ワシントンスクエアの雪竹太郎
その広場は始め、僕のキャンパスでした。80年代の終わり、大学院生として通った大学の中心に位置する広場、それがワシントンスクエアだったのです。事実、この広場を一日占拠して行われる、大学恒例の卒業式に僕も出ましたが、長い歴史の中で土砂降りの雨に見舞われた卒業式はなかったか。もっとも、ニューヨーカーは多少の雨なら傘なんぞさしませんし、例のガウンも多くがレンタルですから濡れることなんか気にしていないのかもしれません。
さて、ワシントンスクエアはいまでこそ治安も景観も抜群で、昼夜安心して身を置ける美しい広場になっていますが、僕が学生だった頃は、陽が落ちるとなかなかに緊張感漂う場所でした。見るからにそれと分かる輩がうじゃうじゃたむろし、「吸わない?」「吸うよね?」と代わりばんこにしつこく声かけしてくるのでした。
ただ当時もいまも変わらないのは昼間の広場が大道芸人たちの天国であること。何年かに一度、旅行で訪れるたび、広場のそこここに大道芸人の存在を認めては、またここに帰ってこれた、と喜びをしみじみと噛みしめるのでした。
そんな数多あるワシントンスクエアでの大道芸人との邂逅のなかでも、雪竹太郎君との出会い……というか、再会は忘れ難い思い出です。その広場が、まだ僕のキャンパスだった頃の話です。
その日、ワシントンスクエアの凱旋門(ワシントンスクエアアーチ)の真下に、ひときわ大きな人だかりができていました。もっとも、マンハッタン生活もそれなりに慣れてきた頃で、よほどのことがない限り、いちいち地下鉄構内や公園の大道芸に足を止めることも少なくなっていました。それが、ひとたびあの口上を聞いてしまえば、厚い人垣に割り込まずにはいられない自分がいました。
My name is Taro Yukitake!
文字におこすとなんだか無機質で平板な感じになりますが、その実、「タロー・ユキタケ!」の部分なんかはどうして唸るような堂々たる言い回しで、場の空気を一変させたのでした。
タロー・ユキタケ? ユキタケ・タロー? 博多の中学の同級生に同姓同名がいるにはいるのだけれど……雪竹太郎。でも、まさか?
白塗りのみかん箱風の台に乗った、ふんどしひとつのそのアジア人男性も全身あらあら白塗りの半裸状態。そこから古今東西の名画や有名彫刻の数々を鍛え上げた身体ひとつで再現、模写、デフォルメしてみせる「世界で一番小さな美術館」が展開されるのでした。ひとしきり観客の歓声や笑いを集めたそのあとは、それら観客をも巻き込んだピカソの大作「ゲルニカ」で大団円という感動的な構成でありました。
さて、「雪竹?」と恐るおそる声をかけたのは、「ステージ」と「ステージ」の合間、花壇の縁石に腰掛けて一息つく彼の表情が明らかに弛緩したのを見てとったからに他なりません。きょとんと僕を見上げた彼は、
「樽見君?」
と一発で僕を僕と言い当てるではないですか。中学卒業から10数年もの間、一度たりとも会ってはいないのですが、いつも校舎と渡り廊下をつなぐ数段だけの階段に腰掛けてはリコーダーを吹いている雪竹のイメージが脳裡にありました。
その頃から「大道芸人」を目指したのでもないでしょうが、訊けば、早稲田の演劇に進み、シェークスピア劇場を経て、路上の一人芸に活路を見出したのだとか。彼の人生にはとてつもない意思と一貫性が通底しています(しかも、ググってみれば、2023年のいまも現役の大道芸人として路上に立っているではないですか!)。
翻ってこの僕の一貫性のない人生ったら——映画人を夢見て、演劇人に乗り換えて、ひょんなことからテレビの世界へ……この辺まではユキタケ風なんですが、その後、何を思ったか留学したり、大学の教員になったり——我ながら目を覆うばかりです。
実は、現在の彼の住まいとうちとは歩いても10分足らず。同じ井の頭公園界隈なのですが、なかなか軽々には「行くよ」「来いよ」とはならずに30年。あんなにも優しくて、人間的な魅力に満ち満ちているタロー・ユキタケですが、生き様が崇高過ぎて、連絡を取るにはまだ早い、まだ早いと考えているうちに、こんな年齢になっていました(お互いに、ではありますが)。
いえいえ、彼自身は気さくでウィットに富む奴なんです。これもだいぶ前になりますが、大道芸のメッカ、フランスのアヴィニョンの大道芸人祭に参加した際、地元の新聞に写真付きで載ったとかで、記事のコピーを送りつけてくると、
「残念!」
との一言コメントが。よくよく見れば、タロー・ユキタケ(Taro Yukitake)とすべき表記が、サロー・ユキタケ(Saro Yukitake)となっているではないですか。アヴィニョンの新聞記者さん、雪竹太郎は去りません、ひとつ領域に留まり続けている、その生仏一体ぶり、あ、いや生芸一体ぶりたるや、やがてアヴィニョン橋か、ワシントンスクエアか、井の頭公園かで永久設置の石像になろうかという勢いですから。
他方で僕は、タロー・ユキタケなる生き方はさすがに諦め、非タロー・ユキタケなる別の生き方、すなわち大きくは20年周期で軌道を変える生き方の、「最後の20年」の入り口に差し掛かろうとしています。