見出し画像

【小説】キヨメの慈雨 第三十六話(マガジンのリンク付。これまでの話に飛べます)

↑これまでの話をまとめたものです。






「はぁ··················疲れた」

「まだよ小春ちゃん。もう一仕事あるわ」

 白壁に体を預けてずるずると座り込もうとする小春を、シーズが止めた。

「も、もう一仕事······?」

「そう。あの子のコトナリを食べなきゃいけないの。あの生意気なメスネコをね」

「······わ、わかった。が、頑張って歩く」

 小春は鉛のような全身にどうにか言うことを聞かせて歩く。すぐそこで倒したはずなのに、かなりの距離を移動した気がする。やっとの思いで、気絶している更級の元へ辿り着いた。

「わ、わりと血が出てる······て、手当てした方がいいよね?でもわたしじゃ何もできない。救急車とか、よ、呼ばなきゃ」

「そうね。でもまずはコトナリを食べるのが先だわ。目を覚ましたときに、能力で抵抗されたら困るから」

「うん、お、お願い」

 小春は一歩下がり、シーズは一歩進み出る。シーズは尻尾をぶんぶん振り回しながら口を開いた。小春はシーズが他のコトナリを食うところを見るのは初めてだが、彼女がこんなに嬉しそうなのを見るのも初めてだ。

(······ホントは他のコトナリを食べたいんだよね。わたしがビビりなせいで、シーズをずっと我慢させてたんだ)

 コトナリがどうやって他のコトナリを食うのか気になっていたが、小春は俯いてしまう。シーズが全身で喜びを表現しているのを、これ以上見ていられなかった。

「小春ちゃん」

「············何?」

 呼ばれて、小春は目を合わせずに応える。

「食べられないわ」

 言われて、小春は視線を上げた。シーズの表情は、決して明るいものではなかった。

「············どういうこと?」

「あのメスネコが反応しないのよ。ヌシとの結びつきが弱まっているときに食欲を向けられたら、コトナリは食べられやすい形になるよう反応するのに。体力満タンの最上級ならヌシとの結びつきが無くても食べられないでしょうけど、あいつがそうだとは思えないわ」

「つ、つまりどういうこと?」

 小春が少しびくびくしながら尋ねると、シーズは鼻をひくつかせて険しい表情で告げる。




「今私達が更級椎菜コトナリヌシだと思っているものは、ニセモノだってこと」




 その瞬間。

 更級の体が消えた。電柱が消えた。そして、石畳に広がった鮮血が消えた。

「意外と早く気づかれた。コトナリが食うところまでは誤魔化せねえって!」

 背後から声が聞こえて、小春はすぐさま振り返る。そこには小春と同い年かそれより少し幼いぐらいのスポーツ刈りの少年と、サラリーマンらしきスーツ姿の大人しそうな男が佇んでいた。サラリーマンの腕には、更級がぐったりと抱き抱えられている。彼らの後方には電柱が横たわっていた。

(い、いつから?いつの間に!?)

 小春の動揺を見て取ったのか、少年は歯を見せて笑いながら、

「ヌシには気づかれてなかったし、まあ合格かな!そうだろ?」

 少年に目を向けられたサラリーマンは苦笑いして、

「残念ながら更級はご活躍をお祈り申しあげますよき止まらない涙腺パフォーマンス」

「······よくわかんねえけど何となくわかった!じゃ、トンズラしようぜ。更級さんの手当てをしないと」

 少年が言うとサラリーマンがうなずき、三人の姿がうっすらと消えていく。どちらの能力か、あるいは二人の能力の組み合わせか、はたまたイブツというものの力なのか、小春には判断できない。それでも、叫ばずにはいられなかった。友だちに及ぶ脅威を、排除せずにはいられなかった。

「ま、待って!」

「············桃の木。何もしないことができられなくているのか?」

 サラリーマンが意味不明な言葉を発しながら小春を一瞥した。

「······ど、どこに行くんですか?そ、その人は逃がしちゃ駄目なんですけど············」

 小春が声を振り絞ると少年が手で制して、

「やめときなよ」

「だ、だけど!」

 一歩食い下がろうとする小春に少年は自然な声色で、

「あんたじゃ無理だ」

「··················!」

 たった一言が、小春の足に太い釘となって突き刺さる。何も言えなかった。意澄なら、突き進むかもしれない。そう思うと、ますます動けなかった。動けないことに、何も言えなかった。

「じゃあな。また会うときは、よろしく」

「君は努力a beautiful starにより私の同じ道を打ち破れることがある」

 更級を抱えたサラリーマンとスポーツ刈りの少年は、完全に姿を消した。全身の力が抜け、小春はぺたんと座り込む。

「··················し、シーズ」

「あいつらは何なの?金をもらってる福富グループの一員······ってことかしらね。それにしてもあいつら、小春ちゃんの名前や私達の能力を知っていたみたいだけど、それはどうして?」

「わ、わからない。わからないよ」

 自分の身を一人で守った。初めて戦って、初めて勝った。それでも、高揚感は無かった。ある訳が無かった。

「············い、行こうシーズ」

 未知の敵の能力で体力が奪われている中、どこまで歩けるかはわからない。それでも小春は立ち上がって、藤高神社を目指す。目指さなければならなかった。そうでなければ、また逃げることになってしまう。小春は何もできないより、何もしないことの方がずっと嫌だった。






「イズミ······意澄か。そういえばあきらがあいつのことを『御槌意澄』と言っていたな」

 突然現れた長身長髪の少女の言葉に、花村はわずかに眉をひそめた。

「そう。花村さんなら聞き覚えあるんじゃないの?」

(······こいつ、私のことを知っているのか?それに、『御槌意澄』だと?まさか······)

 訝りつつも顔には出さずに、花村は長身長髪の少女に応じる。

御槌先生・・・・の娘、ということか?」

「正解。やっぱ知ってたんだ。御槌教授、あたしにもよく意澄ちゃんのこと話してたからさ」

「······なぜ御槌先生のことを知っている?あの人が亡くなる直前ですら、お前はまだ中学一年のはずだ。お前は何者なんだ?」

「あ、自己紹介まだだったね。あたしは政本美温。意澄ちゃんの同級生だよ」

「バカが、そんなことは聞いていない。お前と先生に何の関係があるんだ?」



「第三次調査研究」



 美温は短く告げた。

「花村さんも資料を読むぐらいはしたことあるんじゃない?」

 そう言って、美温は明るく笑った。試すように、誘うように。

「······様々な学問領域から総合的に歴史の真相を追究するプロジェクトか······御槌先生が中心になっていたな」

「そう。あたしも参加してたんだよ。と言っても、研究される側だったけどね」

「············おい待て。まさかお前は、コトナリヌシの!」

「半分正解。でもまだ不合格かな」

 どこまでも明るい声で笑う美温は軽く腕や足首を回し、

「おしゃべりも好きだけどさ、そろそろ体を動かそうよ。せっかくあの花村望さんと戦うチャンスが来たんだから、あたしドキドキしちゃってるんだよね」

「······何だそれは、気色悪い。まあせいぜい楽しませろ」

 花村の言葉にうなずいた直後。

 美温は一直線に突き進み、花村を狙う。

(速い!)

 花村は思わず口の端をもち上げ、美温の眼前で爆発を起こした。衝撃波を受け流し、爆炎を全て美温へと向ける。先ほど壊された蔵の戸がさらに弾け飛び、瓦が押し剥がされた。

 しかし、見覚えのある大きな盾が少しも怯むことなく土埃を切り裂いて前進してくる。激突すれば無傷では済まないと判断し、花村は前へ跳び上がって回避する。空中で体を捻り、着地した瞬間に盾の裏側にいる美温へ回し蹴りを放った。だが、

(······いない?)

 脚が空を切ると同時、脇腹に凄まじい衝撃が加えられて花村は真横に吹っ飛んだ。蔵に叩きつけられ、白壁にヒビが入る。

「まずはご挨拶って感じかな」

 土煙が晴れると、美温が明るい笑顔で歩み寄ってきているのがわかった。盾だけを飛ばして自らはその場に留まり、花村の不意を突いたのだ。

「······ナメやがって」

 花村は白壁から身を起こし、全速力で駆ける。美温もまた花村に突っ込んで、両者の拳が交差した。花村の拳は鋭く、重い。だが美温の長く滑らかな腕が先に伸び、その拳が花村の顔面を捉えた。花村の拳は、美温の顔に届く寸前で止まってしまう。

「こういう身体に産んでくれたお母さんに感謝かな」

 美温がさらに踏み込み、次擊を放とうとしたとき、

「親ガチャ成功者がイキるな、女子高生クソガキ

 花村は握り締めた手を開き、掌から高熱火炎を放射した。美温の顔は即座に炎に呑み込まれ、力が抜けた体を花村は蹴り飛ばす。ごろごろと転がる美温を見て、花村は舌打ちした。

(同系統の能力どうしだと抵抗力があるため効果が弱まるが、こいつも炎熱系か?火傷すら無いし、髪は焦げるどころか艶が失われていない。最上級わたしの攻撃にここまで抗うとは、かなり上級のようだな······)

「めっちゃ熱い!ホントに危なかった!」

 はしゃぐように大声を上げる美温に花村は急接近し、跳び膝蹴りで顔を狙う。美温はブリッジのように上体を反らして手を地に着け、下半身を跳ね上げて長い両脚で花村の脇を挟んだ。そのまま体を一回転させ、花村は頭頂から石畳に激突する。直後に美温は花村から足を離し、手の力で跳び上がって体勢を変え、着地と同時に仰向けの花村へ拳を叩きつける。

 だが花村はそれを右手で防ぎ、左手で美温の足を払った。花村はブレイクダンスのように体の向きを変え、曲げた膝を一気に展伸して浮き上がった美温を打ち揚げた。高く舞い上がった美温の体は猛スピードで落下してくる。落下点に滑り込んだ花村は両手で高熱火炎を放つが、美温は手に握ったワイヤーガンから発射した針を白壁に突き刺し、巻き戻したワイヤーに引っ張られて攻撃をかわした。

「すごいよ花村さん、やっぱりすごい!」

 着地した美温は目を輝かせるが、花村は今一つ楽しめずにいる。

(盾の形をした炎熱系の武装型かと思っていたが、今のは明らかに別物だった······重憑か?それならこの身体能力も納得だな)

 このまま格闘戦を続けてもリーチで不利な自分では少々手間がかかると判断し、花村は右手に炎を現出する。それは細長く形成され、やがて剣を形作った。

「ちょっと、あたし素手だよ?」

「知るか」

 花村は美温に詰め寄り、炎剣を振るう。美温は後方へ足を運んでこれを回避するが、花村は追撃した。だが美温は消火器を現出し、花村の手を目掛けて噴射する。白い消化ガスが視界を覆うが炎剣は消えず、さらに激しく燃え始めた。

「ナメやがって」

 花村は炎剣を振るってガスを切り拓いた。だがそこに美温はいない。

 ザンッ!

 気配を感じて振り向くと、美温は背後にいた。だがそれがわかった瞬間、花村の視界は崩落していく。

「別にナメてる訳じゃないよ。でもそういう風に思ったんならあたしが悪い。ごめんなさい」

 花村の背中は地に着き、見上げられた美温の手には刃が赤く彩られた半月刀が握られている。目を動かすと、花村が履いている真っ赤なジーンズに包まれた両脚がゴトリと倒れる光景が飛び込んできた。

(斬られたか······)

 花村はうんざりしたように目線を上に動かして、切断された両脚に火を点ける。一瞬で灰になった古い両脚に替わって、裁ち斬られた赤いジーンズの切り口から、細い生脚が飛び出た。

「まったく、遠慮なくぶった斬りやがって」

 言いながら花村は転がって美温から距離を取った後で立ち上がり、ぴょんぴょんと軽く跳ねて脚が動くことを確かめる。

「謝るんだったら弁償しろよ。お気に入りのジーンズだったんだぞ」

「気になるのそこなんだ······でも短くなった方がいいかも。似合ってるよ」

 美温が半月刀を手の中で回しながら朗らかに言うと、花村は舌打ちした。

 その眼は暗く、激しく、熱く、淀んでいた。




「先生の研究資料だろうが関係ない。あんまりふざけてると殺すぞ」




 美温の体が瞬く。

 直後、美温の全身が壮絶な炎に包まれた。

 少女が焼けて朽ちていく様子を、花村は淀んだ眼差しで眺めていた。




〈つづく〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?