100%正しい選択肢はない
おはようございます、最近また麻雀にハマりつつある廣田です。#麻雀は中毒性がある#よく出来たゲームだなあ
今回は、正しくリスクをとることについてお話ししたいと思います。
新型コロナウイルスへの対応は、政府や自治体だけでなく企業によってもさまざまです。
まん延防止等重点措置(まん防)にしたがって、営業時間を短くする飲食店は多いですが、要請に従わない店舗もある。
特にコロナが発生した2020年から2021年にかけては、営業時間を守らない店舗やお酒を提供している店舗はよくツイッターで叩かれていました。
「クラスターになったらどうするのか」「コロナでみんな我慢しているのに」などなど。テレビなどのマスコミも映像付きでバッシングしていました。
このいわゆる同調圧力によって時短や休業しなければならなくなり、そのまま廃業した店舗もあるなかで、どうすればよかったのか。
僕は、いかにリスクと向き合うかだなと思います。たしかに休業すれば、その店がクラスターになる可能性はゼロになります。バッシングされることもないでしょう。
もちろんその選択肢が最適解かもしれません。が、社会全体が思考停止になってはならないと思います。リスクが少しでもあるから何もしないのであれば、短期的にみれば何もなかったとしても、全体で沈んでいくのです。
コロナに関しては、まだウイルスの正体がハッキリつかめていないこともあり正しい判断ができないのですが、台風が上陸したときのJRの対応を具体例にあげてみます。
JRは台風がきたとき、早ければ上陸する前日には運休を発表しています。
”電車が脱線するなどの危険性を考えて”と発表するでしょう。その気持ちもわかるのですが、運休したときの社会全体の影響も考えるべきです。
会社員はもちろん、やむを得ない状況で移動しなければならない人々の行動も制限されてしまいます。みんながタクシーに乗り換えられるわけでもなくバスも使えるわけでもありません。
関西でいえば、阪急や近鉄などの私鉄はギリギリまで運行しています。いち企業だから利益を確保したい事情もあるでしょう。
半官半民のJRは利益のことはそこまで考える必要がないので、危険性があればすぐに運休してしまうのではないでしょうか?要はバッシングされるのが怖いのです。リスクを過度に恐れて、勇気ある選択ができない。
会社として存続している以上、社会的使命があることを自覚するべきです。スーパーであれば、生活インフラとしての役割があります。営業を続けることそのものが社会的な意味をなす。逆にいえば、近所の人々に必要とされなくなったとき、または食料を提供するインフラとして、代替できるものが揃ったとき、スーパーとしての存在意義はなくなります。
ひとに必要とされる役割を企業が担ったとき、かつ企業内の仲間がその使命感を認識したとき、はじめてやりがいが生まれると思います。
その社会的使命を明確にして、仲間に共有することがリーダーの役割です。自戒して頑張ります。
それでは素敵な1日をお過ごしください、ではまた!
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