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「地域文化資本ラボ」立ち上げに向けて【後編】

quodの一連の活動で得た知見を活かして、地域の文化資本を研究・分析する「地域文化資本ラボ」。

前編に引き続き、ラボ立ち上げの前段として、僕自身が地域の文化や構造に興味を持った経緯を書いてみようと思います。 

人の思いやクリエイティビティを起点に

大学院までの経験を経て、社会システムデザインがやりたいと思うようになった。そこで就職先の条件にしたのは、都市や地域の開発に関わることができ、長期目線で構造的に物事を考えられて、経営者と仕事ができること。これにぴったりハマったのが日本政策投資銀行(DBJ)だった。

日本政策投資銀行(DBJ)時代のメンバーと。右から三番目が飯塚。
のちに飯塚の両隣のメンバーはquodにジョインしてくれた。

最初の3年間はM&Aのアドバイザーに従事した。要は、企業の合併や買収の参謀のような仕事。当時は日本のトップクラスの方々が何名かDBJに転職してきていた時代で、1年目からめちゃくちゃレベルの高い人たちの下で働くことができた。

実際、この部署での経験が一番今の仕事の役に立っていると思う。経営者と一緒に戦略を立て、どう交渉するかを考えるんだけど、組織で動くというよりは個人の能力を発揮する側面が強かったので、スキルがあればバリューを出せるんだと実感できた。

次の部署は通信や重電業界のインフラファイナンス。日本のローカルなCATVから、通信大手の海外企業買収や総合電機メーカーの海外高速鉄道建設など、グローバルな大規模ファイナンスまで携わることができた。ここでの大きな気づきは、1億貸すのも1,000億貸すのも、自分自身の喜びはあまり変わらないんだなということ。

3部署目は、当初やりたかった社会システムデザインに一番近い不動産領域。ディベロッパーやゼネコンに投融資をする仕事をしながら、日本の不動産に対して、海外から長期投資のお金を引っ張るための社会構造をつくる、ビルのサステナビリティを評価する新規事業の仕事もさせてもらった。一定の成果も出せたし、めちゃくちゃ面白かったんだけど、一生かけて取り組まないとこれ以上は価値を出せないなと思ったし、自分のライフテーマってここじゃないなと感じた。

金融業はどうしてもシステムありきの仕事のアプローチ。もっと人の中にある想いをベースに新しいことを生み出していきたい。人間のクリエイティビティを起点に構造を考えたい。根源的に、やっぱり僕は人に興味があるんだなと思った。

quod立ち上げの原体験となったソロメオ村

DBJを卒業し、2017年にquodを設立した。

quod立ち上げの時に行ったStanford Univ.のD schoolにて

文化とは、生活が時間を経て沈着したもの。人々が豊かに暮らすことで地域の文化が生み出されていき、そこに何かしらの新しい考えやスキルなどの外的要因が加わることで、よりよいものに発展していく。

この外的要因を担うのが「Creative Class」、つまりクリエイターやナレッジワーカーのように自ら価値を生み出す仕事をしている人々なのではないかと思った。

僕がこのテーマを研究していた2006年頃、日本では70%ほどのCreative Classが東京に集中していた。中にほぼ100%の業種も。

彼らと一緒にプロジェクトを進めることで、地方にもCreative Classの創造力や物事を形にする力を取り入れたい。そしてCreative Class側にも新たなワークスタイルやライフスタイルを提供したい。

これがquod立ち上げの第一の目的であり、今も変わらず持ち続けている想いだ。

原体験の一つになっているのは、イタリアのソロメオ村へ行ったこと。あれはまだDBJにいた頃で、入社5年目くらいだったかな。


きっかけは、東京R不動産の林厚見さん。林さんは僕にとってロールモデルのような存在で、当時、色々と相談させてもらっていた。「ソロメオ村ってめっちゃ面白いらしいぞ」と林さんが言うので、じゃあ行ってみるかと。

その通り、めっちゃ面白かった。

ソロメオ村はペルージャの近くにある小さな村。ラグジュアリーブランド「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」が本社を移転して、荒廃した村の古城に工場や食堂、劇場、学校などの施設を段々と建設。雇用が生まれ、観光客も増えて、村は世界レベルの価値を生み出す地域となった。

ブルネロ クチネリ社で働いている人に現地で話を聞いてみると、自分が生まれ育った村に世界で評価されるブランドがあること、かつ、そこで働けていることにみんなが誇りを持っていた。

地域の人が豊かに暮らせる環境をつくることで、製品のクオリティやブランドの価値も上がる。ここで言う「豊か」とは単に経済的な話だけではなく、文化的な意味での豊かさも含まれる。素晴らしい構造だ。

そして思った。これって日本でもできるじゃん!

話は少し変わるが、服飾史家・中野香織さんとビジネスプランナー・安西洋之さんの共著『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』に、ラグジュアリーの定義が変わってきていると書かれていた。

今、LVMHのようなラグジュアリー帝国が崩れつつあって、ローカリティに根づいた豊かさがモダンラグジュアリー志向の富裕層に受けているのだそうだ。

ソロメオ村の事例と紐づけて考えると、さらに興味深い。

地域性はこれからの時代の有意義なアイデンティティ

同じく感銘を受けたのが、2019年にquodの社員旅行で行ったフィンランドのミッケリ。ここで感じたことは、今長野で取り組んでいるレイクリゾートプロジェクトのアプローチにもつながっている。

ミッケリは、ヘルシンキから車で2〜3時間ほどの距離にある湖水地方のまち。週末になるとマイボードやマイサップを持った人が湖に来て、アクティビティを楽しんだり、桟橋でまどろんだり、湖畔のヴィラで過ごしたりする。

気候や風土を活かしたその土地ならではのライフスタイルが形成されていて、人々が地域に誇りを持っていることが伝わってきた。

ソロメオ村もミッケリも、僕が幼少期に見てきた日本のローカルの発展版のようなもの。昔からある価値をうまく活かせば、出口が変わって地域はさらに素敵になる。

自分がやりたいのは、こうした構造の一端を担うことなんだなと思った。

子どもの頃、父がよく「人が生き、地域が発展していくためには、文化が大切だ」と言っていた。また「文化が長く続くためには、その時代時代で経済的価値を持ち合わせていないといけない」とも。

近年、世界から見た日本のブランド評価がどんどん上がっているのは、これまで日本が培ってきた文化が残り続けているからだと思う。

情報も選択肢もあふれている今、人が何かしらのアイデンティティを持ちながら生きるのは難しい。そこで有意義な切り口になるのが、出身地や居住地といった地域性なのではないか。

物質的な豊かさが満たされれば満たされるほど、その価値は相対的に上がっていくものだと僕は思っている。

と、前段が長くなってしまったけれど、「地域文化資本ラボ」の活動については今後noteなどでちょこちょこ発信していこうと思う。

quodのメンバーも巻き込んで、映像や立体でのアウトプットもできたらいいな。東大都市工学科のインターン生や、僕の指導教官だった城所先生にメンバーとして参加してもらうのも面白いかも。

お楽しみに!

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