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中国に関連して生じた事実

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/7cc5e1ad373775c11668b88a748c64a6 政治的文化的側面を中心に年代順に採録。
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2021年2月の記事一覧

我和我的家鄉 2020film

 2020年公開映画。5つのお話のオムニバス。北から南まで、5つのお話で現代中国を伝えている。深刻なお話はなく、全編喜劇仕立て。娯楽映画だがイイ人ばかりが登場し上から下への教育啓蒙臭を感じないではない。第一話が「保険」の話しである*が、残りはいずれも農村の問題を改めて取り上げ農村の振興に目を向けようと訴えているように感じる。もっとも、農村によっては過疎化が進み年寄りばかりで大変だという話は日本にも聞こえてくるし、映画が描いているように豊かになった農村ばかりでないということも聞

One Child Nation 2019film

 Nangfu Wang , Jiang Zhang監督。アメリカで製作された中国についてのドキュメンタリー映画。亡くなった嬰児(infants)の映像などが続くので正直最後まで見るのがツライ映画だ。  最初は一人っ子政策への疑問から始まる。この政策が、嬰児殺し(infanticide)、不妊手術(sterilization)の強制。第二子を産んだ家庭への過料、さらに国際的な養子縁組(international adoption)のビジネスとつながり、強制的な子供の取り立て

春江水暖 2019film

 映画の宣伝にあるとおりであるが、杭州市富陽の情景が舞台である。多くの映画が撮影場所を変えてゆくものだが、この作品はあくまで富陽が撮影場所。2017年から2019年まで長期間の撮影である。富春江の四季が映像として切り取られ、舞台になっている。現代中国なのだが、不思議なほど政治がない。  認知症の母親の介護問題や都市開発の問題、不動産の高騰などがでてくる。地元のヤクザや賭場が出てきて、製紙工場による環境問題まででてくる・・・しかし政治がない。つまり行政とか、政治の影がない。また

黄銘正 湾生回家 2015film

 2015年公開の台湾映画。監督は黄銘正。内容は台湾生まれの日本人(=湾生)が、「故郷」台湾を懐かしんで台湾を訪問する姿を追ったもので、それを淡々と重ねている。台湾南部で開拓に入った農民が、未開の地を開拓開墾した話。台湾人と日本人との間の差別について、時間が経って気が付いたという話など。花蓮が出撃の基地になっていたことや、激しい空爆を受けた話など、たくさんのお話を重ねてゆくことで、少しずつ見えてくるものがある。ただネットで見ると、この映画そのものの評価よりは、製作者である陳宣

香蕉天堂 1989film

 台湾の映画で1989年の公開。1987年の戒厳令解除を受けて2年後に発表された作品。大陸でも2015年にはネット上に公開されている。  国共内線の続く中国大陸から国民党軍に紛れて台湾に渡ったメンシュアン。そしてその兄貴分ダーションの物語。ただ後で述べるが、誰が主人公なのか、メンシュアンらしいのだが、メンシュアンの生い立ちの詳細が欠けているので、感情移入が苦しい。  台湾に渡ったあと、ダーションは共産スパイの疑いをかけられ拷問されてしまう。怖くなって兵営を逃げ出したメンシュア

民国小学生作文(1936) 2011

 この本のもとは、吳繼銓編寫《小學模範作文》上海三民圖書公司,民國二十五年(1936年)。これを分類整理したものとして2011年に以下が出版された。『民国小学生作文』九州出版社 2011年。ここで紹介するのは後者である。当時の中国の子供たちの優秀作文を集めたものだが、整理が繰り返されたなかで、どの程度元の作文が改変されているかや、正確な採録場所はわからない。しかしそれでも1930年代前半の空気をよく伝えている。  この本を最初に読んだのは本書刊行の2011年から間がないとき

中共六大(1928)時の路線対立

 中国共産党の第六回大会はモスクワ郊外で1928年6月18日から7月11日までモスクワ郊外で開催された。出席142名。そもそも党大会を中国国内で開催できなかったことは、蒋介石による弾圧により中国国内で公開活動ができない状態に陥っていたためであり、逆にモスクワで開催できたのは、当時の中国共産党が、国際共産(コミンテルン)によってほぼ丸抱えの支援を受けていることを示していた。以下、記述は下記資料による。  李蓉 葉青如編著『在莫斯科舉行的中共六大』中共黨史出版社2017年。  周

スターリン、トロッキーの中国認識(1927-29)

 以下は曹泳鑫《馬克思主義中國化:基本認識和實綫》學林出版社2015年pp.57-61の一部を訳出したものであり、スターリンやトロッキー、陳独秀にもどって、曹泳鑫の記述の正確さを細かくたしかめてはいない。  ここでは1927年の蒋介石による反革命以降、トロッキーが中国革命について述べたことについての理解の一助として、そして、この時期のトロッキー派ー陳独秀が党内右派あるいは取消派と呼ばれていることを理解するための、一つの参考資料としてこれを訳出しておくことにする。 なお

袁世凱そして段祺瑞 1912-26

袁世凱統治下の中華民国 1912-1916 福光 寛  1912年1月1日、孫中山(スン・チョンシャン)は南京において中華民国の成立を宣言し、「臨時大総統」に就任した。しかしこの時点ですでに、袁世凱(ユアン・スウカイ)が清政府の打倒に協力するなら、袁世凱を総統にするとの協議が成立していた。これは実際のところ、袁世凱の助力がなければ、革命が成立しなかったことを意味するのかもしれない。(なお写真は右側が袁世凱 左が段祺瑞である