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イスラエルとガザの紛争を考察する

40年前にアメリカ留学をしたとき、わたしはアメリカのことがまったくわからなくなった。日本では4年間着実に学んできて少しはアメリカのことがわかっているつもりでいた。しかしその状況は留学したとたんに崩れた。それは英語がわからなかったということだけではない。日本でアメリカのことを学んでもそれだけでは不十分であること。また英語で学んでも不十分であるということだった。

留学生活がはじまって間もなくわたしはミシガン州ミシガン大学のキャンパスにいた。そこではたよりになる案内人がいた。その案内人は日本のことが好きで日本に留学に来ていた。そして時を同じくして同じミシガン大学で学ぶ機会を得た。ただ彼はもともとアメリカ生まれのアメリカ育ちのため、わたしと同じ授業をとることはなかった。親切にも彼は友達のところに連れて行ってくれた。そこには9人のアメリカ人がいた。

アメリカ人のことは少し知っていた。ただアメリカ生まれのアメリカ人。そこにいるひとたちがアメリカの大学に通っている。それははじめてだった。そこで対話することはまるでボクシングで殴り合いをしているようなコミュニケーションだった。その理由は彼らがみなユダヤ人だったことにある。

ユダヤ人というのは厳しい。ほとんどが大学にくる理由は大学院に進学するためだ。大学院に進学できなければ落第と同じような烙印を押されてしまう。わたしは会って間もなくきかれた。卒業後はどこの大学院にいくんだ。そして何になるんだ。医者か、弁護士か。そんなことは考えたことがない。そこでビジネスの世界に入る。そう答えた。すると彼らの顔色が変わり見下すような目つきになった。こいつは一体何をしに大学に来たんだ。

ビジネスなど野蛮な人間のすることだ。そういいたげだった。

あるオンラインイベントで話題を提供したひとがいた。報道ではハマスがイスラエルを攻撃。イスラエルがガザに向かって攻撃をしかけている。ここの紛争を解決するにはどうしたらいいのか。それが質問であった。これでは答えが出ない。また出題者の問題の出し方がよくなかった。

出題者はいった。化学薬品の会社に勤務しているときイスラエルで駐在した。そのときにパレスチナのひとたちにお世話になった。そのひとたちを同情する。皆さんはどうか。これでは答えを出しようがない。こういった質問の投げ方をしてしまうと心情的な答えになってしまう。そうではないだろう。問いかけの仕方としてはいくつかある。

ひとつはこの50年にもおよぶ中東での紛争はなぜこれほどまでに時間がかかるのか。もうひとつはだれが解決するのか。それはどういった方法なのか。これらを吟味した方がよい。

まずこれだけ時間がかかっている理由はこれが中東だけの問題ではないからだ。歴史的な背景を知る必要がある。これはいかにも中東で戦いが行われているように見えて、実はアメリカの政治が深く関与しているためでもある。アメリカしかイスラエルとガザを救うことはできない。なぜか。

アメリカにはユダヤ系アメリカ人が人口の2.5%を占める。約7百万人。ほぼ大阪府の人口に匹敵する。そしてそのユダヤ系アメリカ人のうち70%は民主党支持である。そして残りの30%は共和党支持。ただ彼らは共和党の中でも最右派であって保守的な支持をしている。これらのユダヤ人はそれだけ政治において影響力を持っている。よく名の知れた人も多い。

キッシンジャー元国務長官はユダヤ人。ニューヨークの前市長であったマイケル・ブルンバーグ氏もユダヤ人。裕福で政界とのつながりも深い。またメタ社の社長マーク・ザッカーバーグもユダヤ人だ。彼はメタというよりfacebookをはじめたことでよく知られている。そして経済学者の中でもノーベル経済学賞をとったシカゴ大学のミルトン・フリードマン。ライバルとして知られるMITのポール・サムエルソン。

映画監督としてスピルバーグがいる。彼はユダヤ人だ。またインディアナ・ジョーンズやスターウォーズで知られるハリソン・フォードもユダヤ人である。映画作品であればあのアラビアのローレンスを思い出す。

そしてこの問題に決着をつけれるのは現時点ではバイデン大統領であるが、彼よりは国務長官のアンソニー・ビリケン氏のほうが任務としては重い。ところが彼はユダヤ人である。

こういったことを23歳の日本人がアメリカの大学生と対等に英語で話ができるかということだ。これは簡単ではない。わたしはできなかった。もうひとつはどのような形でアメリカが関与するか。それをわかる範囲で答えよというものだ。

40年前とはいえ大学内でも盛んに討議されていた。その中でわたしが受けた授業は国際政治。中東問題の専門家として知られるレイモンド・タンター博士の授業だった。当時、彼の授業はタカ派の授業として知られていた。政治学として歴史は学ぶものの、従業では学生はミサイルの破壊性能であるとか戦車の威力とかを調べてきてもよかった。どうしてそんなことが可能なのか。

それはタンター博士がレーガン大統領の側近として中東問題のアメリカ統合参謀本部(Joint chief of staff)の一人としてワシントンにいたからだった。そこでは軍人のトップとして意見を述べることができるというものだった。恐ろしいほどの迫力のある授業だった。わたしは圧倒された。23歳でなにもわからず途方に暮れてしまった。

いま受けたのならら少しましになった。こう答えるだろう。考えられる解決方法としては類似アプローチがあるのかもしれない。例えばロシアがクレミア半島を占拠しているような方法。あるいは中国がチベットを抑えている方法。それを例に出して軍事的関与がどのように実行可能かを調べる。つまり軍事侵攻を前提として調査レポートを提出するわけだ。

そんなものは博士は読まない。それはわかっている。博士のアシスタントがみる。当時は他の紛争が続いているところを例にとって軍事侵攻をする作戦をまとめてきてもよかった。わたしにはこんなことがまったくわからないし、できなかった。

案内人が紹介してくれた9人のユダヤ人とはそれでも日本人ということで珍しがられた。ひとりの男性は同じユダヤ人のガールフレンドがいた。そのガールフレンドがお人形さんのようにきれいで美人だったことくらいしか覚えていない。ニューヨークから来た人だった。そんなひとを前に軍事侵攻の話などはできなかった。