見出し画像

研ぎすました短刀のような12編 『刑罰』

各国で絶賛され、日本でも2012年の本屋大賞・翻訳小説部門トップに輝いた『犯罪』の筆者の最新作は、期待を裏切らない珠玉の短編集だ。
『犯罪』と『罪悪』の2作を何度も再読してきたシーラッハファンの私にとっては、文字通り、待望の1冊。6月に入手して以来、お気に入りの収録作はすでに3~4回読み返している。

『刑罰』東京創元社
フェルディナント・フォン・シーラッハ

ドイツで刑事事件専門の弁護士として活躍してきたフェルディナント・フォン・シーラッハは、自身が体験した事件を下敷きに創作を行っていると語っている。
実際、多くの短編は司法システムと犯罪に精通した専門家らしい描写が作品を支える骨格として機能しているのは確かだ。

だが、私はこの説明を疑っている。
実際にあった事件がヒントになっているかもしれないが、作品群の多くはほぼ純粋な創作物なのではないだろうか。弁護士が背負う守秘義務という重い足かせを考えると、実在のケースに着想を得てしまっては、ここまで深く人間の本性に踏み込み、人生の機微を描く作品は書けないのではないか。

私の仮説が正しかったとしても、それでシーラッハの作品の価値が下がるわけではない。
もし3つの短編集のいずれも未読という読者がいたら、書店でどの1冊のどの短編でも良いから、拾い読みしてみてほしい。短い物なら数分で読める。どの一編をとっても、この作家の非凡さは伝わるはずだ。
そして通読してみれば、この恐ろしく切れ味の良い短編を紡ぎ出す書き手の土台に弁護士として見てきた絶望と希望があることも明白だろう。

ほぼ純然たるフィクションだろうという仮説を持ち出したばかりではあるが、2編だけ、「著者の原体験に近いものではないだろうか」と思われる作品がある。『罪悪』収録の「ふるさと祭り」と『刑罰』の「友人」だ。
前者は弁護士という職業が背負う業に直面した若者の成熟を、後者は人生のどこかで誰もが陥りかねない孤独や虚無、疎外感を描く。
この2編を読めば、シーラッハが筆をとらずにはいられない、そしてひとたび筆をとれば人間の深奥を描かざるを得ない作家であることが腑に落ちる。

過去2作に続き、簡潔な語り口の文体に仕上げてくれた酒寄進一氏の訳も素晴らしい。長く、すぐ手が届く本棚の一角を占める1冊になりそうだ。

=========
ご愛読ありがとうございます。
本稿は光文社のサイト「本がすき。」に2月26日に寄稿したレビューです。編集部のご厚意でnoteにも転載しています。

ツイッターやってます。フォローはこちらから。

異色の経済青春小説「おカネの教室」もよろしくお願いします。


この記事が参加している募集

推薦図書

無料投稿へのサポートは右から左に「国境なき医師団」に寄付いたします。著者本人への一番のサポートは「スキ」と「拡散」でございます。著書を読んでいただけたら、もっと嬉しゅうございます。