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なぜお金は「半殺し」にされるのか 「インフレ目標2%」の本当の意味

「日銀はあなたの財布の中の福沢諭吉を一世代かけて『半殺し』にしたいと思っている」

こう聞いて、どう思いますか。感じ悪いですよね。でも、これは事実です。

日銀の公式な政策目標は「物価上昇率2%」です。2%のインフレは、物価が35年で2倍になる、その裏返しでお金の価値、購買力が半減するのを意味します。
現在、1万円あればマクドナルドのビッグマックが25個買えます。日銀の目標通りにいけば、35年後には12個ぐらいしか買えなくなるわけです。
お札の肖像は「諭吉」から「栄一」、あるいは次の走者にバトンタッチしているでしょう。あるいは電子マネーに切り替わってお札はこの世から消えているかもしれません。形はともかく、あなたの「1万円」は、「半殺しの目に合わせてやろう」と日銀に狙われています。

不可欠な「お金の緩慢な死」

これは日本に限った話ではありません。米国も、ユーロ圏も、中央銀行は2%程度のインフレを政策目標にし、目標達成に躍起になっています。
お金の支配者である世界の中央銀行は、そろいもそろって「あなたの財布の中のお札は一世代経ったら価値が半減するのが望ましい」と公言しているわけです。ちなみにインフレ率がちょっと上振れて3%になると、「半殺し期間」は四半世紀ほどに短縮されます。

中銀がそろってそんな目標を置くのは、今の貨幣経済が円滑かつ健全に回るためには、「お金の緩慢な死」が必要だからです。

ここで肝心なのは「緩慢な」という死のペース配分です。

ハイパーインフレは「お金の突然死」

最近、私たちは「お金の突然死」を目の当たりにしました。ベネズエラのハイパーインフレーションです。
歴史を振り返ると、ハイパーインフレの原因はいつも「政府によるお金の刷り過ぎ」です。ベネズエラも例外ではありません。
お金は、異常増殖させることで殺せるのです。異常発生がプランクトンの大量死を引き起こす赤潮を思わせます。
「資本主義を破壊する最良の方法は貨幣制度を崩壊させることだ」。
これはレーニンの言葉だとされています。ハイパーインフレはベネズエラ経済を崩壊させ、周辺国に大量の難民が流れ出しました。

当事者にとって悲劇的なハイパーインフレの風景は、遠目では喜劇的です。インフレ率が100万%の世界では、10円のモノが1年で1000万円になる。
ベネズエラではリンゴ1つ買うのにリンゴ数個分の重さの札束が必要になりました。買い物袋に札束を詰めて出かけて、帰りには「荷物」が軽くなる。トイレットペーパーのロール1つ買うのに、雑誌数冊分の紙幣が必要と聞けば、もう「直接『紙』として使ってはどうか」と思ってしまいます。

物価高騰については、『ハイパーインフレの悪夢』(アダム・ファーガソン、新潮社)という面白い本があります。

読むと、「人間は歴史に学ばないな」とため息が出ます。
紙幣乱発から始まる成り行きは、第一次大戦後のドイツも、ベネズエラも、2000年代のジンバブエも、ほとんど変わりません。

当時のドイツの風景も、「買い物のためにお金を詰め込んで運んでいたスーツケースが盗まれたが、中身のお金はその辺に捨ててあった」「1杯5000マルクのコーヒーを注文したら、飲み終わったときには8000マルクに値上がりしていた」と、まるで喜劇です。
ドイツの場合、紙幣乱発の原因はベルサイユ条約で負わされた巨額の賠償金の支払いでした。

この本には、当時、ドイツに駐留していたイギリスの軍高官が1927年にロンドンに宛てた興味深い書簡が紹介されています。
この高官は「ドイツがこうむった最大の損失は、中産階級の崩壊だ」と喝破して、右寄りの「天性の政治家」が扇動すればドイツは再び戦争に向かうだろうと、ヒトラーの台頭と第二次大戦を予言しています。

レーニンの予言のように貨幣制度崩壊で社会が崩壊したドイツが、のちにレーニンの作ったソ連に攻め込んで数千万人の犠牲者を生んだわけで、歴史というのは時に皮肉な「伏線回収」を見せてくれます。

デフレはもう1つの「お金の死」

ハイパーインフレのような「お金の突然死」とは真逆の状況も「お金の死」を招きます。継続的に物価が下がるデフレーションです。バブル崩壊後の「失われた20年」を経験した日本人には、こちらの方が実感がわきやすいでしょう。

今年より来年、再来年の方がモノが安くなる、つまりお金の価値が上がるなら、時間はお金持ちの味方です。お金は、裕福な高齢者世代の貯蓄や、利益を投資や賃金に回さない企業の手元で「死蔵」されます。待っていれば価値が上がるのだから当然です。
デフレの悪影響はさんざん指摘されているので割愛しますが、一言でいえば「金は天下の回りもの」とは逆の現象、お金の流れの滞りが経済を窒息させるわけです。

割りを食うのは、貯蓄が乏しい世代、インフレと連動した賃上げの恩恵を受けるべき現役世代です。「失われた20年」というフレーズは何が「失われた」のか判然としないところがありますが、最も痛手だったのは中産階級の形成の機会が失われたことだったのではないでしょうか。

そう、ハイパーインフレとデフレ、両極端な「お金の死」に共通するのは、中産階級の崩壊という社会的損失です。

私は、経済成長と富の再分配によって中間層の厚みを増すことが、国家の経済運営の最優先の使命だと信じています。
厚みをもった中間層は、経済だけでなく、政治や社会の安定を支える、国の背骨のような存在です。ちょっと余裕のある「小金持ち」が増えて、社会の幸福度が高まり、芸術や文化が栄える土壌を作る。
人々に「失うもの」があれば犯罪は減り、戦争も起きにくくなります。

でも、かつて「一億総中流」とまで言われた日本でも、この20年で経済格差は着実に広がってしまいました。
私自身もその一人である「団塊ジュニア」や、その少し下の世代には「自分たちは親の世代のように『中流』に手が届かない」という考えが広がり、現実にそんな経済状況に置かれている人が少なくない。米国でトランプ現象が起きた複合要因の1つも中流階級の崩壊にある。

最近の日本はデフレまでいかないマイルドな物価状況、「ディスインフレ」と呼ばれる状態にあります。このままお金が仮死状態から息を吹き返せるか、今が正念場です。もっとも、世界の景気が怪しくなり、国内では消費増税という間の悪い荷物を自ら背負い込んでしまいました。先行きは少し心配です。

「貯め込む」だけでは意味がない

「福沢諭吉半殺し計画」に戻りましょう。
経済を生かすためには、長い目でみてお金を殺す、それも絶妙の匙加減をもって緩慢に殺すことが肝要です。
一世代ごとに「半殺し」を目指すインフレ目標のあり方に、私は「お金は生きてるうちに使うもので、むやみに貯めこむもんじゃない」というお金の本質を感じます。
「貯めこむ」にしても、インフレ分の価値の目減りを補えるような置き場所、たとえば株式や不動産などに投資しないと、老後には貧乏になってしまうカラクリになっている。

投資にはリスクが付き物です。うまく投資する、つまり新たな富を生むような投資先を選ばないと、お金を守れません。
『おカネの教室』という本では、このあたりの仕組みを「かせぐ」という言葉の解釈として解説しました。ちゃんと「かせいでくれる」投資先を選ばなければいけない。それは投資家の私欲でしかないけれど、その欲がお金を良い投資先に行き渡らせる「見えざる手」となる。
日本にはいまだに「カネがカネを生む」といった言葉で、投資を胡散臭い行為と軽視する傾向があります。この「投資嫌い」が日本の「失われた20年」に深く関わっていると私は考えています。

Man is mortal

2%というインフレ目標の数値については、専門家の間でもいろいろと議論があるようですが、私は「そこそこ肌感覚に合っているな」と思います。
インフレ率5~7%のインフレだと「半殺し」期間はいきなり10年から15年程度になります。これは人生設計を考えるうえで、ちょっとせわしない。
インフレが8%を超えると数年単位で半殺しが起きます。雪だるま式の複利計算のマジックです。
逆に、「ディスインフレ」と言われる若干のプラスから1%程度のインフレ、これが日本の現状に近いわけですが、これだと「半殺し」には70年とか、それ以上かかる。お金を回して経済という生き物を突き動かすには、これでは悠長すぎるのでしょう。だから日本経済は停滞から抜け出せないでいる。
どうでしょう。2%程度のインフレがもたらす「一世代で価値半減」という緩慢な死のペースは、人間の寿命や人生の歩みと歩調が合っているような気がしませんか。

お金は、わたしたちの社会の裏側にへばりついている影法師のような存在です。人生と歩調を合わせるような「緩慢な死」というお金の本質は、Man  is  mortal(人はいつかは死ぬものだ)という宿命から導かれる必然なのかもしれません。

本稿は「マネー現代」に昨年11月に寄稿した文章を改稿したものです。
転載をご快諾くださった編集部に感謝いたします。

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