もしかして、別のコトナリヌシ······?」

 身構える意澄に少女はひらひらと手を振って、

「あー、身構えなくていいから。わたしじゃあなたを攻撃できないし」

「······どういうこと?」

 すると少女の代わりにチコが、

「ヌシに取り憑いているコトナリは、人間を傷つけることはできない。だからこいつがお前を攻撃することはないぞ」

「そうなんだ······ってええ!?チコ、今何て言った!?この子、コトナリなの?」

 少女は愉快げにケラケラと笑って、

「そうだよ、わたしはコトナリ。エイナっていうの。知らないの?人間の頃の記憶をもってるコトナリは、人間の頃の姿にもなれるの」

「ということだ。意澄が一つ知識を得たところで、エイナとやら、大人しく私に食われろ」

 チコが言うとエイナはいたずらっぽく口の端を上げて、

「あー、あなた、今はチコっていうの?水氷系の上級コトナリさん」

「······?ああ、私の名はチコだが······『今は』だと?」

 チコが不審がるとエイナは眼をギラリと輝かせて、

「あなた、記憶喪失でしょ?」

「······なぜそれを知っている?」

 するとエイナはますます眼をぎらつかせて、

「やっぱりね。だと思った」

「おい、質問に答えろ!」

「あー、質問、というか提案するのはわたしだから」

 言いながらエイナは、わざとらしく両手を広げた。




「チコちゃん、知りたくない?あなたが、本当は何者なのかを」




〈つづく〉

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