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テニスでプロになるのはギャンブルか

大学生になったときに何か身体を動かしたい。そのような思いからテニスをはじめた。競技としてのテニスではなく同好会に入った。そこには大学の近くにあるテニスコートを予約してくれる世話好きなキャプテンがいた。近所の大学からも何人かいっしょにテニスをする仲間があつまった。しばらくして打ち解けるとテニス合宿までするようになった。

大学を卒業したから社会人になり家の近くにあるテニスクラブに通った。少し窮屈ではあるけれどもテニスレッスンなるもので汗を流す。90分の軽い練習の後に浴びるシャワーは格別のものがあった。そしてその後のビールがうまい。夏はテニス。そんなことをしながら過ごしていた。

30代になって週末だけテニスをするようになった。テニススクールでできた仲間が市営クラブを紹介してくれた。そこで練習をする。すると週末にテニス大会があるというのでそれに参加することもあった。40代はほとんどすることがなく、50代には3年間市営クラブでテニスをした。まあまあの腕前で世間でいうところの中上級であろう。上級ではない。

イギリスの雑誌エコノミストに書評が載っていた。紹介された本はコナー・ニコル(Conor Nicole)著、「The Racket」という書籍だった。文字どうりテニスラケットのことを指す。

記事の要点はプロテニスはどうもギャンブル性が高い。ランキングの低いプレーヤーがなかなか生活がままならない。なんとかならないかという問題提起であった。

テニスはかなり小さい時からはじめないとうまくならない。ほとんどの成功したプレーヤーが5歳、6歳からラケットをにぎってプレイをはじめたともいっている。しかし成功するのはほんのひとにぎりでプロとしてやっていけるのはギャンブルのようなものという。それはそこそこのプレーヤーになると世界各地を飛び回って大会に出なければならない。その時間と費用、旅行の手配をすべて自分でやらなければならないからだ。コーチやトレーナーを雇うようなぜいたくはできない。

大会中も不確実なことが続く。トーナメントは運もある。勝つか負けるかはやってみなければわからない。試合を行うまでの待っている時間、試合時間、そして体調管理、けが予防と注意しなければならない。いつ自分の試合になるかわからないときもある。その待っている時間はなにもすることがなく生産的な時間ではない。

ひとりで世界各地を転戦する。それにより同じ年齢の友達とは疎遠になりやすい。孤独感を持ちながらなかなか仲間意識が芽生えないこともある。そうして費用が重なっていくことを意識する。

先週終わったばかりのイギリス、ウィンブルドン選手権。男女シングルスの優勝者にはそれぞれ2千7百万ポンド。ドルにすると3千5百ドルの賞金が与えられた。為替レート157円で日本円に換算すると優勝賞金は5億5千万円になる。かなりの高額だ。

ところが同じ時期に行われていたほとんど知られていない大会での優勝賞金は3千6百ドル。57万円にしかならない。これではやっていけないだろう。

ランキング100位以下になるとスタープレイヤーとはいえない。テニス協会によると持ち出しをすることなく費用と賞金の損益分岐点を超えるプレイヤーというのは上位5%程度だという。ランキングは2,000位くらいまではつくがほとんど稼ぎにはならない。それは優勝したプレイヤーだけが獲得する高額当選のようなものかもしれない。

プロとしてやっていける期間は短く平均して27歳でプロを引退するという。日本ではテニス人口は2百万人ともいわれている。趣味を含めてテニス愛好家というのは結構いるものと推計されている。これを世界に広げるとテニス人口は9千万人にまでのぼる。その中で頂点に立つことは難しい。

こういったことからプロテニスはギャンブルのようなものと例えられる。ではこの記事を読んで一般のテニス愛好家はどう捉えたらいいだろうか。

わたしは決してギャンブルだとは思っていない。ギャンブルとは努力やスキルを必要とせずほとんど運まかせで賞金を得ることができる。テニスは決してそうではなく練習をしてうまくならなければならない。ただその練習をする時間が半端ではないこと気になる。

たとえ趣味でやるにしてもどのくらいの時間を使っているかは把握しておいた方がいいだろう。テニススクールをいくつも通うようなことはしない。ひとつのスクールに通って週1回練習する。市民クラブに入るのもいいだろう。しかしそこの仲間といっしょにテニスをする時間をかけてはいけない。深みにはまることなく週1回と決めて時間も決めて練習したほうがいい。

安い市民クラブは多くある。年間2万円以下で会員になれる。ところが市営コートを使って練習する季節は限られる。屋外のコートを使う。そのため練習に適した季節というのは4月から5月、10月から11月の間であろう。他の季節は暑すぎるか寒すぎる。よく冬に屋外でテニスをしている人を見かける。しかしながら冬のテニスはけがが多い。

けがには中程度のものから重症にいたるものまである。重症になるとそのケガから完全に治ることはない。いつまでも引きずって生活をしなければならないようになってしまう。よくあるのが冬の肉離れだ。急に動いたときにパチンというような音がして肉離れになってしまう。すると杖をつかないと歩けない。足を引きずりながら3日間は不自由な生活を強いられる。

3週間くらいはかかるであろう。もっと悪いのはアキレス腱断裂である。これをやってしまうひとが結構いる。すると半年間は治らない。仕事にも支障が出る。場合によっては仕事をやめなければならないことも発生するであろう。そしてこれが一番重症である。

それは膝関節の裏側にある十字懸垂。これを断絶してしまうとこれは治らない。2年間は足が思うように動かせないという。そして2年経過したあとでも完全には治ることはない。テニスはできるようになるが動きが悪くなるという。こういったけがは年齢とともにテニスがうまくなるとともに危険度が増す。

このように時間をかなり費やすこと。そしてケガがつきもののこと。最後にお金が半端なくかかるということを加味した方がいい。それはラケットやウェア、シューズといったものだけではない。大会に行くには交通費や食費代。場合によっては宿泊代までかかるのである。その費用はかなりかかるものでありそれほど安くはないことを考えておくべきだろう。

わたしはテニスを長くしてきたほうである。しかし40歳になったのであれば考えをきっぱりと変えて楽しむ趣味だけのためとしたほうがいい。週1回と決めて時間とお金をかけない。いつまでも楽しめるものである。しかし時間とコストをよく考えないといけないだろう。

プロテニスプレーヤーになることは別に悪いことではないだろう。ギャンブルではない。しかし成功確率は究めて低い。そのことをよく見極めたうえでのプレイを心がけるのがいいだろう。

最後にこの文章を書いたときに使った記事について書いておきます。

記事ではプロテニスプレーヤーになるにはたいへんであること。ランキングのついて2000位くらいのなかで生活が成り立つのは上位100位までの人たち。そこから上がっていきメジャーな大会で優勝すれば数億円の賞金がもらえる。しかしそれは途方もない成功確率であること。そういった内容でした。

よく読むととても感動する描写があるのです。それは著者のConor Nicoleは元プロテニスプレーヤーでした。12歳の時に彼はあの伝説のプレーヤーであるロジャー・フェデラーとテニスの試合をした。おそらくジュニアの大会があったのでしょう。そしてフェデラーにテニスマッチで買ったことがあるというのです。12歳のときとはいえあのフェデラーに勝つというのはそうできることでもないでしょう。

フェデラーは確か十代後半でウィンブルドン選手権で優勝したのではないでしょうか。もうひとつはプロテニスプレーヤーとしての引退年齢が27歳という若さであるもののNicoleは31歳までプロテニスプレーヤーとして活躍したという賞賛が書かれていることです。たとえメジャーな大会で勝てないにしても平均よりも4年も長くプロでいたこと。これは立派なことでしょう。

文章の最後のところが泣かせます。127位まで上げたランキング。シードはとれなかったもののウィンブルドンで1回戦を戦った。負けはしたがウィンブルドンに出場して芝のコートでテニスをした。これはだれにでもできることではありません。彼にとっても多くの人にとってもグランド・スラムを戦った晴れ舞台であったこと。こう文章を締めくくっているのです。こういった文章の流れを描写はやはりこのエコノミストという雑誌の文章表現のうまいところです。

なんというか洞察力がすぐれているところ。そしてこれにより著者のもうひとつのテニス人生である側面を描き出しているところです。そしておそらくはこのエコノミスト誌の編集者が伝えたかったところはこういうところではないか。

確かにロジャー・フェデラーほどではない。しかし彼はウィンブルドンの舞台に立つことができた。たとえプロテニスプレーヤーとしては成功しなかったかもしれない。さらに賞賛したいのは彼が本を出版したこと。これがもう一つとテニス人生であったこと。それを賞賛している記事なのです。読んでいてなんとなくじ~んと来るものがないでしょうか。

こういった文はなかなか他のストーリー構成では目にすることがありませんよ。読者の皆さんにとってもいい記事になることでしょう。原文を読んでみてください。

これはうまい文章の見本でしょう。こういう風に文章を結ぶのかという結末。その結末が書かれている段落のちょっと詩的な表現。ほとんどが厳しい現実を突きつけられながらところどころ賞賛して最後にこう締めくくる。これは内容面において形式面においてもそう簡単に書ける文章ではないことは確かです。

味わいある文章でした。