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作家の誕生とデビュー作を読む意味 『全部を賭けない恋がはじまれば』

稲田万里のデビュー作『全部を賭けない恋がはじまれば』を読んだ。

面白かった。
とても面白かった。

この投稿で私はこう書いた。

私にとって小説とは「読んでいる間、その世界や文章に浸り、引き込まれてページをめくってしまう読み物」でしかない。
芸術としての文学の可能性とか、人間存在の根源を問う「深さ」とか、正直、どうでもよい。
書かれているのが焼きそばの作り方だろうが、リトルピープルであろうが、臓器移植を待つクローン人間だろうが、どうでもよい。
「面白いなー」と読み進めて、最後までページをめくって「面白かった!」と思えれば、それは良い小説だ
ときにそれは、「面白い」ではなく、「すごい」とか、ただの唸り声かもしれない。「とにかく先を読まずにいられない何か」があれば、それで良い。

「深い」小説って何ですか? 「おカネの教室」ができるまで番外編

『全恋』は私にとって「良い小説」だった。
「面白いなー」と最後のページまで連れて行ってくれた。

この流れなら「どこが面白かったのか」を書くのが筋だろうが、すでに『全恋』の魅力を伝えるレビューや感想はあふれている。
たとえば、こちらの前田将多さんの書評。

おもしろくて、滑稽で、すこしかなしくて、帯にある通り赤裸々な性と生なのにぜんぜん悪辣さがなくて、いま本を閉じた私の心の中には、歩み去ろうとする小さな女性の後ろ姿だけが、なぜか浮かんでいる。

月刊ショータ「虫のように必死に、人間のように恋を」(前田将多)

この文章に、文芸評論が苦手な私がことさら付け加えるべきことは思い浮かばない。一読をおすすめします。

かわりに『全恋』を読んでいる間に感じてきた稲田万里という作家の文体について書いてみようと思う。

肉体が書いた文章

『全恋』の大きな魅力は独特の文体だ。乾いた、放りっぱなしのような言葉遣いなのに、場面や心情が鮮やかに読み手に伝わる。
note連載中から、私は「この文章は、机に座って、頭をひねって書いたものではない」と感じていた。書き手が、常に体を動かし、視線を巡らせながら文章を紡ぎ出している気配がする。
「歩きスマホでフリック入力」でもない。それでは体と心がスクリーンに没入してしまう。
街を歩きながら思い浮かんだ、目の前の風景と記憶の情景をスケッチした断片をかき集めたような文章と、言えば私の感触のイメージが伝わるだろうか。
頭ではなく、肉体に引っ張られて書かれた文章、と言ってもいい。

運動している、流れている体が先で、頭が体に支配されていないから、勢いがうまれ、ときには勢いあまって、書き手自身の想像を超えるフレーズが出てくる。
それをひとつひとつ拾い集め、積み重ねていく。
書き上がったとき、「うまく書けたな」と思うのではなく、「こんなものになったのか」と書いた本人が驚く。
短編ひとつひとつがそんな成り立ちで生まれたように感じる。

これはあくまで私の想像でしかない。
だが、それほど外れていないだろうと思う。
もし完全な計算でこれらの短編を量産できるなら、稲田万里はある種の天才だろう。

「今の稲田万里」の一冊

ちょっと悪趣味かもしれないが、今回の書籍化にあたって、この文体がどれほど変わるか、どれぐらい読み味が変わるのか、興味があった。
「無料でどうぞ」のnoteと商業出版では、舞台がまったく違う。
横書きと縦書きの違いもある。向きが90度変わるだけで、生理的ともいえる印象の違いが生じる。たとえば「90度」は縦書きなら「九十度」の方がしっくり来るかもしれない。それはもう別の言葉だ。

書籍化された『全恋』は、文体も、読み味も、オリジナルの魅力がたもたれていた。
文字通り粗削りだったnoteからは、文章も構成も磨かれている。
でも、すべての角を丸くするまでは、やすりがかかっていない。
運動が生む文章の熱は残っている。
このさじ加減をたもって商業出版ベースの小説に仕上げるのに、リライトする作者も、編集者も、かなり神経を使っただろうと想像する。

良い仕事のおかげで、癖になる断片的文章の塊だったnoteを母体に、『全恋』は稲田万里にしか書けない、それも「今の稲田万里」にしか書けない小説になった。

作家の誕生に立ち会う幸運

稲田万里がこれから、どんな書き手になっていくのかは、分からない。
だからこそ、今、この小説を読んでおくことは、読み手にとって意味があると私は思う。

作家の文体は移りゆく。
年齢を重ね、主題や立ち位置が変わり、文章を生み出す回路が更新される。
私の偏見かもしれないが、その変化は女性作家の方が大きいように思う。
同時代の作家を見ても、デビュー時から更新を重ねて「化けた」のは女性が多い印象がある。

「化けた」後、あるいは完成された後では、その作家のデビュー作をフラットに読むのは難しい。「あの人のデビュー作」という先入観が邪魔して新鮮な気持ちで作品に向かい合えない。
だから、気になる作家のデビュー作、ごく初期の作品は、リアルタイムで読んでおいた方がいい。
「今の稲田万里」を、まさに今、読んでおけば、「今後の稲田万里」を読む足場になってくれる。

世の中に面白い小説はあふれている。
古典をふくめ、読み切れないほど、読むべき本はある。
それでも、優れたデビュー作に出会えるのは、かなり幸運なことだと思う。
作家の誕生に立ち会う同時代人の幸運、特権と言ってもいい。

次回作が楽しみだ(と他人事のように書いている場合ではない)

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