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毛沢東「少数民族問題」(連合政府を論ずる) 1945年4月24日

毛澤東《論聯合政府》(1945年4月24日)載《毛澤東選集第三卷》人民出版社1991年pp.1029-1100, esp.1083-1084

p.1083  第九 少数民族問題
 国民党反人民集団は中国に多くの民族が存在することを否認し、そして漢族以外の少数民族を「宗族」(父を同じくする家族、あるいはその家族の一人、嫁に出た女性を除く。原注によれば蒋介石《中國之命運》の中にある表現とのこと。)としている。彼らは各少数民族に対して、
p.1084   清朝政府と北洋軍閥政府の反動政策を完全に継承し、その圧迫と搾取(剝削) は際限がない。1943年のイクチャオのモンゴル族人民虐殺事件(1942年冬から1943年春にかけて、内モンゴルのイクチャオ駐在の国民党軍隊が行った収奪に対して、イクチャオのモンゴル族保安隊と人民が1943年3月26日武装蜂起し、これに対して国民党軍隊が行った鎮圧で虐殺が生じたとされる。原注による)、1944年から現在に至る新疆少数民族の武力鎮圧事件(1944年9月。新疆北部イリ地区の少数民族人民は、国民党反動派の民族圧迫と経済略奪に対し、広大な武装蜂起を起こした。これに前後する阿山、塔城一帯の武装蜂起と連合して、新疆北部の大部分の地区を占領したので「三区革命」とも呼ばれる。国民党反動派は甘粛と新疆の各地から大量の軍隊を動員し、蜂起に対して長期かつ大規模な武力鎮圧を行った。蜂起軍は新疆各族と広範な人民の積極的支持の下、英雄的な抵抗をすすめ、1949年の新疆解放に至った。原注による),さらにこの数年の甘粛ウイグル民の虐殺事件(これは1942年1943年の国民党反動派の甘粛省南部のウイグル、漢、チベットなどの民族蜂起に対する農民虐殺事件を指す。1942年冬、甘粛省南部の臨洮,康東一帯の農民は、国民党反動派の暴政、徴兵徴発などの反動措置に反対するため、ウイグル民の馬福善などの指導の下、大規模な武装蜂起を起こした。国民党反動派は前後して七個師団以上の軍隊を動員、飛行機さえ出動させ、地方の武装を進め、蜂起した大衆に残酷な虐殺を行った。原注による)は、(このことの)明白な証拠である。これは大漢族主義の誤った民族思想、そして誤った民族政策である。
 1924年に、孫中山先生は自ら書かれた「中国国民党第一次全国代表大会宣言」の中で言われている。「国民党の民族主義には両方面の意義がある。一つには中国民族自らの解放を求める(自求解放)。二つには中国国内民族の一律平等である。」「国民党はあえて厳粛に(鄭重)宣言する、中国内各民族の自決権を承認し、帝国主義と軍閥に反対する革命が勝利をえたのちは、自由統一の(各民族自由連合の)中華民国の組織に取り組むと。」
 中国共産党は、上述の孫中山先生の民族政策に完全に同意する。共産党人はこの政策の実現にため各少数民族の広大な人民大衆を積極的に支援して奮闘しなければならない。すべての大衆と連携する指導者を含め、各少数民族の広大な人民大衆を援助せねばならず、彼らの政治上、経済上、文化上の解放と発展を促し(争取)、併せて大衆の利益である少数民族自身の軍隊を擁護成立せねばならない。彼らの言語、文字、習慣そして宗教信仰は、尊重されるべきである。
 多年にわたる、陝甘寧邊区そして華北各解放区のモンゴル、ウイグル両民族への対応態度は正しかったし、その工作は実績がある。

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