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「毒親」「親ガチャ」についての個人的見解

アベマプライムのこれ、好きで割と見ている。目をそむけたくなる社会の諸問題に対して真面目に討論している、地上波ではなかなか触れにくい番組であると感じる。

かくいう私も、ずーーーーーーーっと「親ガチャ外れた」という意識を持っていた。少々自分語りになってしまうが、どんなハズレ具合だったのか、書いていこうと思う。

生まれてから、物心つくまで家族で旅行とか、楽しく外食とか、そういった思い出が何一つない。思い出されるのは壮絶な夫婦喧嘩と変なとこに厳格な両親それぞれのヒステリー。毎晩のように布団にくるまって泣いていたし、小学生の自分は日々死にたいと思っていた。とうとう小学校高学年くらいだったか、離婚した。年の離れた兄は家を出ていて知らん顔だったし、友達にだけは恵まれていたので、転校したくねえな、なんて思ってなんとなく父親についた。

また、地獄。

毎日暴力に怯え、家を出た。中学生のころだったか、家に入れず、夏休みには友達の家を転々とし、行く宛もなくなったら公園で寝る。そんな生活。やがて学校に連絡が行き、母親に引き取られた。どうやら裁判とかしたらしい。そのころだったか、なんとなくヒトを救える仕事がしたいと思うようになった。

なんでかしらんが、母親は再婚した。数年は穏やかに過ごした。家族ってかんたんに壊れたりくっついたりするもんなんだなって意識を徐々に植え付けられたような気がする。その生活も、また離婚して母親が新興宗教に没頭する謎のバッドエンドに向かって進んでいくわけだが。

「あんたのせいでこうなった」一生忘れない言葉。私は何もしていないし、何ならなんで生んだんだと、そう思った。ヒトを生むってそういうことなのだろうか。生んでから育てていくまでノープランで生むものなのだろうか。何かしらの想定外が連続してこうなったのかもしれないが、そんなの知ったこっちゃない。子は親を選べないし、親も子を選べない。本当にガチャだ。

とりあえず、グレてもなにも自分に利益はないし、目標もできたので勉強した。バンドとか部活とかサークルとかしたかったけど、アルバイトを優先した。家を出たかったけど、数年の我慢でなんとかなると思い、団地で過ごした。奨学金を借りつつ、大学を出た。(奨学金は先月払い終わったよ。やったね!)

自分より良くない環境で育ったヒトはたくさんいると思う。でも、家族とか親とか、ヒト一人ができる経験は1つしかないんだと、それが家族なんだと思う。本来、家族とは温かな場所であると聞いている。しかし、それが何らかの要因で壊され、自分の思い描いた夢とか、したいこととか、そういったものを徐々に壊されていく経験。それは、機能不全家庭で育ったことのないヒトにはわからない。絶対にわからない。

ひょっとしたら、私のケースでは自分の努力でなんとかなったかもしれないし、努力でなんとかなるなら毒親ではないということも言われた。でも、自分は逃げただけである。とにかく逃げた。そうしないと自分が壊れてしまう気がした。10年以上、両親とは音信不通である。

社会学には、「教育の再生産」という言葉がある。親が貧乏だと、十分な教育を受けられず、その子も貧乏になるとか、そういうことだったと思う。自分の経験上、それをまじまじと見せられたし、親に学費を出してもらいながらバイトもそこそこにウェイウェイ大学生してた友人たちがどれだけ羨ましかったことか。

教育の再生産をぶち破っていくなら、グレてはいけない。努力でカバーしないといけない。

三十路を迎えた今でも、毒親は自分を苦しめる。幼少期のトラウマから、自分が子育てをする姿が想像できない。アダルトチルドレンのままおっさんになっていく。これはすべてが親の責任ではない。しかし、少なからず子の人生に悪影響を与えている。それが毒親だ。

残念ながら、ヒトは昆虫や動物のように、生んだら自然界に任せるようになってない。夫婦は離婚したら他人になる。親子は血縁とかいう厄介なものに縛られ、死ぬまで関係を持たされる。だからこそ、よく考えて子を生んでほしい。

まとまらない文になったが、とにかく自分がいいたいこと。

親も子もお互いに選べない。ガチャ要素ある。子を生んで、幸にも不幸にもなる。しかし、親は責任を持った行動が求められる。逃げてはならない。

家庭環境とかいうのは、生まれ持った才能みたいなもんで、それを言い訳にしていても良い結果は生まれない。グレずに最大限の努力をする。身の丈にあった人生を歩んでいこうじゃないの。

後半、酔いが回ってます。おやすみなさい。

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