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大人たちの「おわ恋」朝ドラ『おちょやん』第3週

終わった恋、略して「おわ恋」作品に注目し、よきおわ恋に出会ったら記録しておくためのnoteです。
朝から画面の向こうもこっちも涙ぐんでしまう素晴らしいおわ恋に出会えたのでメモ。NHK連続テレビ小説『おちょやん』第3週「うちのやりたいことて、なんやろ」について。

おちょやん面白い!

チャンネル権を手にして10年。
おはよう日本→朝ドラ→あさイチの鉄板フローを愛してきました。
しかし、たとえ15分であっても物語の消化にはカロリーを使うもの。私はどうも心の胃が弱いようで、ときどきお休みを挟んで見たり見なかったり。でも前二作は続けて視聴し、スカーレットは今までで一番好きな朝ドラになりました。(ちなみにカーネーション、あさが来たへと続きます)

おちょやんはトータス松本さん演じるダメ親父に振り回される第1週がつらかったものの、主人公の子供時代を演じる毎田暖乃さんの演技力に圧倒されているうちに二週間が過ぎ、杉咲花さんにバトンタッチ。第3週へ突入。
12月18日(金)放送のラストを見た今、完走するというか、させられてしまうだろうなと思っています。凄かったんです、第3週。

NHK連続テレビ小説 おちょやん
明治の末、大阪の南河内の貧しい家に生まれたヒロイン、竹井千代は小学校にも満足に通わせてもらうことができず、9歳のときに、道頓堀の芝居茶屋に女中奉公に出される。
そこで目にしたのが、華やかな芝居の世界。
彼女は女優を志し、芝居の世界に飛び込んでいく。
公式サイトより)

メインテーマとサブテーマ

第3週のメインテーマはサブタイトル通り、岡安に奉公して八年経ち、十八歳になった千代の進路と“やりたいこと”

千代は岡安のお茶子として八年間、毎日一生懸命働いてきました。こっそり芝居を覗くのがささやかな楽しみで、役者を見る目はなかなかのもの。

ある秋の夜、千代は女将のシズ(篠原涼子)に呼ばれ、年が明けたら年季が明ける。今後のことを考えなさいと言われます。
「お玉みたいにうちで働き続けたいならそれもええ」との言葉に「ほなそれで!」と飛びつきますが、シズは認めません。
「自分がどないしたいのかもっとよう考えなはれ!そうせな…後悔する」

その後、千代は芝居を好きになるきっかけになった女優・高城百合子(井川遥)と出会います。
八年前、イプセン『人形の家』のノラを演じる彼女の姿に千代は心を奪われ、手に入れた台本を読みたい一心で字を覚えました。千代はボロボロの台本を百合子に見せ、セリフを諳んじます。
『人形の家』は夫から対等な人間として扱われていないと悟った妻が、妻や母といった役割を果たすよりも大切な、自分自身に対する神聖な義務を守る為に家を出て幕を閉じる物語です。
日が傾き落ちるまで、岡安の畳の上で繰り広げられた百合子と千代の『人形の家』。頼る家族も親戚もなく、自分の力で生きなければならなかったふたりの女がなぞるフェミニズム。

千代の人生をある方向へ導くだけでなく、女優としての岐路に立ち、迷っていた百合子にとっても大きな意味を持つ数奇な邂逅となりましたが、その裏で神社での夜祭に出かけたシズにも懐かしい再会がありました。
そこで第3週のサブテーマ“後悔”が立ち上がってきます。

シズの抱え続けた後悔

家族と離れたわずかな間に、シズは早川延四郎(片岡松十郎)という歌舞伎役者と再会します。
シズは「千秋楽のあくる日の朝、ここで待ってる」という二十年前と同じ誘いをきっぱり断りましたが、ライバル芝居茶屋のお茶子に目撃され、瞬く間に不義密通の仲だと噂に。客足にも大きな影響が出ました。

根も葉もない噂だと思ってた千代ですが、二十年前、東京へ行く早川延四郎とシズが駆け落ちしかけたことを知ります。シズは母親に阻まれ、約束を果たせなかった。それが彼女の抱え続けた後悔でした。

千代たち岡安の働き手と家族に、シズはきっぱり謝罪しました。二十年前、役者と芝居茶屋のお茶子という許されない間柄でありながら恋仲になり”かけた”ことは事実、迷惑を掛けて本当に申し訳ない、と。
翌日、シズは封を開けられずさりとて捨てることもできなかった延四郎からの手紙を、すべて火にくべました。

その後、延四郎に呼び止められた千代は新たに手紙を預かり、シズに渡そうとしますが、当然受けとってもらえません。
シズは言います。お茶子修行に根を上げ、もう跡継ぎなんてごめんだ、やめてやると思っていたときに延四郎と出会い、彼の言葉に救われた。今の岡安の女将としての自分があるのはあの人のおかげ。恩人だ。だから、手紙は読めない。読んでしまったら、会わずにはいられなくなるから。

シズがかつて語った「後悔する」の重さ、優しい旦那様と可愛い娘がいてシズはいま幸せなのだと告げたときの延四郎の反応、百合子から掛けられた「一生に一度、自分が本当にやりたいことをやるべきよ」、自分自身の今後と本当にやりたいこと――千代の心の内で“やりたいこと””後悔”が絡みあい、渾然一体となって、ある結論が導き出されました。

千代の本当にやりたいこと

延四郎の千秋楽の晩、翌日に岡安の明暗を左右する大事な仕事を控え段取りを確かめていたとき、千代はシズに「ご寮人さんは延四郎さんに会いにいっとくれやす」と進言します。

もちろん他のお茶子は何を言い出すのかと止めますし、シズも、千代の気持ちは嬉しいが岡安の明暗を左右する大事な仕事を放りだしてそんなことはできないと断り、なおも食い下がる千代を叱り飛ばします。
でも千代は諦めません。この、一見いかにも朝ドラの主役らしい差し出口の説得力をどうにも説明できないので、長いですが引用します。

「ご寮人さんに言われて、うちは生まれてはじめてちゃんと考えました。
岡安にずっといてたいとか、芝居が大好きやとか、いろんなことがごちゃませになってもうようわかれへんかったけど、もしかしたらその芝居茶屋もそのうちのうなってしまうかもわかれへんって聞いたときに、わかったんだす。うちがしたいのはそないなことやあれへん。うちは、ご寮人さんに恩返しがしたい。ただそれだけなんだす。
ご寮人さん言うてはりました。延四郎さんに救われたって。今のご寮人さんがあるのは延四郎さんのおかげやって。うちも同じだす。八年前ここに来たとき、うちはご寮人さんに助けてもらいました。ご寮人さんがいてはれへんかったら、うちは今頃どないなってたか。
ご寮人さんにとっての延四郎さんは、うちにとってのご寮人さんだす。せやさかいわかりますのや。ご寮人さんが延四郎さんのこと、どれだけ大事に思ってはるのか。
どうか、会いにいっとくれやす。うちはもうご寮人さんに後悔してもらいとないのだす」

ひとつの組織の長として、部下にここまで言われたら否とは言えまい、という迫力が杉咲花さんの芝居にはありました。

二十年前の約束を果たしに

シズは「一日だけお暇もらわれしまへんやろか」と家族に頭を下げます。
かつて娘の駆け落ちを阻んだ母(宮田圭子)は苦い顔をしつつも「宗助さんがええんやったらわてはかましまへんで」と引き、夫である宗助(名倉潤)も「あんたがちゃんと休むんはわしらの祝言の日以来やろ。一日ゆっくりしてきたらよろし」と快く了承。
翌日、シズは二十年前の約束の場所へ赴きました。

諦め半分でやってきた延四郎は、シズの姿に驚きが隠せません。ふたりは昔のように屋台でそばを食べ、過去を懐かしみます。
「それで、わてに話したいことってなんだす」
「それがなぁ。顔見てたら、もう、どうでもようなってしもた」
「何だす、それ。あほみたい」
岡安での姿とはまったく違う、少女めいたシズの口調がなんともかわいらしい。
しかし、口調や表情が当時のままに見えても、二十年の歳月は厳然とふたりの間に横たわっていました。
シズは、「あんたが私に負い目を感じることは何もあれへんのや」と嘯く延四郎の優しさを「相変わらず板の上以外では芝居がへたくそやこと」と見抜き、言います。

「わては自分でこの人生を選んだんだす。芝居茶屋の女将になったこと、悔やんだことなんかいっぺんもあれしまへん。せやさかい、おおきに。今のわてがあんのはあんさんが支えてくれはったおかげだす」
頭を下げるシズに、「私の方こそ、おおきに」と返し、同じく頭を下げる延四郎。笑いあうふたり。
銀杏の葉が舞い散る中、最後に「どうぞ、お健やかに」と背を向けられて堪えきれず顔を歪ませた延四郎の命は、もう長くありませんでした。

芝居の街の賑やかな喧騒に紛れて、映画女優になることを決心した高城百合子が口ずさんだ別れの歌は、道頓堀を象徴するようなチンドン屋からの餞に変わり、二十年越しの恋との別れ、延四郎の人生との別れをも包み込みます。

ひと月後届いた延四郎の訃報に目を潤ませ「最後の最後に、すっかり騙されてしもたわ」とひとりごちるシズでした。

全員大人だから成立した見事な「おわ恋」

私が注目したのは、シズがかつての恋人を恩人だとしたこと。
欺瞞に見えるかもしれません。そうかもしれない。でも、恩人だったのは決して間違いではないんです。

そもそも、人が誰かに恋したとき、純粋に恋情だけを抱くことはありません。恋はいつも人間関係から生まれ、別の感情と結びついています。
友人や仲間であれば友情と、結婚して家族になれば愛情と。直接会ったことのない有名人に対してはファンとしての憧れと。
占める割合はそれぞれ違い、日に日に変化していくものの、恋とそれらは不可分であり切り分けることはできません。だから、世間的に許されぬ恋が晒されたとき人間関係ごと切らなければならなくなる。

まだ年若い千代は、シズの延四郎は恩人だという言葉をそのまま受け取ったでしょうが、シズに延四郎への恋心がまったく残っていないかというと、正直微妙なところだと思います。他人にはわからない。もしかしたら、本人にもわからない。

でも、シズは彼との間にあった諸々を「恩」だと決めたんです。
駆け落ちまで約束する仲だったのに、恋仲になり”かけた”と慎重に言葉を選んだことも含めて、それは彼の存在を自分の心の内に残すための欺瞞だったかもしれない。
しかし彼女はそれを貫き通した。延四郎とふたりきりになってさえ、自分たちの間にあったのが恋だったと明言しなかった。抱き合うことも、手を握ることもなく、ただ、あなたのおかげで今があるのだと頭を下げた。
人に後ろ指差されるようなことはしないという己へのプライドであり、夫や家族、岡安への責任と愛情からくるものでしょう。

シズがそういう女性だと知っているからこそ、夫は、妻が昔の恋人とふたりきりで会う事実から敢えて目を逸らし「一日ゆっくり休むなんて滅多にないことだから」と“恩人”のもとへ送り出してあげた。延四郎も彼女の引いた線を守った。

信頼を裏切ることは一切しなかったシズ、本心をぐっと堪えて快く妻を送り出した宗助、死を前に自暴自棄になってもおかしくないのに紳士的にふるまった延四郎。この三人だったからこそ、二十年前の後悔を精算できた。新たな後悔を抱えずに済んだ。
おちょやん第3週「うちのやりたいことってなんやろ」にあったのは、夫、妻、妻の元恋人の全員がこの年齢になるまで日々を誠実に積み重ねてきたから奇跡的に成立した、大人の「おわ恋」だったんです。

そして第4週……

そして本日は第4週「どこにも行きとうない」(18)の放送日だったんですけど、テルヲ、おいテルヲ、おまえこの野郎楽に死ねると思うなよ!?と拳を握ってしまいました。
いやもう、すごかったですね。愕然としました。例えばスカーレットの常治レベルでも家族は見捨ててよかったのだと思っていますが、第1週では憎めない存在だとした上で、ここまでの非情ぶりを描き切ったのがすごい。

千代が心打たれた『人形の家』は今週にも効いてくるはずで、今後もおちょやんから目が離せません。

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