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エコノミスト誌の記事は文学である

最初にお断りしておきます。ブログでは手厳しく批判めいたことを書きますが、そのような時はなるべく個人名は避けるように書いています。ただ、長い期間に渡りパターン化され、実際に起こったことが証拠としてあがっているために批判として載せています。こちらが注意喚起しても修正できない場合には悪評も書くことにしています。読者の学生の皆さんのためです。

これに反してこの文章に登場する人はすべて実名です。その理由は敬意を込め感謝の意を表すものです。

2010年からスタートしたイギリスの雑誌エコノミストを読む会。その会のことを知ったのは偶然だった。2011年の1月のある日曜日。雨が降っていた。しかしその午前中に集まった連中というのはアメリカでMBAを取得してきた若いビジネス・プロフェッショナルであった。

その集まりのリーダーである筒井鉄平。彼はグリー・ファンドの代表としてシリコンバレーで投資活動をしている。彼の日本での活動に賛同してきたひとりに首藤繭子というひとがいた。ひとまず話すことが終わり、ヴェローチェでコーヒーを飲んでいる時だった。繭子さんがいった。都内でエコノミストを読む会というのがある。よろしかったら、皆さん参加してみませんか。

コーヒーを飲みながらその誘いに期待を寄せたのはわたしだった。わたしは半年後には赤坂のスターバックスで集まる会に参加していた。あれから14年が過ぎた。いまでもこの雑誌を読んでいる。それはいろいろな理由があったからだった。その中でも一番気にしていたのはなんでも10年続けてみようというものだった。そしていろいろな気づきや学びがあった。

そのひとつにエコノミスト誌の記事は文学であるということだった。どういうことだろうか。

まず記事の内容は主に法律とビジネスに分かれる。そして地域に分かれる。アジア、北米、南米、ヨーロッパ、アフリカといった地域がある。それにしてもエコノミストとされながらも金融面や経済面が最近減ってきている。科学や文化もとりあげられるが掲載されている割合は少ない。その文化欄にとりあげられた記事に目がとまった。

それは意外にもテニスの記事だった。この雑誌ではスポーツはあまりとりあげられない。どちらかというとあまりいい記事はない。読者からも不評であることが多い。しかしこの記事は少し違った。

あまり聞いたことのない元プロ・テニスプレーヤーの記事だった。その彼が最近になって本を出版したという。その書評であった。テニスというのは職業としては賭博性が高い。ランキング100位以下だとスター・プレイヤーとはいえない。生活費を稼ぐのにもままならないという。2000位までつけられるランキングの中で収支がトントンなのは上位5%までだという。

しかし1位になれば報酬はとてつもなく高い。今年のウィンブルドン選手権。優勝をした男女にはそれぞれ5.5億円の賞金が与えられる。男子はスペインのアルカラスで21歳だった。こういった賞金を目指して激しい競争が繰り広げられる。そのためプロテニスプレーヤーの引退は27歳だという。成功確率は低い。

世界で9000万人いるといわれるテニス人口。日本では200万人だともいわれる。その中でプロとしてやっていけるのはたったの100人だけである。

しかし著者は12歳の時にあのロジャー・フェデラーに勝ったことがある。その後カルフォルニア大学に進み、文学の学位を取得した。引退をしたのは31歳で平均より4年も長く続けた。しかも127位というランキングにもかかわらずウィンブルドンに出場したのである。ウィンブルドンには128人しかエントリーできない。彼にとってはあのウィンブルドンの芝生の上に立つことがグランドスラムであった。

この文章を読むとわかる。実に文章がうまくまとまっている。こういった文章を記事として載せる雑誌は少ない。がんばって戦った。やれるところまでやった人に対して敬意がある。わたしはこの文章を読んでとても深い感銘を受けた。

こういった表現のうまさがエコノミスト誌の特徴である。難解で複雑なため読んでもよくわからないという読者が多い。わたしもそうだった。いまでも完全には理解できない。また記事はあくまで新聞記事であって専門書のようなものでもなく、学術論文でもない。しかし洞察力はするどく描写がとてもよい。それは詩的な表現がところどころにあり、読者を感銘させるのである。文学的な表現を見つけることができる。

そして間違いなく確実にいえることがある。それはこのエコノミストを読む会をはじめた慎泰俊氏のことである。彼はこのnoteの中でも記事や論文を長年投稿している。文章を書く人であって彼自身が言葉を大切にしているといっている。言葉を大切にしているというのは文学に通じているといえる。

言語のこともよく知っている。かなり前から日本語が表意文字であること。英語とは文字の特徴を違えていることを指摘している。おそらくこれも間違いがない。それは彼が早稲田大学のファイナンス学科で教わっていた川本裕子先生のことを引き合いに出していることだ。

川本先生は人事院の総裁を務めている方であって早稲田大学の教授である。東京大学文学部を卒業していること。その後オックスフォード大学で学んでおり、そこから経営コンサルティング会社のマッキンゼー社で勤務していたこと。

これらのことからして文学にかなりの関心と示してきたというのがいえる。そしてこのエコノミストという雑誌が文学という側面を含めた記事を掲載している。

エコノミスト誌の記事は文学であるといえよう。

わたしはnoteではよくエコノミストを読んだ感想を載せている。あまりないことだけれども川本先生と慎泰俊の名前を載せたときは本気で考えたことを書いている。