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【短編小説】ウィンナーシュニッツェル

コトレッタミラネーゼが好きで何が悪い。

僕が突然警察から声をかけられた日は曇り空だった。出かける前に傘を持つべきかどうか少し迷ったので曇り空だったことは覚えている。でも、あれからしばらく空を見上げることはなかった。

「君は先日のウィーンフードフェスに行ってた甘木君だね。」

「え、あ、そうですが、何か?」

「君は参加してた5店舗のビーフカツレツ店名当てコンテストに参加して優勝したそうじゃないか。」

「ああ、あれは、まあ、だって簡単だったんですよ。ビーフカツレツと言っても参加店の、例えば神戸屋さんは豚肉でなく牛肉を使った極普通のカツレツだから肉が厚めだったり、ウィーンテラスさんのは正統なウィンナーシュニッツェルで肉を叩いてのばしてるから肉が薄かったり、味比べする前からよっぽどの素人でなければ大体分かるんですよ。」

「...素人ね。ええ、じゃあ、ちょっと悪いけど、お話したいことがあるからそこの署まで来てくれる?」

「はっ?何か問題でも?」

「いやいや、君が法律違反したとかそういうことじゃないから心配しないで。その、ちょっと話を聞きたいだけだから。」

「ああ、まあ、話だけなら。」

こうして僕は拘束された。ウィーンフェスに行っただけでだ。

「いやね、話って言うのは、君はビーフカツレツ派なんだってね。」

「ええ、まあビーフカツレツって言うか、ウィンナーシュニッツェルやコトレッタミラネーゼが好きなだけですけれど。どこでそれを?」

「いや、だからフェスの委員会から表彰されたくらいだから、ほら。」

「ああ、でもあのコンテストの商品券は参加店一店につきドリンク1杯無料になるだけで、まだ使ってもいないですよ。」

「うん、それで、君の御両親は君がビーフカツレツ原理主義者になってることご存じなの?」

「いや、僕はそんな原理主義者じゃないですし、実家の両親は多分家でとんかつしか食べないと思うからビーフカツレツのことなんか何も知らないと思いますよ。」

「そうか、じゃあ君がビーフカツレツを食べるのは地下活動ってわけだ。」

「いや、ですから、親とはそんな話今までしたこともないし、ぼくが一人でどこで何を食べていようが問題なくないですか?」

「うん、どこで何をね。」

「ええ、どこで何を。」

「君、昨夜のごはんどこで食べた?」

「昨夜は... ああ、とんとんでみそカツ定食を。」

「とんかつ、豚肉だよね、みそカツって。」

「はい、それが何か?」

「実はね、署に通報がありましてね、その、ビーフカツレツ原理主義者がとんかつを食べたってね。いや、それ自体が法律違反ということではないんだよ、あくまでね。そういう、誰だって豚肉や牛肉を選択する自由だってあるわけだ。ただ、君はビーフカツレツ派として公の場に出た身じゃないか。それでね、その苦情に基づき話を聞いてるわけだ。」

「どういうことですか?ちょっと訳分からないんですけれど、それって、誰かが尾行なり監視なりして、僕が牛でなく豚のとんかつを食べたことを警察に通報したってことですか?」

「まあ、当たらずとも遠からずってところかな。」

「それで僕はこんな取り調べ受けてるんですか?」

「君は言ったよね、フェスのビーフカツレツは素人でなければ直ぐに判別できるって。つまり君はプロなわけだ。プロのビーフカツレツ原理主義者なわけだ。」

「それは言葉のアヤですよ。なんですかプロのビーフカツレツ原理主義者って、そんな言葉聞いたこともない。」

「うん、まあ、そう言うだろうとは思ってたんだけどね、ただ、君は既にプロとして金品の授与を済ませているわけだし、ほら。」

「ドリンク券のことですか?あんなもん使うかどうかも分かりませんよ。」

「そりゃそうだ、ただ、賄賂をもらったり渡したりして逮捕された人が使うつもりわなかったって言えば釈放されると思うか、君は?」

「だってそれは犯罪だからでしょう。ぼくはただビーフカツレツが好きだってだけの話じゃないですか。法律には違反してないでしょ。」

「それがだ、もちろんさっきも言ったように直接は何の法律にも接触してはいない。ただ、もし君がプロビーフカツレツ原理主義者である場合、とんとんで食べる行為はスパイ行動にあたる可能性が出てくる。一方シュニッツェル協会からは背任の疑いをかけられる立場にあるわけだ、今の君は。分かるかな?」

「分かりません。なんですか、背任て。」

「君がドリンク券をもらったとき書類にサインしただろ、住所氏名を書いて。」

「住所と名前は書きましたよ。でも、書類って程のもじゃないでしょ、なんか普通のアンケート用紙の枠みたいなところに書いただけですよ。」

「君は契約書を読みもしないでサインしたのか?」

「契約書って、ただドリンク券受け取りに住所と名前書けって言われて書いただけですよ。」

「君がサインしたのはシュニッツェル協会の契約書だ。そして契約書では今後一切豚肉のカツレツは食べない、付け合わせには生のキャベツの千切りは認めないという協会宣言に君は同意をし、その上で金品の報酬を受けたわけだ。つまりとんとんに行った君には背任というか契約詐欺を働いた疑惑があるわけだ。そして、プロビーフカツレツ原理主義者のシュニッツェル協会員がとんかつ連合のとんとんに乗り込んでくる。しかもタイトルホルダーが堂々と来店する。とんとんの店員が黙って見逃すとでも思っていたのか?店員たちはスパイ行為によりどこまで君が情報持って出るかに注意を払ってくたくただったらしいぜ。君ほどのプロなら油の温度、パン粉の粗さ、玉子、粉、塩コショウのバランスなどの企業秘密も1回で持ち出しかねないしな。」

ぼくは答える力を失った。もう口を開く気にもならなくなった。夜になり押し込められた部屋で硬いベンチのようなベットに横になり自分がしたことを一つ一つ思い出してみた。ただただおいしいものを食べただけじゃないか。あのバカバカしいコンクールに出てみようと思い立った気まぐれがこのカオスの原因だ。だって参加者6人のしょぼいコンクールで豪華賞品って言うからその場で応募しただけなのに。結局商品券もしょぼかったけど。優勝した僕を知らないうちにシュニッツェル協会に騙して契約をさせていたということは、あのフェス自体がその訳の分からない協会の主催ってことなのか。

空腹のまま頭に思い浮かべたウィーンテラスのウィンナーシュニッツェルと共に僕は眠りに落ちた。

「どうだい、よく眠れたかい。」

「まあまあ。」

「さて、昨日説明したように、君はとんかつ、ビーフカツレツの双方から訴えられているわけだ。」

「それはなんとなく理解できました。もちろん僕に非があったとは思えないんですけれど。どうも逃げ道のない話に巻き込まれているようですね。」

「うん、逃げ道はない。ただ君の場合どちらの訴えに対しても初犯であることから、執行猶予は付くと思う。だから君がスパイ行為をしたか、詐欺行為をしたかのどちらかで私に自白をしてくれれば悪いようにはしないつもりだ。」

「悪いようにったって、ぼくは何も悪いことをした覚えがないのにですか?」

「まあ、君次第だけれどね。時間が経てば経つほど君も精神的にまいってくると思うから、私は豚か牛か、君がどちらを選ぶかによって調書を書く準備はしておくつもりだ。それはそうと、私はね、実を言うとビーフカツレツというものを食べたことがないんだ。ついでに白状すると、君を訴えに来たとんとんにはよく行くんだ。あそこのみそカツはみそだれがサラサラでよく衣になじんでうまいだろ。あれが大好きでね。」

この時僕はこの人はビーフカツレツの美味しさを未だ知らないまま生きてきた人だと理解し、どちらかと言えばぼくがシュニッツェル協会を裏切ってとんとんへ行った方向で自白させたいのだと分かった。

つまりだ、この人にビーフカツレツの美味しさを教えることが出来ればとんかつもシュニッツェルも食べるぼくの立場を理解してもらえるんじゃないかという希望の光が差した瞬間だった。

「ビーフカツレツを食べたことがないんですか?」

「ああ、昔からとんかつは大好きで、ほら、みそカツなんか最高においしいじゃない。なんでわざわざ牛肉でカツレツを食べなきゃならないのか理解できなくってね。牛肉はやっぱりステーキで食べるものだと思うんもん。古い考えかもしれないけれど。だから、ウィーン風だとか、ミラノ風だとか、ああいうカツレツは食べたいと思ったことがないし、食べることもないと思う。大体、ビーフのやつってナイフとフォークで食べるじゃない、ああいうのがね、なんか。やっぱり切り分けてあるとんかつを箸で食べる方がいいと思うなあ」

「ステーキならナイフとフォークで食べません?」

「まあ、それはそうかもしれないけれど。」

「ナイフとフォークがめんどくさいなら、スペインバルのカルメンに行けば牛肉の串カツがありますよ。あそこのサングリアって言うフルーツの入ったワインをサイダーで割ったの頼めばワインを飲みなれていない人でもおいしく飲めて色々食べれます。」

「牛肉の串カツね、はあ、それはちょっと面白いかもしれないなあ。」

「カツと言っても、あのお店はスペイン人シェフがひまわり油にオリーヴオイルブレンドしてで揚げるんですよ。ウィーンとかではバターで揚げるというよりは焼くんですけれどね、両面をひっくり返しながら。でもバターだけだと重いのが少し軽快になるんです。イタリアでは衣にパルミジャーノっていうチーズをまぜたり、まあ、いろいろ違いはありますが、見た目は居酒屋の串カツと同じですよ。」

「見た目は同じでも味が違うんだね。まあ、君と知り合ったのも何かの縁だ、今度行ってみよう。」

どうも悪い人ではなさそうだ。弁護士を付けてもらっても豚肉派か牛肉派で自白をしないとここから出してもらえないらしいし、しばらくはこの人にビーフカツレツの美味しさでも教えて様子を見ようという気になった。

結果はテキメンだった。既に翌日にはにやけて取調室には行って来た。

「いや、早速昨夜ね、帰宅途中に寄り道して例のスペインバルっていう所行って来たよ。いや、美味しいもんだね、牛肉の串カツも。サングリアってのも飲んだけど、お店の人に進めてもらったワインも美味しかった。イカのグリンピース詰めたものやスペイン風のサラミみたいのや、そうそう、チョリソ。あれこれ食べたらどれも美味しくって気に入ったよ。悪くはないもんだね、牛肉も。また行こうと思う。」

「そうでしょう、元々とんかつ好きな人ならビーフカツレツだって好きなはずだと思いますよ。でも、やっぱりウィンナーシュニッツェルやコトレッタミラネーゼみたいな子牛のカツレツの方が王道ですけれどね。とんかつはサクサクした衣と中のお肉との対比を感じる触感が魅力だけれど、牛肉、特に子牛の肉を叩きのばして作るシュニッツェルは衣とお肉がもっと一体感を持った食感になるんですよ。しかもお肉は薄いので油モノなのに意外とあっさり食べれます。シュニッツェルにはジャガイモのソテーかフライが付きますが、プレーンなパスタが付くお店もあります。」

「要するに薄くするのがビーフカツレツなんだね。」

「とんかつ程度に厚さのあるビーフカツレツを出すお店もあるけれど、叩いてのばした子牛の肉で作るのが基本というか、オリジナルってことです。」

「ほら、私は食べたことないから、もし食べるとしたらどこかテキトーなお店あるかね。初心者向けと言っちゃああれだけれど。」

「洋食のヤマモトってあるでしょ、あそこのメニューにウィンナーシュニッツェルがありますよ。あそこは付け合わせがバターでソテーしたジャガイモだけで基本中の基本の味で美味しいですよ。」

なんだか既ににやけて目が輝いてるからその日の内に食べに行くんじゃないかと思っていたら期待を裏切らず翌日もニコニコと取調室に入ってくる。

「行って来たよ、ヤマモト。いやあ、美味しいものだね、シュニッツェルってのも。あのお店は昔ながらの洋食屋さんって感じだけど、あんなメニューも出してたんだね。」

「日本で洋食屋さんが出来始めた時代はヨーロッパというか、主にフランスのメニューをそのまま持ってきていたので、カツレツと言えばビーフカツレツで、豚のカツレツはポークカツレツと区別されてたらしいんですよね。その後値段がより手頃な豚肉が多く出回るようになってから家でもポークカツレツが作られるようになりとんかつと呼ばれるようになったらしいです。」

「へえ、じゃあビーフカツレツって言うのは最近の流行りってわけじゃない訳だ。」

「そうですね、ヨーロッパでもカツレツの一番古いレシピは牛肉見たいです。」

「さすがにビーフカツレツ原理主義者は詳しいね。ははは。私は商売柄お店に行けばあれこれお店の人と話をするんだけれど、ドイツではあのカツレツに玉ねぎのソースやら目玉焼きやら色々乗せることもあるらしいね。面白いもんだ。」

「イタリアでもボローニャではコトレッタにハムやチーズを乗せてオーブンに入れて再調理するんですよ。フランスでは薄いお肉の間にチーズを挟んで揚げたりします。でも王道はブッロキャリフィカートとという分離させたバターの透明なところだけを敷いたフライパンで揚げるというより焼いて作るコトレッタミラネーゼですけれどね。」

この人が紹介したイタリアレストランでコトレッタミラネーゼを食べた翌日に僕は解放された。証拠不十分で不起訴扱いになったそうだ。最近は奥さんと2人でイタリアンのレストランに行くのが楽しみになったようで、メニューで分からない料理があるときや料理に合わせるワインが決まらないと時々電話がかかってくる。

「やあ、原理主義者君元気にしてるかい?」

Peace & Love


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