ショートショート『黒装束の男』
俺は小中高といたって普通の学校で過ごした。少し背伸びして国立大学なんて目指したものの結果は不合格。やりたいこともなかったし、一浪するよりも無難な大学に行く事を決めた。
友達もそれなりにできたし、顔も頭も平均の俺にも彼女が出来た。大学を卒業してすぐに別れたけど。
そんな俺は就職活動4社目で内定をもらうことが出来た。文房具を売っている会社だ。業績はというと普通。可もなく不可もなくといった感じだ。毎週行われる企画会議、営業ノルマもありそれなりに大変だったりする。
そんな俺を唯一癒してくれるのが受付のカスミさんだ。歳は一つ上で、本田翼似の美人だ。まぁ、癒してくれるといってもただ挨拶してくれるだけだけど。それでも俺はこの会社で働く理由の一つに彼女の存在が大きかった。
「お疲れ様でした。」
「あ、お疲れ様です。」
そう言って俺は定時に会社を出た。
「どうせ彼氏いるんだろうな」
そう呟くと何とも言えない虚無感に襲われた。
ふと信号待ちをしていると、目の前から真っ黒いモノがこちらに迫ってくる。
なんだあれ?
そして、それは俺の目の前まで来た。
それは190cmはあろう体躯に黒い衣装を身に纏い手には大きな鎌を持っている。
こんな街中で鎌を所持してるなんて絶対にヤバい。逃げないと!しかし、体がうまく動かない。
「田中拓哉だな?」
そう言われ思わず顔を上げた。
「お前は一か月後の夕方6時に死ぬ」
言われた言葉を頭の中で反芻するが理解が追いつかない。
黒装束の男はジッと田中拓哉を見ていた。
「ちょっと待ってくれ。お前は一体なんなんだ」
「私は死神だ。お前の寿命を伝えにきた」
「死神?」
確かにこいつは黒装束だし鎌を持っているし死神っぽいけど・・・そこで俺は周りの違和感に気付いた。
「俺にしか見えてない?」
周りを行きかう人々はまるでそこには何もないように田中拓哉の横を通り過ぎる。こんな怪しげな男がこんな鎌なんて持っていたら普通は騒ぎになるところだ。
そして、黒装束の男は言った。
「死神の姿は寿命が近い人間にしか見えない」
俺は思わず後ずさった。
「お前が他者から見えないっていうのはわかった。お前はホントに死神なのか?」
「そうだ。お前の寿命を伝えに来た。お前の寿命は一か月後の6月12日だ」
「いや、でも、俺はまだ24で今までも大きな病気になった事はない」
すると、黒装束の男は信号を渡っている一人の中年男性を指さした。
「あの男は間もなく寿命で死ぬ」
こんなところで?心臓麻痺か?それとも・・・田中拓哉は中年男性の動きに目を凝らした。
遠くで激しいエンジン音が聞こえる。それが徐々に近づいてくる。
あっという間の出来事だった。暴走した車が中年男性をはね、中年男性は宙を舞った。
それを見た女性の叫び声とともに現場はパニックになった。
もう中年男性は動いてはいない。即死のようだった。
黒装束の男は言った。
「寿命というのは、老衰や病気の事だけじゃない」
「じゃあ、俺もあの人みたいに死ぬって事か?」
「死因は言えない。だが、一か月後必ず死ぬ」
それから俺は一か月間どう生きるか考えていた。
今死ぬ事に別に悔いはない。怖くないと言ったら嘘になるが。まぁどうせ死ぬならやったことのない事やり尽くして死のうと思っていた。
まず始めに行なったのがパチンコ。今の会社に勤め、特に趣味もなく、ただただ同じ生活を繰り返す毎日。そんな俺にはお金があった。こういう機会に使ってみるのもいいかもな。
パチンコの知識は皆無でとりあえず台に座る。
お金を入れレバーを回すと玉が勢いよく飛び出し、回りながら落ちていく。それを一時間程度続けていたが、すぐに飽きた。この一時間で俺の財布から二万円が消えた。
「何がそんなに楽しいんだよ」
次の日曜日にはバンジージャンプをする為、茨城県に向かった。
ここにはロケーションも最高で、日本トップクラスの高さを誇るバンジーがあるらしい。
安全機具を装着後、俺はなんの躊躇いもなく飛び降りた。
そして、俺の体は回収されなんの達成感もないまま再び電車に乗り家路につく。
無音の部屋で一人になると思う。
「こんな達成感も充実感もない人生、なんの為にあったんだろうな」
週初めの月曜日。俺は通常通り会社に出勤した。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
カスミさんに挨拶し俺は受付を通り過ぎた。
「カスミさんと会えるのもあと一か月か。」
そんな事を考え思わず振り返る。そこには俺を唯一癒してくれた彼女の姿があった。
「あと一ヶ月だしな」
そして、俺は受付の前にいた。
「え、ご用件の方は?」
どうせ一か月後死ぬんだし、そもそもOKしてくれるはずないし、ダメで元々だし。
そんな想いで彼女の前に立っていた。
「あのどうかされましたか?」
「あの・・!」
「はい?」
「俺と・・」
その次の言葉がなかなか出てこない。
カスミさんは怪訝そうにこっちを見ていた。
「俺と・・付き合ってください」
ちょっと声が裏返った。俺は目を背けたくなった。
カスミさんは頬を赤らめ伏し目がちに言った。
「今は仕事中です。業務に戻ってください」
ダメだった。月曜はいつも企画会議があるがそれも手につかない。
一か月後に死ぬとはいえ朝に告白するんじゃなかった。
定時になり、いつも通り平然を装い俺は受付を通過する。
「お、お疲れ様でした」
「あの・・」
カスミさんの声が俺の足を止めた。
「私もすぐに出るので少しお食事に行きませんか?」
俺はカスミさんと二人で食事に行く事になった。
好きな場所でいいと言われたのでチェーンの居酒屋に来てみたけどこれは失敗だった。
カスミさんには場違いすぎる。
しかし、カスミさんは慣れた手つきで注文を済ませていた。
「カスミさんってこういう所来るんですか?」
「え?来ますよ。結構好きなんですよ。大衆居酒屋って」
それからは他愛のない話で盛り上がった。
カスミさんってこんなに喋る人だったんだ。カスミさんの新たな一面が見れて嬉しかった。
「明日も仕事ですし、そろそろ出ましょうか」
そう言って立ち上がるとカスミさんは言った。
「今朝の返事だけど・・」
一瞬時が止まった気がした。思いもよらない言葉だったから。
俺はずっと俯いているカスミさんを見ていた。
「嬉しかった。とても。毎日同じことの繰り返しでこのままおばあちゃんになっていくんじゃないかって・・だから、君が告白してくれた時はとても嬉しかったよ。」
俺は黙ってその言葉を聞いていた。
「でも、まだ君の事なにも知らない。だから、付き合うことは出来ない。」
そっか、これを言うためにカスミさんは俺を飲み誘ってくれたんだ。
優しい人だ。
死ぬ前の最後の告白がこの人で良かった。
たとえ無理だと頭ではわかっていても、好きな人に振られると涙が出そうになるんだな。
「わかりました。わざわざありがとうございます」
俺は涙を堪えながら言った。
「付き合えないってハッキリ言ってもら・・・」
「だから」
カスミさんは続けた。
「またこうやって飲みに行ってほしい。そして、君の事いっぱい教えて」
はじめは一目惚れだった。
綺麗な人だ。見ているだけで癒される。そんな存在。
死ぬ前にこんな人と付き合えたら幸甚の至りだ。
結果告白してダメだったが、今では会社でもこうして彼女と普通に話すことが出来ている。
それだけでもう幸せだった。
会話を重ねるたび、彼女の事をわかってくる。
性格や癖や仕草。そして、彼女の事を知れば知るほど好きになっていく。
俺はいつしか彼女との将来の事も考えるようになっていた。
「田中、最近調子いいよな」
話しかけてきたのは同僚の杉内。同じく新卒で入った新人だ。
「そうか?」
「この前の企画会議でお前のプレゼン好評だったしさ」
「たまたまだよ」
「それにお前、明るくなったよな」
思わず飲んでいたコーヒーを噴き出してしまった。
「前はなんか話しかけづらい雰囲気あったもん」
「そんな事無いだろ」
「あったあった。何に対しても無関心というか無気力というか、ただ生きているって感じ」
「ヒド」
確かに最近は周りから話しかけられる事も増えた。
二週間前の俺はなんで生きているのかもわからず、ただ漠然と生きていた。
カスミさんに告白して俺の世界に色が与えられたんだ。
カスミさんとの飲み会。
今では週末の恒例行事となっていた。
カスミさんはいつも初めは生ビール、そのあとチューハイに移行する。
おつまみはキムチが好きらしい。
「ねぇ、拓哉君」
「なんですか?」
「付き合って」
「は?」
慌てふためく俺をカスミさんは真っすぐ見つめていた。
「付き合ってってあれですよね?恋人同士になるっていう・・・」
「そうだけど」
嬉しい。嬉しすぎる。だけど・・・今日は6月5日。
今ここで付き合ったとしても一週間後には俺は死ぬ。
その時彼女はどういう状態になるのだろうか。
付き合った直後に死なれたらカスミさんの悲しみは計り知れないはずだ。
だったらここは断って・・・
「拓哉君!」
俺はカスミさんを見た。
「私は拓哉君の事が好きです。付き合ってほしい」
体が熱を帯びるのがわかる。嬉しい気持ちもある。だけど、この気持ちは悔しさだ。
カスミさんの気持ちに応えたい。俺も同じ気持ちなんだよと素直に伝えたい。
ただ今はそれができなくて俺は悔しいんだ。
沈黙が流れる。時間にすると一分にも満たない刹那の沈黙。
だけど、それは永遠にも感じられた。
「俺に一週間下さい」
俺の言葉にカスミさんは黙ってうなずいた。
家に着くと俺は叫んだ。
「おい!死神!俺は死にたくない!なんとかしてくれ!見てるんだろ!出て来いよ!!!」
言い終わると空しく空調の音が響く。
「どうしたらいいんだよ。死にたくない。生きたいんだよ俺は」
涙が止まらない。俺はこのまま死んでしまうのか。
死ぬのが怖い。こんなに生きたいと思うのは初めてだった。
今の俺には生きていく理由があるんだよ。
助けてくれ。神様。なんだってする。頼む、俺を生かしてくれ。
月曜日。会社に出勤する。そして、通例の企画会議。
時間はいつものように流れ、皆はいつも通りの日常を過ごしている。
いつもと違うのは受付にカスミさんがいないこと。どうやら会社を休んでいるようだ。
カスミさんとはあれ以来一言も話していない。
なんとか俺は生きる方法を模索するが見当たらない。
そもそも運命に抗う事なんて出来ないのかもしれない。だけど、俺は必死に生きようとした。
6月12日金曜日。遂にこの日が来てしまった。
一睡もできず会社は体調不良だと休んだ。
家にいて何をするわけでもなく俺はただ抜け殻のようにそこにいるだけだ。
時刻をみると17時55分。
死亡時刻が18時だからあと5分ある。
俺は電話をかけた。すると、間もなく声が聞こえてきた。
「もしもし」
「もしもし、カスミさん?」
「うん」
「この前の返事なんだけど」
「うん」
「俺もカスミさんの事が好きだ。ずっと一緒にいたいと思っている」
「うん」
「でも、ダメなんだ。もうすぐで俺によくない事が起こる。」
「なによくない事って?」
「だから、付き合えない」
「どうしたの?大丈夫?」
「何も言わずに今日を過ごそうと思っていた。だけど、どうしても伝えたくて・・これが最後だから」
「最後ってどういう意味?」
「カスミさん、大好きです」
そして、電話を切った。
あと一分。俺は泣いた。
平凡な人生を歩み、平凡であることを嘆き、しかしそれを変える行動に移すこともせず過ごしてきた。
そして、あと一ヶ月しかないと知り、カスミさんに告白した。知っていくうちに彼女の事がより好きになった。
彼女の事を思うと頑張れた。彼女が俺の事を好きだと言ってくれた。この一ヶ月はホントに幸せだった。
「あと少し長生きできたらな・・・」
そう呟くと田中拓哉は目を瞑り闇の中に落ちていった。
目を覚ますとそこは自宅の寝室だった。
時刻を見ると23時59分。
「夢?それとも俺はもう死んでるのか?」
0時00分。今日は6月13日。
「死んでない?なんで・・・」
田中拓哉は背後に立つ黒装束の男に気付いた。
「なんで俺は死んでない?死ぬはずじゃないのか?」
「運命が変わった」
「運命が変わった・・?」
「そうだ。」
「どうして・・?」
「お前の死因は自殺だった。」
「俺が自殺・・?」
あの頃の俺は強い虚無感に襲われ何のために生きているのかわからなかった。
そして、一ヶ月後自殺か。
「俺はまたいつか現れる」
そう言うと死神は粉になり消えてしまった。
「生きてるんだ・・・」
時刻は深夜0時20分。
俺は携帯電話を取り出し着信履歴を押した。
もう間もなく死が近づいている。
自分の体の事は自分が一番よくわかっている。
「あなた、しっかりして」
病室のベットで横たわる俺を心配して声をかけてくれる妻がいる。
「今まで43年間支えてくれてありがとう」
「何を言ってるの、早く病気治して週末にでもお酒飲みにいきましょう」
「愛しているよ、カスミ」
病室の入り口では静かに黒装束の男がこっちを見ていた。
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