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De La Soul

昔々デラソウルというHiphopグループがいまして、そう、ヒップホップって言葉ができた時代。89年だか90年だかに川崎のクラブチッタで初めての日本公演というかイベントがあるという。どういう段取りでそうなったのかはよく覚えていないのだけれど、当時名古屋にいたおいらは東京の友人達に合流してこのイベントに出掛けて朝まで踊ることになっていました。

この東京行きの話を名古屋でしていたら、仲良しのキャロルがちょうどその日の近くに別の用事で東京へ行く予定があるということで、一緒にイベントに行けないかと言います。彼女はNYC出身のアメリカ人で、デラソウルのイベントは最高に面白そうだと最初からチョー乗り気でした。

名古屋で友人達とクラブに踊りに行くとおいらはよくキャロルと一緒に踊っていたのです。彼女ではないけど、ちょっと年上の仲良しのお姉さんでした。バイト先のお店が近かったので共通の友人を介し知り合ったのです。

東京へは別々に移動し、クラブの前で友人達と待ち合わせをして、その前においらとキャロルは別の場所、覚えてないけど多分駅で待ち合わせをし、先に合流しました。何か先に食べておこうという話になり、2人で中華屋さんへ入って軽く腹ごしらえ。

何しろ昔の話で断片で覚えているだけなんだけれど、多分イベントはかなり遅い時間からなのでそれまで結構時間があったのでのんびりできたんだと思います。いつもは他にも友人がいる状況で会ってた二人なので、後にも先にも二人だけでのんびりしたのはあの中華屋さんだけな気もします。

この時にお店の奥にあるブラウン管のテレビで「トップガン」をやっていたので一緒にちょっと見てました。おいらはまだトムクルーズの映画は見たことがなかったのだけれど、キャロルが「バカな映画よね」というので、その後しばらくトムクルーズに悪い印象を持っていました。ずっと後にミッションインポッシブルでファンになったけど。

アメリカ人の女の子とテレビの画面で映画を見た別の思い出は、この「トップガン」の1年後くらいのはずだけれど、名古屋でその当時付き合ってたやっぱりちょっとお姉さんのフィラデルフィア出身の英語の先生とデートで映画がずっとモニターに映ってるお店に行ったこと。その日はトムハンクスの「ビック」が流れていて、彼女が「この映画大好き。トムハンクスも最高」と絶賛していたので、それ以来「フォレストガンプ」も「ダヴィンチコード」も「インフェルノ」でもトムハンクスはずっと大好きです。

話しを川崎へ戻して、ガラガラの中華屋で腹ごしらえしてくつろいだので、そろそろクラブへ行こうと2人は友人達と待ち合わせしてあるクラブ前に向かいました。

合流し友人達にキャロルを紹介し一緒にクラブに入りました。港の倉庫っぽい立地や施設があまり日本ぽくないのでキャロルは「なんだかNYみたい」ととても喜んでいました。この時グループの友人の一人がずっとキャロルにあれこれ質問し続けていたのも覚えています。キャロルはコロンビア大学出身でチョー頭のいい人でまだ日本に来て数年だったはずだけれど日本語はペラペラでした。東京でもああいう最高に楽しくてフレンドリーなアメリカ人の女の子と友達になる機会はそうないんだろうなあと思いながら眺めていました。

デラソウルのライヴが終わってもDJが入ってるので朝まで踊って会場を後にしたような気がするけど、すごい昔の記憶だし、後半は酔っ払いでもあるので確かではありません。でもキャロルとはここで別れて、オイラは東京の友人宅へ泊めてもらったはずだと思うんだけれど、朝ならそのまま名古屋に帰ったのかもしれない。でも、クラブで盛り上がってキャロルといつものように踊ったことや、名古屋で後日再開したときに「最高だったね。ホントNYCみたいだった。また行きたい」と話していたことは覚えています。

キャロルはこの後名古屋のケーブルテレビ局で仕事をするようになり、子供向けのテレビ番組を制作するプロデューサー的なことをしていた時期があり、その時に多分まだ大学生だったはずのおいらに番組で使うイラストを依頼して来たことがあり、台本に沿ったストーリーの挿絵や線をつないでいって最後に何かが現れるようなアニメのイラストを描くバイトをしたこともあります。彼女は「予想以上にカッコいいのが出来た」と喜んでいました。そのケーブルテレビ制作会社がツインピークスという名前だったことは憶えています。

名古屋にいたときには、お店のバイト以外にも、バンドのダンサーのバイトやTシャツのデザインのバイト、お店の内装デザインのバイト、スペイン料理屋さんのカウンターにモザイクタイルをデザインして張るバイトなど、学生なのにあれこれ手広くやれていたのは時代がよかったのも大きいけれど、とにかく疲れることがない無限大のエネルギーがあったように思います。若いってすごいことだと分かるのは若くなくなってからのようです。

「若過ぎて分からなかったことがリアルに感じてしまうこの頃さ」と佐野元春は若い頃に歌ってるけれど。

さて、このキャロルに紹介してもらった友人などを頼りにNYCへ一人で2ヵ月滞在したときの話は別の昔話に書いています。それはそうと、911後にセキュリティが厳しくなり、コロナウィルスで検疫が厳しくなり、もう当時のように自由にどこへでも気軽に飛んでいけた時代は戻ってこないんだろうなあと思うと、ちょっと残念だね。時代は進化するばかりではないということ。

月日は流れ、ミラノに住むようになってから一時帰国時に名古屋で最後にキャロルの消息を聞いたときは、日本人と結婚してアメリカの西海岸に住んでいるということでした。連絡先がわからなくなってしまった。若いときはいつでも会えるような気がしても、なかなか会えなくなる人もいるものです。

また会いたいよね。

Peace & Love

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