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健康情報を得て意思決定する権利

私は健康関連事業をしていた頃、東京の産業保健研究会(さんぽ会)によく顔を出していました。そのまとめ役の福田洋先生から届いたメルマガを拝読し、翌日にこんなことを書いていました。
2023年9月7日、さんぽ会・名古屋の例会に福田先生が来てくださり、少しお話しできてとても懐かしく思いました。私はもっと前線で健康づくり支援がしたいんだ、健康な人を増やす活動をしたいんだ、自分のいまの気持ちを再確認する例会になりました。



昨日の朝(2011/5/6)、順天堂大学の福田洋先生から、さんぽ会のメルマガが届いた。来週末の5月の月例会(5/13「産業保健においてヘルスリテラシーという概念を導入する意義と方法」)の案内だ。
私はいま、予防医療からさらに医療に踏み込んだ現場に移り、なかなかこの会に参加できていないのが残念なのだが、このメルマガは楽しみにしている。

このメルマガによると、「ヘルスリテラシー」は、2005年のバンコクでの第6回ヘルスプロモーション世界会議で、「人びとが獲得すべき能力」に追加されたものだそうで、

自分の健康や医療に関する情報を収集、理解、活用することによって、QOLの維持・向上のために適切な意思決定ができる能力

とのこと。

また昨年(2010年)、アメリカ厚生省は National Action Plan to Improve Health Literacy を発表し、

すべての人が、健康情報を得て意思決定(informed decisions)をする権利を持ち、保健医療サービスは、誰にもわかりやすく提供されなければならない

とされたそうです。

この10年間のアメリカを中心とした多くの研究からは、
患者や市民は自分の心身の状況などを正確に医療者に説明できないと、
コミュニケーションが成立せず適切な保健医療サービスが受けられない

その影響は、
・各種健康アウトカムが不良(なことはもちろん)、
・セルフマネジメントのスキルが低い、
・救急医療サービスを利用しやすい、
・入院率が高い、
・療養上の説明や指導を理解できない、
・検診受診率が低い、
・治療が遅れたり、治療ミスに結びつきやすいこと
などにつながっている。

ということが、わかってきたようです。

当たり前といえば、それまでですが、どうなのでしょうね。

私は2001年に「ゆう星☆心と身体の談話室」というWebサイトを立ち上げ、多くの方たちと、インターネットを通して交流してきました。
最初の思いは、「心の問題が身体にまで大きく影響するんだよ。それはお医者さんでもなかなか治せないんだ。わけのわからない不快な症状に悩んでいる人は多くいるよね。そんなみなさんに、私の経験したことや学んだ事が、少しでも役に立てたら幸せだな。インターネットの中は情報で溢れている。見ようと思えば誰でも、ちょっと検索のコツをつかめば、自分の心配事に関わる情報にたどり着ける。けれども、そこにあるもののが本当に正しいのか、まやかしか。あるいは悪徳商法に引っかかりはしないか。ちゃんとみんなは、自分に有益な情報を取捨選択できるのか...」というようなことだったんです。
あれから10年余。まさに先のアメリカでの研究と同じくらいの歳月が流れ、いまはどういう状態なのでしょう。

インターネットを使って情報発信したいと思っても、あの頃はまだ、HTMLを使いページ単位で言いたいことを書き上げ、サーバーにアップするということをしなければならず、誰もが簡単にできるという時代ではありませんでした。

しかしいまは、ブログによって誰もが日記感覚で情報を出せるようになり、さらにはツイッターなどの流行で、なにか思ったその時々に書き言葉で発信し、リアルタイムで共有できるようになっています。
たとえば、あそこが痛いとつぶやいただけで、どこどこにこんな病院があるよ。すぐに診てもらうといいよと、懇切丁寧な返事まで返ってくる。それもパソコンなしでケータイさえあれば見られる、そんな時代。

私はいま、主に循環器のドクターと仕事をさせていただいています。不整脈解析の研究をしていた頃もそうでしたが、その後に自律神経について研究し、そこで知り合った方々(心療内科、神経内科のドクターが多かった)との交流の中で、同じ医者でもずいぶんと違うもんだなぁと思ったものです。医療・医学用語には外国語が多く、しかも頭文字をとって略したりするものですから、なかなか一般市民には通じません。
昔は患者にわからないように、あえてそうした(中途半端に知ることによって不安を助長することを避ける?)という時代もありましたね。でもいまは、理解していただいて、病気を治す主役に患者さん自身になっていただいて、患者さんとともに、傍らで支えながら病気に相対していく時代になりました。

一方患者さんや市民は、というと、いまだに「病気になったらお医者様に治してもらえばいい」「悪くなったら薬を飲みさえすればいい」という思いの方が、少なくないように感じます。

コミュニケーションはキャッチボール。ヘルスリテラシーの向上には、両者の努力がまだまだ必要のように思いませんか?

私の恩師・宗像恒次は、このように言っています。

生活習慣病や慢性疾患の患者に対して病気の治療のための行動変容を成功させるには、どうにかしてコンプライアンス行動をとらせるという従来の方法だけでは効果は低い。人生目標や生きがいまでにかかわっているのであるから、行動変容の成功には本人の自己決定によるセルフケア行動が必要とされる。…(コンプライアンス行動とは、医療従事者が患者の健康のために必要であると考え、勧める指示に患者が応じ、それを遵守する行動である。…セルフケア行動とは、治療的に効果がある行動を守るか否かを問うよりも、自分に必要な行動を自ら判断し、実行する行動である。)

セルフケア能力を育てるには、自分の気持ちをわかってもらえ、安心して自己吟味、自己主張、自己決定できる関係や場を持っていることが必要である。

…これからの病院は、患者にとって、もとの健康状態になるべく近い状態にもどしてくれる場ではなく、以前の自分よりも成長していくための気づきのチャンスを提供する場と考えるのが良い。

病気というのは捉え方を変えれば、身体症状や精神症状、行動症状といった症状という形でのサインを発して、私たちに気づきや成長のチャンス、あるいは重大なメッセージがあることを知らせてくれていると考えられる。
現代の病気を防ぎ治すには、…病気が知らせてくれているチャンスを生かし病気を成長の糧にするためには、単なる気分転換や気晴らしに終わることのない本当の意味でのストレスマネジメント、患者本人の意思による行動変容が必要であり、さらには援助者には患者の自己成長をも支援できる技術が求められる。

宗像恒次:患者を感動させるコミュニケーション術(2005、ぱる出版)

保健医療サービスとして、誰にもわかりやすく提供されるであろう情報の中から、自分の健康や医療に関する情報を収集、理解、活用する能力を養い、自らとそして自分の周りの人々のQOLの維持・向上のために適切な意思決定ができるように、もっと自己成長していこうではありませんか?!



この記事を書いてから12年経ちました。
患者の意識は変わったかというと、そんなに進歩がないように私は感じます。
それは、国民皆保険という制度の弊害ではないかと私は思っています。バカにできない高額な保険料という名の税金を強制的に取られているのに、給与天引きだとほとんど意識しない。国民健康保険は世帯主が払うから、その時はちょっと考えるかもしれないけれど、世帯全体、ごちゃまぜでよく解らなくされているから、よく計算しないと自分の保険料なんてわからないし、結局意識から消えて行ってしまう。
結果、病気になったらお医者様に、と他人事。
流行病で、機能不全に陥った医療機関もあり、診てもらいたいときに診てもらえないという経験をした人は、健康について考えたかもしれません。

でも、いま「自分のQOLの維持・向上のために適切な意思決定ができる健康や医療に関する情報」は、果たして適切に得られるのでしょうか?
インターネット上には玉石混交、さまざまな情報があふれ、権威者と呼ばれる人さえ平気でウソをつく時代になってしまいました。その代表格は悲しいかなマスコミかもしれません。
アメリカ厚生省は2010年、「すべての人が、健康情報を得て意思決定(informed decisions)をする権利を持ち」といっていますが、今回の流行病騒動を見ると、意思決定できるような健康情報はどれくらい公にされたのでしょうか?日本は…もっと酷い状況ですよね。
私は幸いなことに、この身を持って多くの症状を体験し、またいくつもの医療・健康分野の学会に会員として参加し、かといってそこでの知識を鵜呑みにせず、表も裏も見、総合的に健康というものを捉えてきたため、ある程度、このヘルスリテラシーを高めることができたと思っています。そして、いまでも有料情報を得て、情報をアップデートしています。

このような公の場でお伝えできることは、残念ながら限られてしまうため、必要とされる方にはお届けしたいと、いまは、サッ!とメントレ塾で「リクエスト講座」をお受けしている状況なんです。

これから、もっと人間の健康が脅かされる世の中になるかもしれません。
あなたが適切な情報にたどり着き、あなた自身のQOL維持・向上のために、適切な意思決定ができ、それに従って行動できるようになることを願っています。

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