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わずかながらもアメリカ人は欧州に移住する

30年前の1993年。アメリカから帰国して渋谷にある日本コカ・コーラで働き始めた。2年間の留学中、ひとつの夢をあきらめた。それはアメリカで働いて日本から連れてきた家族と暮らすこと。わたしはジョージア工科大学に通いながらアメリカに住むことを考えていた。それにはアメリカで就職すればいい。ところがアメリカの就職は日本人である私にとっては簡単ではなかった。まずMBAとして雇ってくれるところが簡単には見つかるわけではない。

香港からきた友人は2年生になると授業はそこそこにして就職活動ばかりをしていた。わたしはアメリカでどのような就職活動をしていいかよくわからないまま1年間が過ぎたまま2年生になった。そうなると留学中での就職活動は日本での就職先に向けるほかない。渋谷で夏休みに10週間イン・ターンをした。

それでもアメリカに住む夢は捨てたくなかった。そこでコカ・コーラで働きながらいつか本社にいくことはできないか。そういった淡い希望を持ってはたらいていた。そしてしばらくするとその夢でさえかなわないことがわかってきた。それは職場が荒れていたこともあり本社にアピールどころではなかった。

あるオンラインイベントでアメリカ人が欧州に移住するという記事を読んで話をした。なぜ夢の国アメリカを捨ててアメリカ人がヨーロッパに流れるのか。そんなことを扱った記事だった。

記事によるとわずかながら3億3千人いるアメリカ人の移住が増えてきている。2022年までの十年間においてオランダへは8千5百人増えて2万4千人。ポルトガルへは3倍の1万人。スペインは1万4千増えて3万4千人。英国は3万人の増加で16.6万人となったという。この背景はなにか。

ひとつは分断化が進んでことによる。民主・保守といった違いはあるにせよ考えが合わない。ワーク・ライフ・バランスが欧州の方がよいこともある。アメリカでは年平均1800時間働く。一方、欧州は230時間少なくて1570時間。オランダでは1430時間とかなり少ない。労働による苦痛が少ない。その分、家族との時間を大切にできる。

次に暴力や人種差別が少ないこともある。差別はあるものの暴力にまでは発展する傾向が少ないこともある。加えて福祉が充実している。アメリカで病気になれば医療コストが相当かさむ実体がある。

そしてヨーロッパには特定の職種に対して優遇税制がある。オランダでは30%の控除がある。ポルトガルでの最低賃金は高くて月額$1190が支払われる。この額は現在の為替レートで換算して17万5千円である。この額は福祉の充実したヨーロッパで引退したひとが受け取る月給としてはよいほうだろう。スペインでは通常24%という所得税が10%で移住者であれば済んでいる。

これらによりわずかなアメリカ人にとってはもはやアメリカは住むところではなくヨーロッパの方が住みやすい。かつてはアメリカ大陸はヨーロッパを逃れて自由をもたらす移住の国だった。ところがアメリカンドリームはなくなった。

わたしはこれをイベントが終了したあとひとりで考えていた。その背景には2つあるのではないか。ひとつはお金儲けにかたよってしまったこと。もうひとつは暴力や人種差別が横行してしまい人々が逃げ場を失ってしまったこと。それらではないかと考えている。

まず80%のアメリカ人は4年制大学にいけないという。それは学費が高すぎるためだ。すぐれた教育をほどこす教養学部をそなえたリベラルアーツ・カレッジ。また大学院にすぐれた研究機関をもつユニバーシティ。たとえばオクシデンタル・カレッジやスタンフォード大学は年間1150万円かかるという。4年間で卒業するためには4千5百万円かかる。

そして4年間というのは基礎学力をつけたことでありより専門性の高い仕事をするためには大学院にいかなければならない。法学部や医学部はもちろんのことビジネスを学ぶためのビジネススクールや高度な工学、特にコンピュータを学ぶために大学院に行く。大学院にいかなければ専門的な研究はできない。それにはさらに2千万円以上かかるという。

そうなると卒業生は給料の高い財務とITにしかいかなくなる。そこはニューヨークにある金融機関、あるいはシリコンバレーにあるGAFAにいくことが目標になる。そこではお金儲けをすることが主体である。製造業では働かない。製造業は金融機関のM&Aのための標的にすぎない。そのため仕事あっても給料が高くはない。製造業は中国人が中国でするものだからだ。

次に職場や私生活のまわりでは暴力が多いという。銃による犯罪や思想の違いによる差別。これが耐えられない場合がある。それによりアメリカを生活をする場所として捨ててしまい、欧州に住むという選択をするという。

わたしはこのようなことが起きてもおかしくはないと考えていた。わたしの知り合いもアメリカがどうもおかしいということは知らせてくれている。ユタにいる知人はもはやメールの返信もしなくなった。ボストンにいる友人も大学関係者がとても横柄になっていることを憂いている。ニューヨークにいる友人ですらインドに帰りたいといってきたことがある。

わたしが30年前に住みたいと考えていたアメリカはどこかにいってしまったのだろうか。あのチャーミングな笑顔をしたアメリカ人は少なくなったのか。おおらかで細かいことを気にしないアメリカ人。ひとを許し寛大に振る舞う。どうやらそんなアメリカはどこかに消えてしまったのかもしれない。

そしてアメリカ人はアメリカ人であることに誇りを持っていた。アメリカ人に生まれてアメリカで夢を実現する。だれもが自信と誇りに満ちていた。そういったことはもはやなくなったのか。そうであったのならわたしが行きたかったアメリカではなかろう。

日本に帰国してこれまで苦労、苦痛した経験はやはり日本特有のものであろう。アメリカであったのならうまくいったのかもしれないことが東京でことごとく失敗した。悲観的で表裏のある日本人。何を考えているかはっきりいわない日本人。そして都合の悪いことを隠しつづける日本人。日本人は協力的ではない。どこか頭に蓋をされたように働かなければならなかった。それが嫌だった。

ただどうやらアメリカがどうやらそういった日本気質に似てきたのではないか。その原因はなんなのか。そんなことを考えさせられる記事とイベントだった。