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千葉商科大学付属高校の校長になります

2025年4月から、千葉商科大学付属高校の校長になることが決まった。プロフィール等、詳しくはこちらを。

28年勤めた日経新聞を辞めて、「経済コラムニスト・YouTuber」を名乗って1年ほどで「校長先生になります」。
我ながら、唐突だ。
唐突かつ、意味不明かもしれないから、何か書いておこうと思っているうちに、あれこれ忙しくて10日ほど経ってしまった。
ひとまず、今の自分が考えていることをつれづれと。

一番は「面白そうだ」

まず、なぜ今回のオファーをお受けしたのか。

一番の理由は、面白そうだ、と思ったからだ。

もちろん、やるとなったら面白いだけで済むはずはない。
だが、「面白くなさそうだ」と思ったらお断りしていたのも確かだ。
私が感じる「面白そう」のニュアンスをどう表現するか迷っていたら、つい先日、「ああ、この感じだ」という糸井重里さんの絶妙な言葉に出会った。
絶妙のタイミングに感謝しつつ、抜粋引用いたします。

あらゆるものごとに「おもしろい」はある。(中略)こういう「おもしろい」のことを「気持ちよくこころが動くこと」と言い換えても、とりあえずはいいかもしれない。
「気持ちよくこころが動く」ためには、どういうことが必要になるのだろうか。逆に言えば「おもしろくない」ということは、「気持ちよくこころが動かない」ということだが、それはどういうことが足りないのだろうか。

そんなことをいつまでも考えているものだから、ときどき、「こういうことかな?」と思いつく。
今回、思った「こういうこと」とは、「問いがある」ということだった。「問い」、「謎」と言ってもいいかもしれない。「わからないこと」「?」とも言えそうだ。
人と人とのなんでもないおしゃべりでも、「おもしろい」と「おもしろくない」がある。スポーツでも、音楽でも、絵画でも、いわゆる仕事でも、「問い」が見えるものは、「気持ちよくこころが動く」

あ、同じようなことを岡本太郎は、こう言ったっけ。
「なんだこれは?というものは、芸術である」と。
「おもしろくない」は、問いでなく答えの羅列だ。つまり「謎」がない、「わかりきっている」もののことだ(そうかといって、「まったくわからない」ものも「おもしろくない」んだけど)。

 08月03日の「今日のダーリン」(ほぼ日刊イトイ新聞)

なぜ日経新聞を辞めたか聞かれると、「28年もやったら飽きますよ」と軽口で返すのが常なのだが、これは半ば本音だ。
「日経新聞の元編集委員」という肩書は大変便利で世間の通りも良いけれど、正直、ちょっと窮屈なところもある。
今までと全然違うことをやってみたい。
カッコつけて言えば、Comfort Zoneを抜け出してみたい。

高校の校長職は完全に畑違いの仕事だ。
この春から金融教育の顧問(アドバイザーみたいなもの)として高校に足を運び、先生方や生徒たちと交流する時間をそれなりに持ってきたのだが、予想通り、ぜんぜん知らないことや「謎」にたくさん出会っている。
とても、面白い。
これからも計算が立たないこと、思いもしない喜びと、それと同じくらいの大変なことが待っていそうだ。

上で畑違いとは書いたものの、教育の中で、金融教育という限られたフィールドについては自分のライフワークと位置付けてきた。
『おカネの教室』の執筆も、日経時代にはじめたYouTubeも、今やっている個人のYouTubeチャンネルも、その他進行中のあれこれも、縦糸は通しているつもりだ。
今後は「金融」という縛りを解いて、「教育」に正面から取り組んでみようと覚悟を決めた。

「最善の投資」にかかわる機会

「面白そう」は個人的モチベーションの話だが、もちろん、校長という仕事の重さ、教育の社会的意義も「ぜひ、やりたい」と心が動いた理由だ。
教育の重要性について言葉を重ねる必要はないだろう。「社会にとって教育は最善の投資」は私の持論でもある。
その一端を担えるのは大変光栄であり、稀有な機会だ。

昨年、日経を辞めた直後にこんなインタビューを受けた。

教育については、自分が上の世代からもらったものを、次の世代に渡していかなければ、という思いが強いです。私は、先輩たちから、色々な恩をうけてきました。それを返す相手は、若い世代なんです。常に上の人から借りがあるという状態が人類の歴史だと私は考えています。私もどこかで貸しを作ってあげないといけない(笑) そうしないと、どこかで世代の断絶が起きてしまう。
元々、私は若い人と何か一緒にやるのが好きです。年上の人と組むのももちろんいいんですが、若い人と話したり、一緒に活動したりしたい。その中で、私も次の世代の礎になれれば幸いです。

元日経新聞記者・高井宏章に聞く!「仕事を辞めてまでやりたかったこと」とは?

綺麗事に聞こえるのは承知だけど、これは本音だ。
まだ完全にバトンを渡すほどの「やり切った感」はない。
まだまだ自分のやりたいことはたくさんある。
でも、52歳は、そろそろ若い人に伝える役割もやらなきゃな、というお年頃だと感じている。

伝えたいことといっても、それは知識やノウハウやメッセージみたいな、くっきりとした形をもったものではない。
千差万別の若者を相手にする高校教育に、「これ」という答えなどあるはずがない。それに、私は「教えたがり」だけれど、「押し付けたがり」ではない(つもりだ)。

言葉遊びみたいだが、伝えたいのは「ある考え」ではなく「考え方」であり、「ある選択」ではなく「選択する力」であり、「ある生き方」ではなく「生き方は自分で選べる」という心の持ちようだ。
その延長線上に、「人生、そんなに悪くない」と思えるあり方があるのだと私は考える。
どんな人生が「悪くない」かは、その人の価値観や置かれた環境によるだろうし、時代の変化にも影響を受けるだろう。
人の世は移り変わっていく。
だからこそ、どう転んでも「悪くない人生」を切り拓ける力持った個人を育てるのが教育の役割だろう。
世界をどうとらえるか。
社会の中で自分がどんな役割を果たすのか。
市場経済の根っこを理解してどう振舞うか。
『おカネの教室』にこめたメッセージも、突き詰めれば、そんな私の考え方だった。

今や「18歳で成人」なのだから、高校教育は大人の階段の最終ステップだ。
次世代の社会の担い手の「助走」に並走する。
これほどやり甲斐のある仕事は、なかなかない。

無論、未知の世界に飛び込むのだから、苦労は覚悟の上だ。
少子化の逆風や、社会の変化への対応など、学校経営は課題が山積みだ。
それでも、焦らず、現場の先生方と一緒にじっくり取り組めば、ミッションはクリアできると確信している。

聞いた瞬間「無理でしょう」

お引き受けした経緯も少々。

「高校の校長になってみませんか」。
長年お世話になっている知人からの打診は、あまりに唐突だった。
今の校長先生が近く定年を迎えられる、その後任を探している、(校長としては)若くて新鮮な民間人を、というお話だった。
私はとっさに「いやいや、私には無理でしょう」とお断りした。
相手は「ひとまずご家族、特に娘さんに聞いてみて」と応じた。
帰宅して家族に話すと案の定「それは、ない」。娘たちの「らしくなさすぎる」という指摘が的確すぎた。
たしかに、校長先生的存在とセルフイメージのズレがあまりに大きかった。
校長先生は普通、威厳がある。あった方が良いような気がする。
威厳は、自然に備わるものだろう。そして人間には向き不向きがあり、私は威厳という属性に向いていない。性格も言動も見た目も。
「やっぱり無理があるよな」と再確認し、ご依頼の件はいったん忘れることにした。

「現場を知りたい」というモヤモヤ

「やってみようかな」とジワジワと気持ちが変わったのは、モヤモヤの影響だった。
日経新聞をやめて1年ちょっと。自由度が上がり、いろいろやってきた。

自分のワイフワークの金融教育は、ちょっとしたブームで、活動の場も広がっている。
でも、一方でモヤモヤも膨らんでいる。
いまひとつ、「顔が見えない」のだ。
イベントや講演に足を運ばない大多数、だからこそ一番金融リテラシーが必要なはずの「フツーの人たち」のイメージがうまく描けない。
「もっと現場を知りたい」という思いは強まっていた。
「顔が見えない」と並ぶモヤモヤが「金融リテラシーだけ伝えるのは無理がある」だった。
今の世の中、良くも悪くも、あらゆることにお金が絡む。
お金はただのツールだが、お金抜きでは人生は語れないし、渡れない。
金融リテラシーと「生き方」は、一緒に考えた方がいいし、一緒に伝えた方がいい。

「なんとかなる」という楽観と諦観

「やってみたい」は日に日に強まった。
問題は「ちゃんとやれるのか」だが、私には、昔から自分に言い聞かせている仕事観がある。
それは、
「誰かがやれている仕事なら、一生懸命やれば、自分にだってできるはず」
という楽観だ。
唯一無二のアーティストやアスリートの代打はできないが、誰かが順番にやってきた仕事なら、こなせないということはないはずだ(と思い込んでやるしかない)。
記者時代も担当や部署の異動で「自分にできるのか」と不安になったことは何度もあった。誰だってそうだろう。それでも、それなりにやってきた。

無論、教育界への転身は飛躍の度合いが違う。
でも、少なくとも自分自身は元高校生で、3人の娘の親として高校という組織とは長年のお付き合いがある。「未知の世界」ではない。

「らしくない」「威厳に欠ける」という点は、もう仕方ない。「別に威厳がなくても、いいじゃないか」と諦めることにした。配られたカードで勝負するしかないのです、人生は。
それに、どんな組織だって、大事なのはチームが機能するか、だろう。
学校の主役は生徒と、授業や部活動、日々の指導などを通じて生徒と接する現場の先生方だ。
千葉商大付属高校にはベテランの先生方、意欲をもった若い先生たちがたくさんいる。
プロの皆さんと「生徒のため」という目標をしっかり共有できれば、「らしくない校長」でも良いチームとなれる道はあるはずだ。

金融リテラシー×SDGs

校長職はゼロからの挑戦だが、金融・経済教育については経験を生かして貢献できる部分がそれなりにあると思う。
すでに今春から、金融教育担当の顧問として、現場の先生方や大学と一緒にカリキュラムの改善を進めている。ありきたりな言い回しだが、「自分が高校生の時に受けたかった」と思える、楽しくてユニークな内容にブラッシュアップできれば、というのが当面の目標だ。

千葉商科大学と付属高校は、大学と高校が一体となる「高大連携」という枠組みで金融リテラシーとSDGs教育に取り組むユニークな体制をとっている。付属高校では、3年にわたってこの2大テーマを手厚く学ぶ。

高校の金融教育では、通常の「公共」「家庭基礎」だけでは割ける時間が限られてしまうが、そこに「総合探究」などを組み合わせて手厚いカリキュラムを組んでおり、授業数、自由度、深さとも格段に増している。
高校の金融教育には「資産運用や投資に偏りがち」という批判が根強くある。その点、「SDGsから入って金融を学ぶ」という流れは「社会軸」と「個人軸」のバランスをとる上で優れた設計だと思う。

なお、本業は校長となるけれど、今の活動は可能な範囲で継続する。
自分のYouTube「高井宏章のおカネの教室」チャンネルやラジオのレギュラー番組「高井宏章と横川楓のお金のハナシ」、経済コラムニストとしての連載や書籍の執筆も続ける予定だ。
学校外での活動は、私自身の「やりたいこと」であると同時に、外部とのコラボレーションなどの相乗効果も見込めると期待している。
実際、ありがたいことに、校長選任の発表以降、講演や出張授業、イベント参加など、いくつかご協力のお申し出をいただいている。
千葉商大と付属校の取り組みを情報発信するとともに、生徒にとって刺激になるチャンスを「外」から増やしていければ、と考えている。

まだ決まったばかりだから、なんとなくモヤっとした文章になってしまった。でも、これは今しか書けない文章だろうから、このまま残しておこう。
1年後には「モヤっ」が晴れて、「現実は甘くない!」と悲鳴を上げているかもしれないが(笑)

というわけで、来春からは「千葉商科大学付属高校校長兼経済コラムニスト兼YouTuber」になります。
今後ともご指導ご鞭撻、ご愛読ご愛顧、チャンネル登録・高評価のほど、よろしくお願いします。

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ご愛読ありがとうございます。
経済青春小説「おカネの教室」、新潮文庫になりました。

YouTube「高井宏章のおカネの教室」もよろしくお願いします。


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