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アトピー考 その18 ー癌ビジネス

アトピーについて考える。1つ目は身体の緊張とアトピーの関係について、2つ目は喘息とアトピーについて、3つ目は体温について、4/5つ目は感情について、6/7つ目と14回目に脱砂糖について、8つ目に求められる即効性とタイムラグについて、9つ目では身体を振り返る、体調を知る方法について、10回目は着る服について、11回目はお医者さんとの関係について、12回目はカミングアウトについて、13回目については呼吸について、15回目はアトピーホルダーの理解者や応援者について、16回目は掻くという行為について、17回目は皮膚と筋肉について私見を書いた。

18回目の今回はアトピービジネスについて考えた。といってもアトピービジネスについてはここで自分の経験を披露するにはあまりにも特殊でかつ一般的(?)でないので癌ビジネスに絡めて触れてみたい。

癌ビジネスについては自分の経験ではなく10年ほど前に癌で亡くなった上さんのことで家族として経験したことである。

民間療法の是非についてはおそらく玉石混淆でほとんどが石だろう。その中で自分に合う自分にとっての玉を見つけることは至難の業だ。ここではその民間療法の中の玉を見つける方法を書くつもりはない。書ければ良いが書けない。何故ならそんな方法があればこちらが知りたいぐらいで全く知らない。

ここで触れたいのは医療体制はそれなりに整っており国民皆保険制度があり充実している日本国内で何故保険の効かない民間療法が流行るのか。それについて触れてみたい。なお、日本国内で受診できる一般的な癌の治療方法の是非についてはアトピーの問題から更に離れた問題になってくるのでここでは触れない。(いろいろ思うことはあるにはあるが、、、)

10年前に上さんが長崎で亡くなった。癌を患い2年余りの闘病生活を経てのことだった。最初に癌が見つかった際そのまま大学病院送りとなった。(担当のお医者さんが大学病院の先生であったこともあり紹介という形で通院先の病院が民間の病院から大学病院へと変わった。)

2年ほどの間である知り合いが調べてくれたおかげで別の病院で別の治療法も平行して施してもらうことになった。しかし、その別の病院では通院していることも大学病院とは別の治療法を受けていることも大学病院側には内緒にして欲しい旨言われた。

詳しいことは分からないが医療分野で県内では大学病院を頂点としたピラミッドの階層が存在していたらしい。大学病院の治療方針とは異なる治療を受けること自体その別に通う病院とその医師への心証を悪くすることをその別の病院の先生は危惧していた。

そんなものかと思いつつある種の違和感を持ったことは否めない。何故なら一人の患者に対してどの様な治療をしどの様に治癒したのか、あるいは悪化したのか。その症例が正確につかめないのではないかと思ったからである。医者がすぐ口にする「エビデンス」なるものも自分達が施した医療行為の結果である症例を文章にまとめ論文化することで成り立っている。そのエビデンスをオーソライズ(正当化)出来るのは患者への医療行為をきっちり把握していることが前提となっている。担当医師の管轄外で別の治療を受けていてはまともなエビデンスなど有り得ない。

少し話題がそれてしまった。話を元に戻す。

大学病院のお医者さんの言葉で少し唖然としたことがある。民間療法のことに話が及んだことがあった。上さんを担当するお医者さんは(一般論としてだと思うが)本当に癌が治る治療法があるなら保険の効く様にしてわざわざ(保険の効かない)高い治療を施すことは理解出来ない。治すことが出来る治療法なら民間療法の様な高額なものにせず保健医療が効く様に(申請など手続きをして)活用すべきだ。それが出来ないのはそもそも本当に効く治療法なのかが疑わしい。とのご意見だった。

一理ある。しかし、ならば何故保険の効かない民間療法が流行るのか。癌患者が何故治らないまま多くは亡くなっていくのか。その答えを追求するに対して健康保険が効く効かないの問題だけで説明出来るのは無理がある。そもそも何故民間療法が流行るのかという問題意識が正直足りないと(失礼ながら)感じた。自分の知っている限り最初から民間医療に頼った癌患者はほとんどいない。保険医療で治らないから保険の効かない民間療法にまで手を伸ばしたケースがほとんどではないか。そういった実態を知らないのだろうか。この疑問は未だに解決されないまま自分の頭の片隅に眠ったままである。

結局何を自分は言いたかったのか。民間療法が流行る一つの理由は現代医療に対するある種の不信感が根底にあるのではないかということだ。その不信感が高額でもとにかく治りたい患者を民間療法に走らせている。

これは癌に限らずアトピーについても同じことが言える。民間療法で治ったとする。治るとまではいかなくとも改善したとする。その場合は医者が介在しない場合が多い。通院していたとしても担当のお医者さんへ民間療法を受けていますと正直に話す人はまあいない。かくして民間療法で治る症例があったとしても「エビデンス」には決してならない。

患者の立場に立った場合にも同じ様なことが起こる。通院していた病院で治らない。仕方なく病院を変える。治らなければその繰り返し。一方、来院しなくなった患者のその後を病院は当然知らない。知るべくもない。かくして施した治療法が「エビデンス」として悪化した症例となることはない。決してないのだ。

保険が効く治療を受けると治療費は安く収まる。なので有効で治る民間療法があればそれは必ず申請して健康保険が効く治療法になるはずだ。なるべきだ。なので今保険適用されない民間療法は治らない治療法のはずだ。そんな密室の自慰の様な思考プロセスがお医者さんの中ではびこっているなら今後もますます民間療法は流行るだろう。

最後に断っておきますがここで言いたかったことは民間療法の是非についてではありません。保険医と民間療法(とそれに関わる方々や患者)との隔たりや意識のギャップについて触れたまでです。このギャップは医者と患者の双方にとって不幸なことだと思います。思っているだけで今何かことを起こそうと思うまでには至っていない自分もまあ単なる傍観者に過ぎないのかと思うと何一つ偉そうなことは言えないですが。

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