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失われた30年で学んだこと
急加速した円安により為替レートは対ドル160円をつけた。それにより貿易に悪影響が及び輸入品が高騰した。特に日本は石油を中東に頼っている。石化燃料により発電しているため電気代が上がった。原子力や再生可能エネルギーは10%以下である。
また日常の食べ物として牛肉がある。牛肉はアメリカやオーストラリアから大量に輸入している。牛肉を使った食べ物が高騰した。吉野家、松屋、すき家にも影響していることだろう。そういったことより日本銀行が円を買ってドルを売る行動に出た。為替レートに介入する金融政策だ。その額は5.5兆円を超えた。
こういったことは20代に入った金融機関で学んだ。はじめてから3年ほどかかったが、一度学ぶと忘れることはない。金融機関は経済を学ぶのには適している。わたしが勤務したのはスイスの銀行でSBCといった。スイス銀行コーポレーション。
ただ入行してからすぐに1987年10月になるとバブル経済ははじけた。土地神話、株神話は消えた。あれから日本経済は30年を失ったといわれ、もとにもどることはなかった。この文章では失われた30年といわれる期間にわたしが学んだことを書きます。実際に起こったことで、読者の大学生の皆さんに向けて書いてみます。
1980年代
7年間金融機関で働いた。まさにバブル経済の真ん中にあり霞が関という東京の中心地で働いたことの経験に基づいています。一言でいうと株式市場は狂っていたということです。いまも経済指標の動きはいろいろとありましょう。日経平均株価や東証株価指数というもので日本経済の期待や先行きが見られます。表向きはいいように見えるかもしれません。
しかしながら株価指数が上がったからといって金融機関に勤務しているひとたちの待遇がよくなるわけではありません。また一般の投資家が株式投資をして儲かるわけでもない。儲かるのはほんの一部の人です。どういうことでしょうか。
1980年代で一番お金を稼いでいたのは外資系証券の人たちです。中でも金融市場で株や債券を取引をするトレーダーのひとたちです。クレディスイス・ファーストボストンのある外為トレーダーはサラリーマンの中で一番といわれていました。その年収は8億円といわれています。しかしそんなひとはごくまれで証券市場にはほとんどが1千万以下の年収でした。
株式市場は狂った動き方をします。金融機関に勤務するのは悪いことではありません。経済のことが学べます。しかしながら市場に近いところで働く人たちはマーケットの動きが読めない。そのためとんでもない不可解な行動をするものです。なのでほんとうに金融が好きというひと以外は金融で働かない方がいいでしょう。トレーディング・ルームに近づかない方がいい。
大学時代に経済学部にいて、金融を学んだ人であればいいでしょう。
1990年代
ここで学んだことはソフトウェアはうまくは動かないということです。バグが多い。わたしは金融市場の狂った動きととんでもない行動嗜癖のある金融マンに懲りた。そのためアメリカでMBAを取得してもう一度キャリアをやり直すつもりでした。
ジョージア工科大学という技術に強い大学院にいき、コンピューターのことを学んだ。そしてジョージア州アトランタにあるコカ・コーラに入社しました。実際は海外ではなく東京渋谷に勤務したのです。ところがそこの配属の情報システム開発部門では仕事がうまくいかなかったのです。
その理由はいくつもアプリの導入プロジェクトに関わったものの、うまくいった仕事は一つもなかった。ITの仕事は難しい。簡単なアプリでパソコンに導入して終わりというものではなく、会社組織で使うアプリだったのです。それがデータがきれいなものではなく、アップロードがうまくいかなかった。何度も失敗をして時間だけが過ぎてしまった。その原因がわからなかったのです。
そういったプロジェクトが多くありました。そのためシニアにひとたちはストレスがたまり社内で暴れる人が多かった。若いひとたちに批判的で暴言を吐く人が多かった。年功序列ということもありました。それによりうまくストレスを処理できない同僚は辞めていくかうつ病になるしかありません。
ただし、情報システム部門というのはいいこともあります。組織横断で仕事ができるために会社全体の動きを学ぶのには適しています。マーケティングだけでもなく、製造だけというものではない。会社全体の戦略や組織のプロセスが学ぶところがメリットでした。
そうして経営コンサルティング会社のカート・サーモンに転職した。のちにアクセンチュアに買収されます。しかしながらコンサルティングというのはうまくいくとは限らない。朝の7時から夜の11時まで働くのが経営コンサルティングです。忙しく、顧客の問題解決のために命を削りながら働く仕事です。同僚、顧客は批判的であり、経営コンサルタントは独立心が強くて自信がないとやっていけません。
ただし経営コンサルタントというのは年収はいいです。いまであれば30代なら1500万円以上はもらえるでしょう。ところが人材育成、組織開発、企業戦略といったテーマでコンサルティングを引き受けるのはたいへんです。うまくいくことがなく、忙しいだけのことがあります。疲弊します。
2000年代
そうやってあっという間に20年が過ぎた。気が付くと外資系企業ではもう体力が続かず20年が失われたということも気づかなかった。お金は溜まることなく、ストレスだけが溜まった20年でした。そうして日系企業で働くようになりました。
まず三菱商事系列と三井物産系列で合計8年間働きました。それまでの外資系では仕事は裏切らないと信じて働いた。仕事で実績をあげれば年収がよくなるということをやったものです。しかし日系企業では上司がすべてということを学んだ。
上司次第でサラリーマンの人生は変わります。最初の三菱商事系列ではよかった。しかしよかったのは1年だけで人事異動でひどい目にあった。三井物産系列でも同じようなことが言えました。おそらく日系企業ではいまでもサラリーマンは上司次第。成功か不成功は人間関係で決まるといってもいいでしょう。ということは上司や周りに好かれているか嫌われているかです。人間関係がすべてともいえましょう。好き・嫌いで仕事をしているわけです。
企業文化をいうのをよく理解しておかないといけない。三菱は上司が絶対であり規律がないとやっていけない。問題は起こせない。三井は上司は絶対でもなく自由です。しかし上司を飛び越えてその上の上司にいって了解をとる。それで仕事をしてしまう身勝手な社員がいることも事実です。
両方とも外資系企業と比べて財閥系企業は安定しています。クビになることはめったにない。仕事で実績をあげなくても給料はそこそこです。クビにはならない。そういうメリットはあります。おべんちゃらをいって過ごすこともできます。
2010年代
そうやってとうとう企業勤務を辞めて悠々自適に大学の教員になりました。ここまで25年を失ったわけです。さあ、楽しみにしていた大学での授業を担当する。これほどうれしいと思ったことはありませんでした。ところが大学の教員というのはそれほど愉快ではない。
先生、先生ともてはやされると誤解している人もいるでしょう。現実は大学生は大学の先生のことをそれほど尊敬はしていないです。むしろ見下している学生すらいます。授業中の悪ふざけや悪質ないたずらはどこにでもあります。
結構良かれと思って引き受けたところでも見受けられました。都内にある法政大学、あるいは大阪吹田市にある関西大学。こういったところでも不快な経験はあります。
ただし教員側も手を抜いているところがあります。だれも見ていないだろうということでなるべく楽をしようと効率的に授業を終わらせようとしています。大学生は文句をいわないだろう。父兄も文句をいわないだろう。そんなところを見越してか、授業で手を抜くこともあります。
教員側が自信過剰になっているところがよくない。
8年間、5つの大学で教えた経験です。600回登壇して1200名くらいの学生を指導しました。ただこういった大学生に対して必ず成功する方法を教えれるかというと教えることはできません。いまのように不確実性が高い経済ではこれをやると成功するということはいえません。
ただこれをやっていまえばほとんど失敗するということは教えられます。大学時代に何も勉強せずに専門性を磨かなければ仕事で失敗するでしょう。またスマホばかりをやっていて外で仲間と体づくりをしなければ社会性や体力が身につかなくてやがて病気になるでしょう。
教員側も学生側も大学教育には相当注意しないといけない。それはいまの大学教育に期待をしてはいけないということです。
2020年代
さてここまで経済が失われたとは思っていなかった。そうやって2020年代に入って年金生活に入っているわけです。これはだれも予想はできなかったし、どうしていいかわからなかったひともいるでしょう。
ですのでわたしは自分の経験を通して都内の大学生に教訓を語るしか方法がない。それを2020年代にはしたいと思ってこうやって書いています。
ではなにをしたらいいか。苦しい仕事ではありますが、やはり仕事につくのなら経営コンサルティングをお勧めします。この仕事はやりがいがあり、一度はだれでもしたいものです。年収は高く、顧客の問題解決をする仕事であって専門性も発揮できます。
具体的には戦略系のマッキンゼーやBCG,そしてベイン・アンド・カンパニーといったところ。デロイトやE&Y。アクセンチュアといったコンサルティング会社には優秀な人たちが集まります。そういったところで働くのは辞めた後でもいい仕事につけます。引退した後も活躍する人が多いです。
金融やITは第二志望としていいでしょう。それでもいい仕事です。
20代に金融市場のことを仕事をしながら学べたのはよかった。それにより新聞に書いてあることや本に書かれていることがよくわかるようになった。若い時に覚えたことは忘れることはありません。
大学生の皆さんが少しでもいい仕事につけますように。たまたまわたしの30年は失われた時代の中にあったのかもしれません。これから2050年までの30年は再生の時代だったといわれますように。
人工知能、気候変動、人権問題に関心を寄せながら仕事をするといいでしょう。