【小説】キヨメの慈雨 第二十話(あらすじのリンク付。これまでの話に飛べます)
↑あらすじの記事に第一~三話のリンクがあります。ジャンププラス原作大賞応募作品(四話以降は審査対象外)ですので規約違反になってしまうのではないかとビビっており、マガジンにまとめていません。続きが気になりましたら、お手数ですがスキとフォローをしていただけますと追いかけやすくなると思います。
↑前回の話です。
「私が何者か、だと······?」
エイナと名乗るコトナリの発言に、チコは思わず呟いていた。それを見てエイナは口の端をゆっくりと上げて、
「そう。あなた、記憶喪失なんでしょ?そりゃああんなにボコボコにやられたら、記憶だって飛ぶよね。あー、でもあのときはあの子はいなかったから、やられた後で記憶がなくなったんだ」
「あのときだのあの子だのもったいつけるな!お前が知っていることを教えろ!」
チコが怒鳴るとエイナはいたずらっぽく眼を輝かせて、
「嫌だ」
平然と言い放った。
「······何だと?」
「あー、チコちゃん。あなた、だいぶお嬢様だよね。自分が望めば周りが何でもやってくれると思ってるでしょ。コトナリヌシにもそういう風に思ってるんじゃない?都合のいい手駒って感じに」
「そんなことはない!」
「あれ、ムキになっちゃってる。図星だったかな?結構かわいいとこあんじゃん」
ケラケラと笑うエイナにチコは舌打ちする。意澄を都合のいい手駒だと思っているのではないかと言われたことに腹を立てたのが、自分でも意外だった。
その意澄からはまだ『裂傷』や『高熱』の二文字が消えていない。エイナのヌシの執念が強く、気絶しても尚能力が持続しているのだろう。エイナを食べない限り能力は消えないはずだ。苦しくないはずがなかった。それでも意澄は冷静な声色で、
「時間稼ぎはさせないよ。何か取引がしたいんでしょ?だったら、あなたのヌシが目覚める前に済ませたいんだけど」
「······あー、バレちゃった?根性論者かと思ってたけど賢いね」
ぺろりと舌を出すエイナは、どこにでもいる高校生に見えた。それでもその瞳には狡猾な光を宿している。
「取引だと······?」
「そう。わたしはチコちゃんの過去について知ってることを全て話す。見返りにあなた達はわたしと鎮賀を······わたしのヌシを見逃すの。あー、置いてくと鎮賀が嫌がるから、加稲も一緒に連れてこうかな。どう?そんなに悪い話じゃないと思うんだけど」
その提案に、チコの心臓は跳ね上がった。コトナリを一体ずつ食っていっても、いつ自分の記憶が戻るかはわからない。目の前のエイナを食っても、飛躍的に力がつくかはわからない。だがこの取引に応じれば、少なくとも失った記憶を埋め合わせることができる。エイナの提案は、チコにとって魅力的だった。
エイナがさらに追い打ちをかける。
「あー、チコちゃん。あなた、上級のわりにはヌシに押しつけてる負担が大きいっぽいね。わたしもフタコブも一般のコトナリだけど、能力の継続使用、もしくは連続使用についてはそこまで問題なくできるよ。もし記憶を取り戻せば、あなたも上級らしくヌシに楽させられるんじゃないの?コトナリの記憶と力は相関があるんだから」
「············」
チコは黙っていた。自分に大きな力があれば、意澄はもっと楽に勝てたのではないか。自分に確かな記憶があれば、意澄が知ろうとしている三年前の豪雨や彼女の父親についての手がかりもあるのではないか。それを思うと、何も言えなかった。
目立った反応を示さないチコなど面白く感じないのか、エイナは意澄に目を向ける。
「賢いコトナリヌシさん、あなたはどう?コトナリって人の心が読めちゃうからさ、あなたがわたしに興味もってるってことがわかるよ。人間の頃の記憶をもってるわたしが、気になるでしょ?」
エイナの狡猾さが、父親を失った少女の心に牙を立てようとしていた。チコだけでなく、意澄にとっても魅力的な提案。チコには意澄の心の中を覗くことがためらわれた。
しかし。
「お断りだよ」
厳然と、意澄は拒んだ。
「意澄、待て。断るのはまだ早い」
「いや、遅すぎるぐらいだよ。確かにあの豪雨とかお父さんのこととか気になることはある。だけど、取引はできない。チコ、この子を食べて」
意澄は痛みと消耗と高熱に耐えながらも、決して折れることのない強い眼差しで言った。エイナは失望の色をわずかに滲ませて、
「あー、一応訊いとくけど、どうして?もしかして、鎮賀と加稲が目を覚ましたらあなたに反撃するんじゃないかとか思ってる?だったらそれはないよ。ああ見えて、約束は守る人達だから。わたしが説明すれば、たぶんあなたからもあなたの友だちからも手を引くし、能力も解除する」
「そういうことじゃなくてさ」
意澄は額にへばりつく汗など無視して、
「鎮賀って人と加稲が目覚めるまで待たなきゃいけないんでしょ?だったら駄目。だって、その間美温が苦しい思いをしたままになる」
そのときチコは、御槌意澄という人間の根幹の一端を見た気がした。この精神の上に、意澄は成り立っていると悟った。なぜ意澄がチコを助けたのか、完全に理解した。
それでも、チコだって引き下がれなかった。胸の中の違和感を揉み消して、食い下がるしかなかった。
「だが意澄、私の記憶が戻ればお前の負担が減るんだぞ?そうすれば豪雨に関する情報が得られるかもしれないし、お前の父親についてだって何かわかるかもしれない」
「そんなの」
意澄は言う。
「わたしの都合でしょ。美温を放っとく理由にならない」
「意澄、お前の負担が軽くなるんだ!取引に応じろ!こいつらはもうお前にも美温にも手を出さないと言っているだろう!仮に約束を破ったとしても、記憶の埋め合わせができれば私の力が高まり、返り討ちにできる!だから断っては駄目だ!」
「いや、そんなの駄目。これからのわたしが楽できるぐらいなら、わたしは今すぐ美温を助けたい」
「意澄!少し冷静になれ!」
冷静ではないのは、チコの方だった。そんなことは、自分が一番よくわかっていた。胸のつかえを吐き出そうと咳き込むように、無意識に大声を上げていた。
「やつの能力はすぐに解除される!美温はこのまま死んだり一生苦しんだりする訳ではない!取引に乗れば、誰も損しないんだ!私も、美温も、もちろんお前も、みんなが助かる!私の記憶が戻ればお前は強くなれる!きっと、いや必ず、求める答えに辿り着ける!だから!」
「チコ!」
意澄が初めて怒鳴った。
「わたしは美温を助けたい、今はそれが全部!これからも、あなたの記憶が戻るように協力する!でも約束して!わたしが誰かを助けようとするときは、それを絶対に最優先にするって!じゃなきゃあなたの力は二度と借りない!」
「ならばやってみろ!私の力を借りずに、全てを解決してみせろ!だがそんなことは無理だ!私とでなければ、お前は美温も、他の者達も、助けることなどできない!」
こんなことは言いたくなかった。それでも、口から流れ出て止まらなかった。意澄の根幹を揺るがす力など微塵も無いとわかっていたのに、止められなかった。
それなのに。
「だったら」
意澄の眼を、暗い光が貫いていた。
「わたしは今すぐ能力を解除する」
意澄の声を、儚い力が覆っていた。
「そうすればさ」
意澄の心を、獰猛な知性が支配していた。
「喉がかっ裂かれて、わたし死ぬかもね」
意澄は、笑った。楽しむように、謳うように、嘲るように、煽るように、試すように。
そして、誘うように。
「そうなったら、チコってどうなるの?死にはしなくても、ヌシがいなくなって困るんじゃないかな。ヌシに取り憑いていないコトナリは他のコトナリに食べられちゃうんでしょ?なら、食べられないようにちょっとでも力をつけなきゃいけないんじゃないかな。つまり」
意澄の眼差しが、声色が、表情が。チコの眼を捉えて離さない。
「わたしが死ねば、エイナを食べるしかないよね。わたしが死ねば、美温を今すぐ助けるしかないよね」
言いながら意澄は、首の裏側から徐々に肉体を元に戻していた。滑らかな首筋の中に、ぽっかりと空いた湖のように水を残している。湖底には『裂傷』の黒い二文字が確かに沈んでいた。
「もう一度言うよ。わたしが誰かを助けようとするときは、それを絶対に最優先にするって約束して」
チコは、もう一度御槌意澄の根幹を認識した。
「······················································わかった」
たった一言。
呟いて、チコは口を開けた。瞬間、エイナの全身が光に包まれる。
「あー、マジか。そうなっちゃうんだ」
エイナは口振りに反して愉快げな表情で言った。
「意澄ちゃんだっけ?すごいね、わたしより取引上手だ」
エイナは少しずつその存在を薄らがせながらも、ケラケラと笑う。
「死に際にサービスしてあげるのも癪だから、何も教えてあげない。でももしかしたら知らない方がいいかもね。そっちの方がずっと幸せ」
一人で喋って勝手に満足しているエイナに、チコも意澄も何も言わなかった。するとエイナはわざとらしく口を尖らせ、そっぽを向いてしまった。
「······食らうぞ、お前の命」
チコが真剣な眼差しで見つめるとエイナは不意に顔をこちらに向けて、
「あー、しょうがないなぁ。これから頑張ってね、意澄ちゃん」
そう言って、本当に励ましているように明るく微笑んだ。
直後、エイナが霧状の光の粒子となり、チコの体内に吸収されていった。
「··················」
チコは目を瞑って、目の前に確かに存在していたコトナリのことを思った。
どこかの平原が、目の前に広がっていた。
刀や槍や盾を持ち、簡素な防具を身につけた人々が、こちらへ押し寄せてくる。彼らに対して分厚くて高い水の壁を波のようにぶつけた。その水圧にある者ははね飛ばされ、ある者は首がおかしな方向に曲げられた。
「この······コトナリどもがぁぁぁぁっ!」
そう叫んで槍を投擲した男は、直後に水の刃で腹を貫かれた。
「······、···コ、チコ、チコ!」
意澄の声で、チコは意識を引き戻された。
「どうしたの?大丈夫?」
ついさっきまで対立していた相手の顔を、意澄が心配そうな顔で覗き込んでいた。
(今のは······一体?)
思いながらもチコは平静を装って、
「問題はない。それより、お前はもう大丈夫なのか?」
意澄は『高熱』の文字が消えた額に手を当てて、
「うん。熱も下がったみたいだし、首も大丈夫っぽいよ」
そう応えて、首を完全に元に戻した。
「ねえチコ」
意澄が穏やかな口調で言う。
「えっと······焦らなくていいんだよ。わたし、チコのこと負担だなんて思ってないから。ちょっとずつだけど、チコが完全復活できるまで一緒に頑張りたいって思ってる。だから、焦らなくていいよ」
「······そうか」
フッと、胸につかえていた違和感が消え去った。今なら、その違和感の正体を明確に判別できる。
(私は、嬉しかったんだな。こいつに助けてもらって、本当は嬉しかった。だけど、そんなに都合よく助けてもらえるなんておかしいと、心のどこかで自戒していたんだ。だがこの世界には、他者を助けることを当たり前と思って、それに全力を尽くすやつもいる。私はそれに驚いて、戸惑って、それでも嬉しく思っていたんだな)
そんなことは口には出せないが、チコは少しだけ、それでも確かに意澄を理解した。だが、わからないこともまだある。
(私に約束を迫ったときにも見えたが、こいつの底知れない力は何なんだ?心を読もうとしても読み取ることができない、こいつの奥底にある過去は何なんだ?)
不明なことはまだあるが、まじまじと見つめられて首を傾げる意澄を見ていると、どうでもよくなってきた。
「意澄、とりあえず美温の無事を確かめに行け。ここまで必死になって助けたんだからな」
「うん、そうしよっか」
促されて意澄は歩き出し、チコも後ろからのろのろとついていく。
「チコ」
もう一度意澄が呼んで、後ろを振り返った。
「」
何かを言おうとした瞬間、意澄が後方へ吹き飛ばされた。いや、殴り飛ばされた。
「意澄ッ!」
叫びながらチコが振り向くと、そこで、彼は立ち上がっていた。
「······おい、行かせると思うかよ」
まだ、決着はついていなかった。
加稲が強い戦意を両眼に宿して、静かに拳を構えていた。
〈つづく〉
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