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スフォリアテッラ

ナポリに行くのだ。ピッツァを食べに行くのだ。魚を食べに行くのだ。モッツァレラを食べに行くのだ。そうだ、ナポリでは地球上で一番おいしい水牛のモッツァレラが食べられるのだ。

ああ、水牛のモッツァレラなら近所の(それがどこだろうとナポリ以外の)イタリア料理屋さんにあるから食べたことあるよなんて間違っても思ってはいけない。なぜならナポリから離れた場所のそれは冷蔵して運んでいるため、常温で保存する本物ではないのです。あの「本物」を味わいたければ、やはりナポリまで足を延ばすしかないのです。

おいらが初めてナポリに行ったのは、ミラノで働き始めたソーデン事務所時代、飛行機の内装の仕事でミラノからプロペラ機でナポリ入りし、ジョージとデイビーと3人で今はもう倒産してなくなっているVulcan Airという小さな会社の5人乗り飛行機の実物を見に行った時。この会社はロゴにヴェスビオ火山が描かれていました。文字通り火山エアー。

ホテルからタクシーに乗り、会社へ向かいます。そうすると、ちょっと舗装してない近道を選んで運転手さんが張り切っています。ジョージが「ちょっと揺れるねえ」と笑うと「へへ、ここはパリダカールって呼ばれてる道ですよ」と運転手も喜んでいる。

朝の通勤時間は大体どこの街でも交通量の多い方向と空いてる方向があるものですが、このナポリでも片側2車線で両方向合わせて4車線の通りに出ると、火山エアー社に向かう方向が混んでいます。すると、ナポリの面白いのは、みんなが交通規則を守って混んでいる2車線を走るのでなく、自然発生的に混んでいる方が3車線、空いている方が1車線になっています。それでも3車線側がのろのろと進んでいる状態。

おいら達の乗ったタクシーはその3車線目をのろのろと進行しています。そして1車線になった反対側を時々車が通ってすれ違います。運転手さんも「ナポリではその場その場でルールも適合させる(si arrangia)のが当たり前ですわ。わはは」という感じです。そういうものかと面白がっていると、その残された反対側一車線に時々逆行して先を急ぐ車があります。それを見て「うわ、反対側から車が来たらどうするんだろう」と思っていると、しばらくしてその急いで逆行していた車がバックで戻ってきます。どうやら渋滞をやり過ごす前に反対車線に車が入って来たようです。運転手さんも笑っています。

そうして、仕事をして夕食にはリストランテで魚料理を食べました。ナポリで魚料理を食べるとなぜか驚くほどおいしい。個人的にはイタリア国内で食べた魚料理ではナポリが一番印象に残っています。マルケやヴェネチア、ジェノヴァで食べたのもおいしいけれど、ナポリのトマトソースが特別なのだと思います。

トマトと言えば、元々南米原産のトマトがヨーロッパに初めて運ばれた大航海時代は観賞用の植物で、その実には毒があると思われていたのです。その観賞用の真っ赤な実を始めて食用にしたのがナポリだったそうで、その後「食用」植物として世界中に普及していくのです。だからナポリのトマトソースがおいしいのは伊達でなく歴史があるからでもあるのです。ピッツァがこの地で生まれる下地ですね。

さて、その後も何度か仕事で訪れたナポリですが、仕事ではなぜかピッツァを食べに行きませんでした。唯一食べたのが空港で食べたスピッツィコというチェーン店のピッツァで、これならミラノの空港や駅でいくらでも食べられます。それでも常温保存のモッツァレラはナポリでも食べたしお土産にも持って帰っていました。

さて、そんな感じで出張では達成できなかったナポリの初ピッツァ体験は家族旅行で実現しました。おいらの両親がイタリア入りし、一緒にローマ旅行することになっていたので予定を立てていると、母がナポリまでは行けんか?と行きたそうなので、ナポリもローマから日帰りで観光することになりました。駅から街の中央の広場へ向かう途中、タクシーの運転手さんにピッツァのおいしい店を聞きました。それで、いろいろと見るべきところを教えてくれるのですが、あんまりおいらが仲良さそうに運転手さんとしゃべっているので、父は「知っとるもんじゃねえんじゃろう?ようしゃべるのう」と、友達でもないのにイタリア人のおしゃべりにちょっと驚いていた様子でした。

教えてもらったお店は、その後ネットで調べても有名なお店だったようで、とてもおいしかったのですが、おいしいこともさることながら、そのお店には流しの人がギターを持って入ってきて、何か演奏してはチップをもらっているようでした。我が家のテーブルにも来たので歌ってもらい、チップをいくら渡したらいいものか分からず、気前よく10ユーロくらいあげた記憶があります。5ユーロだったかもしれない。ともかく、この流しが父はすごく気に入ったようで、その後何年たっても「ナポリには流しが来たのう」と、いつも思い出話をします。

さて、ピッツァを食べ、ビールを飲んだ後は広場近くの、これも古くて有名なBARに場所を移し、カフェとババとスフォリャテッラを楽しみます。

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ババはウィンドーに並んであるのを頼むと、お皿に取ったところへラム酒のシロップを更にかけてくれてびしょびしょになったのを食べるのです。ナポリなど南イタリアのお店では一つ一つが大きいので、これにいっぱいラムをかけると、ちょっとお酒に弱い人なら酔っぱらえてしまうと思われます。「バスタ(もういいよ)」というまでラムをかけてくれます。

さて、時間を少しさかのぼって、おいらがミラノに住むようになる直前、ミラノ入りする前にパリで2、3週間過ごしました。妻の友人がパリ留学している家にその友人が出かけている間ご厄介になったのです。そういうわけで、その友人が滞在中の最初と最後の数日一緒にいた以外は自由に使わせてもらって、その間にパリの美術館巡りをしていました。あそこにはウソみたいに美術館やギャラリーがあるんですよね。

そしてパリ滞在の最後の頃、その友人と一緒におススメのカフェへ行って何か甘いものを食べようとメニューを見ていたら「ババ」というのが目に入り、これは何だろうとたずねると、その友人は分からなかったようで「何だろう、ババロワかな」なんていうので、おいらはババロワを食べる気満々で注文したら、ババが出てきて、その友人が「ああ、これイタリアのババじゃん」と言っている。そういう経緯でおいらの初ババはパリの思い出なのです。

そのババにはミラノで再会し、分かったつもりになっていると、イタリア人の友人が「ババはナポリかプーリャで食べないと食べた内に入らない。赤ん坊の頭ほどあるやつにこれでもかとラムをかけたのを食べて初めてババを食べたと言えるのだ」と力説されました。

そのババをナポリで食べ、そしてスフォリャテッラまで欲張って食べました。何しろ、スフォリャテッラとは世界中の「〇〇パイ」と呼ばれるお菓子類の親玉のようなお菓子で。個人的には世界最強のスイーツと認定している圧倒的パイなのです。

中にはリコッタベースのクリームが入っているけれど、とにかくおいしいことこの上ない。食べた後には天国が一歩近づいている一品。

こうして甘いものを食べた後にナポリのエスプレッソをくいっと飲んで食事が完結します。ナポリではエスプレッソを2発(due colpi)でやっつけるのがイキとされていて、エスプレッソをダラダラと飲むのは野暮なのだそうです。これは仕事で知り合ったナポリのコーヒー豆として有名な、ホントはカンポバッソという別の街にあるKIMBOという会社の偉い人から聞いた話なので、おいらはミラノでもエスプレッソは出来る限り2発でやっつけることを実践しています。

ナポリのコーヒーと言えば、ナポリではカフェソスペーゾという、直訳すると「宙ぶらりんコーヒー」というシステムがあり、この繰り越しコーヒーとは、お金持ちの人が近所のBARで朝食にエスプレッソやカプチーノなどを飲み、何かクロワッサン的なものを食べて支払いの時、自分の支払い分以外に少し余分にカフェソスペーゾの分も払って行きます。そうすると、BARの人が近所のおカネのない人が通り掛かると目くばせをしてカフェソスペーゾがあるときはタダでカフェを飲ましてあげるのです。こういうのもナポリのその場その場でルールも適合させる(si arrangia)やり方の1つなんですね。

「ナポリを見てから死ね」なんて言葉があるくらいでこの街を愛してやまなかったゲーテも書き残しているそうですが、元々は魔女伝説と一緒に伝わった言葉。要は「世界でも唯一無二の個性を持つナポリを一生のうち一度は訪れ自分自身で体験しなさい」ということ。これは美しい街やおいしい食べ物もそうですが、何よりもこの街に住む人々の人生を楽しむ人間性に触れなさいという話だと解釈しています。

現代では治安が悪いだとかスリが多いなど不名誉なことでも有名なナポリですが、それでも街の人達の陽気で常に人生を楽しむことを忘れない人間性は今でも健在で、ナポリでプレーしたサッカー選手の多くは第二の故郷として一生愛し続けるケースが多いようです。

ミラノでも本格派のナポリピッツァが食べられるお店は増えたし、何とか我慢は出来るのですが、それでも、またその内あのモッツァレラやスフォリャテッラを食べに、何よりあの陽気なナポリの人達の行きかう街を散歩しに再訪したいなあと思います。

でも正直、再訪したいまたはまだ行ったことがないから訪れたい街はイタリア中にあるのでなかなか実現しないけれど、まあ、それを言い出すとまだまだ行きたい国も沢山ありますね。人生短過ぎではないのか。

Peace & Love


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