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きっといいことありそう

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ある日、肩の痛みが強いから整形外科に行ってみたらいきなり大学病院紹介されて。。突然肺がんって告知を受けてからの心境をここに残します。
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#日記

6月24日。渋谷CAVE時代の先輩が葛西にいるので近所でランチ。おそらく20数年振りの再会。体形も喋り方も雰囲気も当時のままで嬉しくなった。彼も大きな病を経験し今も心臓を患っており薬漬けの日々らしい。自分が宣告されたとき偶然連絡をくれ、以来ずっと気にかけてくれている。

3月8日。昨日から自分の近い未来が不安でたまらない。気が付けば朝の回診で矢継ぎ早に質問をしていた。この治療のゴールは?このコースの目標は?退院後の生活は?…治るかどうかわからなかったり寝たままの生活を続けるくらいなら、いっそのこと延命治療などしないで静かに人として最期を迎えたい。

3月2日。今日も放射線のみ。今週の木曜にCT撮影し経過を確認の上、照射位置を変更するらしい。癌が小さくなっていることを祈る。ところで、昨夜向かいの爺さんが大声で叫んで看護師を呼んでいたので、ナースステーションへ知らせにいった。今朝爺さんはナースステーション横の病室に移動になった。

午後から放射線。今日は診察の日なのでいろいろと質問。まずは右鎖骨の違和感。触診では異常は見られず治療の効果とのこと。次に治療の効果について、何をもって順調としているのか。20回目に再度CTを撮り、その際に小さくなっている度合いで判断。他は痛みがないことが順調そのものと。

3月1日。病院でも医者の異動があるらしい。新しく担当になった研修医?は男女2人組。仕事、住まい、家族構成、家族の死因、趣味など一方的に質問攻め。質問の意図を聞いても80歳の方は退院後の生活が困難で云々。。ただのサンプルとしての対応なのかとにかく事務的で高圧的で最悪の印象。

2月28日。昨晩来た老人が東北弁で大声で怒鳴り、せき込んでえづきを繰り返し騒がしく不潔でとても不快だ。看護師はなぜか甘やかす。この空間、気が狂いそうだ。右肩の違和感といい左肩の痛みといい特に対応なし。横の老人が解熱作用の点滴が効かないことに疑問を呈したが看護師はふふっと笑うだけ。

なんでも、咽頭がんが発見されたときに糖尿病のためPET-CT検査を受けられなかったことと健康診断でバリウムだったため発見できなかったことが重なり発見が遅れたらしい。自分はその失敗を起こさないようここから1年は特に注意を払いたい。5年生存率が3~4割ならば、その3割に入ってやる。

内容云々より考えてくれたことに熱くなる。とりあえず礼を伝えLINE終了。立て続けにO氏からLINE。以前の職場でベンダとして繋いだ仕事を打ち切ったとのこと。窓口になっていた専務の横柄な態度に嫌気がさしたらしい。むしろここまでよく耐えてくれたと思う。

2月26日。昨夜遅く中学の同級生NからLINEが来た。先日病院に来た時に忙しいことと自分は力になれないことをしきりにアピールしていたが、反省したのだろうか「自分にできることを考えた」とのこと。100万円貸すから投資で増やして入院費の足しにしてくれとのこと。

理由は夜勤との引継ぎとのこと。看護師が辞めてシフトがひっちゃかめっちゃかと、内情を教えてくれる看護師が一人いる。よくある話w。なので点滴が終わってアラームが鳴り響いてもいっこうに取り換えに来ないが仕方ない。結局抗がん剤の点滴が終了したのは16時近く、放射線は17時は過ぎていた。

2月25日。4回目の抗がん剤投与。担当医が針を刺しにきたがなかなかのヘタ。1回目は刺した後も痛みが続き耐え難いので抜いてもらった。2回目もなかなか痛かったがもうこれ以上やり直して足に刺すなどなってはたまらないので耐える。日勤の看護師たちがなんだかざわついているように見える。

2月24日。入院から3週間、自分はこの時間に何をしたのか振り返ると全部中途半端だ。まずは持ってきた本を読破しよう。そして要約しよう。

2月23日。今日でちょうど入院から3週間経過。6週間プログラムの中間地点。但し、抗がん剤検査入院が+1週間。まだまだ先は長い。

そして放射線の効果は1~2か月してから現れるらしい。つまり放射線医の担当は30回の間、該当箇所だけでそれ以降は呼吸器内科の管轄とのこと。転移は起こりえるのでその際は化学療法が一般的とのこと。また、放射線と抗がん剤の相乗効果はかなり期待できるらしい。