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「10%削り×2回」で文章は良くなる 実践編

先日、こんなツイートをした。

以下、主要部分を再掲する。

私の場合、原稿用紙3枚=1200字と10枚=4000字の文章では書き方が違う。3枚ならテーマは一つで「これを書きたい」がはっきりしているはず。だから一息で1500字書いてしまう。途中で一切直さず、「てにをは」の間違いも放置して最後まで書く。最初は「接続詞無し」が理想。特に逆説は入れないで書く。

ガチャガチャした1500字を整理整頓する。不足を補いつつ重複部分を削れば、分量はほぼ変わらない。これが「初稿」。できればここで一晩寝かせる。
初稿を1割削って第二稿を作る。原稿が流れていなければ部分的に補強するとしても、全体では必ず1割削る。間違いなく原稿は良くなる。

1300字程度になった第二稿をさらに1割削る。最初の一文から単語・フレーズ単位で「これ、いる?」とチェックする。「他人の目」になってゲーム感覚で詰めていく。「とにかく1割削るゲーム」。丸ごといらない一文を発見できたりすると、とても嬉しい。クリアすれば、シャープな完成原稿が出来上がる。

このあと「4000字の原稿」の書き方が続く。気になる方は元ツイートをご覧ください。
この投稿ではこの「1割カット&1割カット」を実践してみる。
人様の文章を血祭りにあげる趣味も度胸も権利もないので、自分の原稿で。

通勤電車内のスマホ一発書きなので程よく贅肉が残っているはず。
以下に全文をコピペします。現状、976文字。

路地の記憶

車の入れないくらいの路地が好きだ。
タイトル画像は通勤路の脇にある路地で、通りかかるたび、フラッと入りこみたくなる。

こんな路地が好きなのは子供の頃の思い出によるところが大きいと思う。
就職で上京するまで住んだ名古屋の実家は、直ぐ近くにこんな路地があった。少し長めの100メートルほどのと、20メートルほどの短いもの。
路地には駄菓子屋があり、友達の家があった。鬼ごっこやかくれんぼの戦略的ルートであり、舗装される前は硬い土を掘ってゴルフ遊びもできた。その路地から飛び出して車にはねられたこともあった。幸い、怪我もなかったが。

東別院近くにあった母の実家も路地沿いの、狭い、狭い長屋だった。
路地の入り口にはやはり駄菓子屋があって、路地側の壁には、ピコピコとうるさいルーレットや「戦国すごろく」みたいな縦長の筐体のゲームが並んでいた。なけなしの小遣いを虚しく注ぎ込んだ。もらえるのは腹の足しにもならないメダルなのに。

ロンドンも路地の多い街で、それが散歩の楽しみを増してくれた。
オフィスからセントポールまで路地を抜けていく途中には、ロンドン大火の直後、350年ほど前からある老舗パブがあった。天気が良い日はパブの外で「路地飲み」した。車も自転車も入ってこない、快適なスペースだった。なぜか近くに猫の銅像があった。そこからテムズ川沿いの駅に出る手前には、テンプル騎士団の拠点の跡地もあった。
ロンドンの路地は行き止まりや、入ってみたら想定外の方角にしか抜けられないことも多く、下手に迷い込むと簡単に方向感覚がなくなる。
それがまた、楽しかった。Googleマップはなるべく開かず、街に溶け込むようにあてもなく歩いた。

今住んでいる町も、路地が多い。
綺麗に真っ直ぐなものは珍しくて、どこに抜けていくか、よくわからない路地がほとんどだ。
時間があるときは、そんな路地にフラッと入ってみる。残念というか、面白いことに、狭い空の隙間からスカイツリーが見えることが多く、方向感覚が狂うことはほどんどない。
それでも、今まで通ったことがないルートを地図の空白を埋めるように歩くと、町と少し身近になった気持ちになる。
今日は前から一度通ってみたかったこの路地を歩いてみた。

駅まで少し遠回りをして、また少し、この町とお近づきななれた気がした。

久々の通勤電車で書けるかなシリーズでした。乱文ご容赦。

一読して甘いけど、一応これを「初稿」とする。
まず、明らかな無駄を削り落として第二稿にする。

路地の記憶
車の入れないくらいの路地が好きだ。
タイトル画像は通勤路の脇にある路地で、通りかかるたび、フラッと入りこみたくなる。

こんな路地が好きなのは子供の頃の思い出によるところが大きいと思う
就職で上京するまで住んだ名古屋の実家は、直ぐ近くにこんな路地があった。少し長めの100メートルほどのと、20メートルほどの短いもの。
路地には駄菓子屋があり、友達の家があった。鬼ごっこやかくれんぼの戦略的ルートであり、舗装される前は硬い土を掘ってゴルフ遊びもできた。その路地から飛び出して車にはねられたこともあった。幸い、怪我もなかったが。

東別院近くにあった母の実家も路地沿いの、狭い、狭い長屋だった。
路地の入り口にはやはり駄菓子屋があって、路地側の壁には、ピコピコとうるさいルーレットや「戦国すごろく」みたいな縦長の筐体のゲームが並んでいた。なけなしの小遣いを虚しく注ぎ込んだ。もらえるのは腹の足しにもならないメダルなのに。

ロンドンも路地の多い街で、それが散歩の楽しみを増してくれた。
オフィスからセントポールまで路地を抜けていく途中には、ロンドン大火の直後、350年ほど前からある老舗パブがあった。天気が良い日はパブの外で「路地飲み」した。車も自転車も入ってこない、快適なスペースだった。なぜか近くに猫の銅像があった。そこからテムズ川沿いの駅に出る手前には、テンプル騎士団の拠点の跡地もあった。
ロンドンの路地は行き止まりや、入ってみたら想定外の方角にしか抜けられないことも多く、下手に迷い込むと簡単に方向感覚がなくなる。
それがまた、楽しかった。Googleマップはなるべく開かず、街に溶け込むようにあてもなく歩いた。

今住んでいる町も、路地が多い。
綺麗に真っ直ぐなものは珍しくて、どこに抜けていくか、よくわからない路地がほとんどだ。
時間があるときは、そんな路地にフラッと入ってみる。残念というか、面白いことに、狭い空の隙間からスカイツリーが見えることが多く、方向感覚が狂うことはほどんどない。
それでも、今まで通ったことがないルートを地図の空白を埋めるように歩くと、町と少し身近になった気持ちになる。
今日は前から一度通ってみたかったこの路地を歩いてみた。

駅まで少し遠回りをして、また少し、この町とお近づきななれた気がした。

久々の通勤電車で書けるかなシリーズでした。乱文ご容赦。

副詞はほぼすべて削る。いらない「枕詞」や余分なセンテンスも落とす。
寄り道を楽しむ文章だけど、文章の寄り道はばっさり落とす。
これで843文字。976文字から14%カット。
上の削りを反映したバージョンはこちら。

路地の記憶
車の入れないくらいの路地が好きだ。
タイトル画像は通勤路にある路地で、通りかかるたび、フラッと入りたくなる。

こんな路地が好きなのは子供の頃の思い出によるところが大きい。
就職で上京するまで住んだ名古屋の実家は、直ぐ近くにこんな路地があった。100メートルほどのと、20メートルほどの短いもの。
路地には駄菓子屋があり、友達の家があった。鬼ごっこやかくれんぼの戦略的ルートで、舗装される前は硬い土を掘ってゴルフ遊びもできた。路地から飛び出して車にはねられたこともあった。幸い、怪我もなかったが。

東別院近くにあった母の実家も路地沿いの、狭い、狭い長屋だった。
路地の入り口にはやはり駄菓子屋があって、ピコピコとうるさいルーレットや「戦国すごろく」みたいな縦長の筐体のゲームが並んでいた。なけなしの小遣いを注ぎ込んだ。もらえるのは腹の足しにもならないメダルなのに。

ロンドンも路地の多い街で、散歩の楽しみを増してくれた。
オフィスからセントポールまで抜けていく途中には、ロンドン大火の直後、350年ほど前からある老舗パブがあった。天気が良い日は「路地飲み」した。車も自転車も入ってこない、快適なスペースだった。なぜか近くに猫の銅像があった。
ロンドンの路地は行き止まりや、入ってみたら想定外の方角にしか抜けられないことも多く、迷い込むと方向感覚がなくなる。
それがまた、楽しかった。Googleマップはなるべく開かず、街に溶け込むように歩いた。

今住んでいる町も、路地が多い。
真っ直ぐなものは珍しくて、どこに抜けていくか、よくわからない路地がほとんどだ。
時間があるとき、そんな路地にフラッと入ってみる。狭い空の隙間からスカイツリーが見えることが多く、方向感覚が狂うことはほどんどない。
それでも、今まで通ったことがないルートを地図の空白を埋めるように歩くと、町と少し身近になった気持ちになる。
今日は前から一度通ってみたかったこの路地を歩いてみた。

駅まで少し遠回りをして、また少し、この町とお近づきななれた気がした。

けっこうすっきりしたのでは。
ここから1割削る。「これ、要る?」の出番だ。
削りは取り消し線、変更箇所は太字とする。

路地の記憶
車の入れないような路地が好きだ。
タイトル画像は通勤路にある路地で、通りかかるフラッと入りたくなる。

こんな路地好きなのは子供の頃の思い出によるのだろう
就職で上京するまで住んだ名古屋の実家直ぐ近くには、少し長めのと、短めの、ふたつの路地が通っていて、路地には駄菓子屋があり、友達の家があり、鬼ごっこやかくれんぼの舞台戦略的ルートだった。舗装される前は硬い土を掘ればゴルフ遊びもできた。路地から飛び出して車にはねられたこともあった。幸い、怪我なかったが。

東別院近くにあった母の実家も路地沿いの、狭い、狭い長屋だった。
路地の入り口にはやはり隣は駄菓子屋があって、ピコピコとうるさいルーレットや「戦国すごろく」などのメダルゲームにが並んでいた。なけなしの小遣いを注ぎ込んだ。もらえるのは腹の足しにもならないメダルなのに。

ロンドンも路地の多く、散歩が楽しい街だった。
オフィスからセントポールまで抜ける路地には、ロンドン大火の直後、350年ほど前からある老舗パブがあった。天気が良い日は車も自転車も入ってこない夏の「路地飲み」は最高の時間だった。なぜか近くに猫の銅像があった。
ロンドンの路地は行き止まりや、入ってみたら想定外の方角にしか抜けられない路地も多く、迷い込むと厄介だ方向感覚がなくなるそれがまた、楽しかった。それでも、Googleマップはなるべく開かず、街に溶け込むように歩いた。

今住んでいる町も、路地が多い。
見通しの悪い真っ直ぐなものは珍しくて、どこに抜けていく、よくわからない路地がほとんどだ。
時間があるとき、そんな路地にフラッと入ってみる。狭い空の隙間からスカイツリーが見えることが多いく、方向感覚が狂うことはほどんどない
それでも、今まで通ったことがないルートを地図の空白を埋めるように歩くと、町と少し身近になった気持ちになる。今日は前から一度通ってみたかったこの路地を歩いてみた。

駅まで少し遠回りをして、また少し、この町とお近づきになれた気がした。

最終稿はこちら。最後、一か所、文章を入れ替えた。

路地の記憶
車の入れないような路地が好きだ。
タイトル画像は通勤路にある路地で、通りかかるとフラッと入りたくなる。

路地好きは子供の頃の思い出によるのだろう。
名古屋の実家の直ぐ近くには、少し長めのと、短めの、ふたつの路地が通っていて、駄菓子屋があり、友達の家があり、鬼ごっこやかくれんぼの舞台だった。硬い土を掘ればゴルフ遊びもできた。路地から飛び出して車にはねられたこともあった。幸い、怪我はなかったが。

東別院近くにあった母の実家も路地沿いの狭い長屋だった。
隣は駄菓子屋で、ピコピコとうるさいルーレットや「戦国すごろく」などのメダルゲームになけなしの小遣いを注ぎ込んだ。

ロンドンも路地が多く、散歩が楽しい街だった。
オフィスからセントポールまで抜ける路地には、ロンドン大火の直後、350年ほど前からある老舗パブがあった。車も自転車も入ってこない夏の「路地飲み」は最高の時間だった。なぜか近くに猫の銅像があった。
行き止まりや、想定外の方角にしか抜けられない路地も多く、迷い込むと厄介だ。それでも、Googleマップはなるべく開かず、街に溶け込むように歩いた。

今住んでいる町も、路地が多い。
見通しの悪い、どこに抜けるかわからない路地がほとんどだ。
時間があるとき、そんな路地にフラッと入ってみる。通ったことがないルートを、地図の空白を埋めるように歩く。狭い空の隙間からスカイツリーが見えることが多い。
今日は前から一度通ってみたかったこの路地を歩いてみた。

駅まで少し遠回りをして、少し町とお近づきになれた気がした。

初稿976文字から14%カットした第二稿が843文字。
最終稿はそこから23%カットで644文字。初稿からは34%カット。
初稿が粗かったのでずいぶんスリムになった。
スッキリ読みやすくなったと思います。いかがでしょうか。
元の投稿に上書きしたい気もするが、即興の味もあるので、放置します。

トンカチ仕事(by 村上春樹)は楽しいな。
気が向いたらまたやろう。

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